五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

Times They Are Changing ~家庭訪問のお話~

 ゴールデンウィークも終わり、またいつもの通りの日常が戻ってきました。今年になってから投稿が滞りがち、どうも文章を考える気力が萎えてしまったのか、また興味をそそるものが無いせいもありますが、もうかれこれ2週間くらい更新していません。ただネットから遠ざかったわけでもなく、読者登録している方のブログを訪問したり、はてなハイクには毎日欠かさず投稿しています。いやむしろネット依存になったかもしれません。というのも、最近は浮気・離婚とか修羅場などをまとめた2チャンネル系の投稿サイトを飽きもせずに眺めています。私自身は浮気の経験もサイトに登場するような修羅場はありません。何でこんなのをだらだらと長時間も見るのかはわかりませんが、内々に満たされないものがあるのかもしれませんね。かといって実行する度胸も度量もありませんけど・・・。

 見苦しい前置きを例によってグダグダと書きましたが、5月に入りそろそろ新しく上の学校に進級した生徒は入学当初の緊張感から解きほぐされ、新生活に慣れてくる時期です。今年高校に進学した娘もようやく落ち着いたようです。勉強の方はどうだかわかりませんが、楽しそうにクラブ活動に勤しんでいる姿を見ていると、ピリピリしていた受験の頃が懐かしく思い出されます。

 さてこの時期に行われるのが家庭訪問。この家庭訪問ですが、私が子供の頃と比べてかなり事情が異なるようです。産経新聞の記事からです。

  新学期が始まって約1カ月。小中学校では家庭訪問を行うところが多い時期だ。かつては担任の教員が家に上がり、子供部屋などを見ることもあった。しかし最近は、玄関先だけで済ませるケースが少なくないという。背景には、迎える保護者も訪ねる教員も忙しい、という事情がある。教育関係者は「場所は問わないので、学校と保護者との信頼関係を築く機会にしてほしい」としている。

          産経新聞2016年5月4日 多忙につき玄関先で十分?変わる「家庭訪問」より引用

  家庭訪問がいつくらいに始まったのかは定かではありませんが、大正、昭和初期にはすでに実施されていたと言われています。家庭訪問の目的は、

・生徒の家庭の場所を確認し、通学路の安全を点検する

・生徒の家庭の様子を把握する

・生徒の家庭での様子を把握する

・生徒の学校での様子を保護者に報告する

・保護者の疑問に答え、学校の指導方針を説明する

などがあげられます。(Wikipedia参照)

 私が子供の頃は、家庭訪問の日が来ると、当時働いていた母は仕事を休み、粗相がないように朝から庭先から玄関、応接間、更には子供部屋を隅々まで清掃し、先生が来るのを待っていました。何故か祖母も面談に加わることもありました。これは小学校の高学年になってからですが、私は双子だったこともありクラスが別々になっていたため、先生方も同じ日になおかつ時間が重ならないように調整には苦心されていたようです。たまに時間が重なり、あとから来た先生は車の中、車のない女の先生は炎天下の中30分以上も庭先で待っていたこともありました。当時の家庭訪問は今からしてみれば保護者が先生を接待する「おもてなし」の要素もあったのではないでしょうか?

 教育・出版大手のベネッセコーポレーションが平成25年に小中学校の保護者を対象に「家庭訪問」についてのアンケートによると、先生と保護者が面談した場所は、居間・リビングが44.6%、玄関先が43.4%とほぼ同じくらいの割合でした。面談が玄関先と答えた保護者に理由を尋ねると、「先生が望んだ」という回答が最も多く、71.4%に上りました。一方で「家に上がってほしくなかった」という保護者側の回答が次に多く14.7%でした。

benesse.jp

  玄関先で先生と面談!!私のような年代ではにわかに信じがたいお話です。年配の先生がたも家庭訪問に伺ったら、玄関に座布団が用意されており、「お話は玄関先で」と言われ戸惑いを隠しきれなかったとか・・・。それも年々この傾向が増えているとの事。最近では玄関で5,6分程度立ち話をして終ったという家庭訪問もあるそうです。教師と保護者の関係も随分とドライなものになったものですね。まさに隔世の感があります。

 玄関先での面談が増加したのは、個人情報保護法が施行された十数年前から顕著になったようです。こう語るのは「百ます計算」で知られる立命館大学教授の蔭山英男さん。日々の業務に忙しい先生方と仕事で忙しく家の掃除に手が回らない保護者、特に働くお母さんたちの利害関係が一致した結果、家庭訪問のありようが変化したのではないかと分析されています。また学校側にもむしろ玄関先での面談を要請するケースも少なくないようです。

 文部科学省の初等中等教育局によると、小中学校の家庭訪問について通達や報告義務もないようですが、ただどうなんでしょう?家庭訪問をすることで、その子の家や家族のこと、その子供の環境など子供の背後にあるものが見えるのではないでしょうか?昔と比較して先生方の雑用が増えていることはわかりますが、担当する生徒のことを理解するには家庭訪問は絶好の機会ではないかと思います。家庭を知ることで、その子が抱えている問題を把握でき、今後の指導の参考にしたり、生徒間のトラブル等を未然に防ぐことができるのではないでしょうか。教育には門外漢なので、偉そうなことを言える立場ではありませんが、昨今の教育現場での陰湿な事件の背景には、子供の家庭環境を知らずにいたことも何等かの因果関係があるように思えてなりません。

 最後になりましたが、私の家庭訪問の思い出を。小学校の3年生だった時、私自身の性格もありますが、私のことを忌み嫌っている女の先生がいました。当時彼女は20代後半か30歳前半だったように思います。体罰こそありませんでしたが、何かにつけ辛く当たられ、他の子供と私との扱いは雲泥の差。話しかければ露骨に嫌な顔をされたこともあります。私自身が気が弱い性格でもあり、よく女の子にからかわれては泣かされていたこともありました。その先生は泣けばそれこそ「男のくせに情けない」とかさらに罵る。当時はその先生の顔を見るのも嫌でした。そんなこともあり私はその女の先生が家庭訪問に来た時に仕返しをしてやろうと思いつきました。

 双子の弟も同じクラスだったこともあり、その女教師はクラスメートよりは長く家にいるに違いない。そうなれば必ずお茶うけを食べる。あらかじめ先生に出すのは自宅の畑で採れる苺とわかっていたので、「先生に出す苺は自分で採る」とその日母親に言って女教師が来る30分くらい前に苺を採り、それを土がついたままま洗わず、ヘタだけを取りその上からたっぷりと練乳をかけました。何も知らない母親は土の着いた苺をその女教師に出しました。当時は苺は貴重品だったこともあり、女教師も嬉しそうでしたが、苺を口に入れた瞬間に悲劇が・・・。

 その後学校では私に対する女教師の態度はますますヒステリックになり、ちょっとした問題でもクラスで晒し者にされ、挙句には通知表には「男らしくない」だの「女の腐ったような子」「ひねくれた子供で将来が危うい」というようなことを平気で書かれました。性格に問題があったかもしれませんが、かえって火に油を注いだようですね!?

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 おまけの音楽:タイトルの「Times They Are Changing」といえばボブ・ディランの「時代は変る」。ボブ・ディランはかなりタカピーだったようで、歌手のなぎらけんいちさんがラジオ番組でドノヴァンとのエピソードを何気なく振れていました。


Bob Dylan The Times They Are A Changin' 1964

 

参照:Wikipedia 家庭訪問

   産経新聞 2016年5月4日付 多忙につき玄関先で十分?変わる「家庭訪問」

   ベネッセ教育情報サイト 家庭訪問の季節 先生を迎えるための準備は?

写真:無料写真AC 教室 かっちゃんさん

 

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