五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

‟哀”妻弁当🍱

今週のお題「お弁当」

 お弁当🍱の思い出は特にありません。高校生になって初めて昼はお弁当になりましたが、何が入っていたがなどほとんど記憶にはありません。当時は父親はもちろんのこと、母親も仕事をしていましたが、両親がそれぞれお弁当を持って行っていたのかも覚えてはいません。ただ父親は昼にラーメンの出前を取っていた記憶があるので、あまりお弁当は食べていなかったような気がします。

 よくネットでお弁当の酷評(?)なんかを見ますが、私のお弁当には品目には乏しかったものの、見ためはさほど酷くはありませんでした。その点は母親には感謝をしています。というのも高校時代、お弁当のおかずが毎日ウィンナー卵焼きだけの同級生がいたので、子ども心にもさすがに「あれはないなあ」と同情していたこともあったからです。

 ただお弁当の思い出で強烈に残っているのものがあります。あれは私が中学生の頃、父親が釣り🎣に行く際に、母親が作ったお弁当。確か昨晩の残り物のきんぴらごぼうとご飯のみのもの。そのきんぴらごうぼうも人参が入っておらず、正確にはごぼうを炒めたもの(しかも少量)と言っていいほど質素なもの。よく日の丸弁当と揶揄されますが、そのお弁当には梅干しもなかったように思います。

 後ほど実際にそれを見る機会がありましたが、明らかに母親の手抜きで、「あんなものを同僚の前で開くと赤っ恥をかくなあ!!」と当時あまり好きでもなかった父親に同情したものでした。

 その日、父親はそのお弁当を食ベずにもってかえって来ましたが、家に帰ってそのお弁当を開いて、案の定烈火のごとく怒鳴り散らし、夕ご飯の席は父親が暴れて手が付けられない状態に・・・。なんとかその場を収まったものの、そのことがあったかもしれませんが、それから母親がお弁当に気遣いをするようになったのではないかと思います。

 ちなみに私は結婚して今年で29年になりますが、いままで愛妻弁当というものをつくってもらったことはありません。販売職をしていた頃の昼食は、テナントを利用していました。また生産職として、静岡に転勤した時はストレスで昼食が食べれなかったことと、最初は工場の出入り業者のお弁当を利用していましたが、「安かろう・まずかろう」で、お弁当をほとんど残してしまう状態でした。

 そういったトラウマ(?)なのか、職場で昼食を摂ることをしなくなりました。朝も食べないので、朝起きてから夕方まで食事をしない生活をほぼ四半世紀してないことになります。

 よく?「それで持つの?」と聞かれたりしますが、慣れてしまえば大丈夫で、逆に何かの付き合いで勤務中に昼食を撮ると、9割の確率でお腹を壊してしまうという困った事態になっています。

 子供たちには、嫁は娘には高校から、中高一貫校に通っていた息子には中学校から毎朝忙しい合間に丹精掛けてお弁当を作っていました。現在社会人になった娘は嫁の影響もあり、自分でお弁当を作って出勤しているようです。今、大学生の息子は授業の時間帯にもよりますが、相変わらずお弁当を持参しています。

 ただ息子のお弁当は特徴があって、普通はご飯とおかずの割合が5:5のようですが、息子の場合は7:3とか8:2のようです。これは好き嫌いが激しい息子のことを考慮してとのことで、ご飯の上に息子の好きなふりかけを日替わりで変えるなど、栄養のバランスを考えて嫁なりに工夫したようです。。

 普段は朝食・夕食のおかずには手を付けないこともある息子、お弁当だけは必ず残さずきれいにして帰って来ます。それは息子の苦手なおかずが入っていた時も例外ではありません。しかもお弁当のおかずに文句を付けたことはありません。その点は「えらいなあ」と常々思っています。

 

 

 

写真:無料写真素材 写真AC きんぴらごぼうのアップ ゆるフォト

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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