五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

サンデル教授の‘正義’はアホな私には理解できなかった。

 先日、藤枝駅前の図書館から「予約された本が来ています」との連絡があった。ハーバート大学マイケル・サンデル教授の「これから正義の話をしよう~生き延びるための哲学~JUSTICE」」という本で、話題になっているとはいえ、予約を入れてから2か月以上待たされたのには正直驚いた。サンデル教授の講義は名門ハーバート大学で1000人を超える聴講生で盛況だそうで、サンデル教授の政治哲学の講義を収録した「ハーバード白熱教室」もNHK教育テレビで放映されている。私は日頃から白人社会の‘正義’について疑問を抱いており、アメリカの頭脳と云うべき有名教授はどのような考え方を持っているか興味があり、この本を読んでみようと思った。ただ小遣い銭があまりなく、もし購入してがっかりするのも嫌なので、図書館で借りることにしたのだった。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

 

  白人社会の「正義」について、私が思っている疑問~こんなたとえ話がテレビで放映されていた。(記憶が定かではないのでこんなものだったと思う。)

 日本の女子学生とアメリカの女子学生がルームメイトになった。共同生活をおくるにあたり、ルールをいくつか作り、門限については夜10時、その時刻をオーバーするようであれば、事前に連絡を入れることにした。一緒に暮らし始めてからアメリカの女子学生は毎日のように門限は破るし、連絡も入れない。日本の女子学生は当初は仕方ないと思ってはいたが、だんだん腹が立っていた。ある日、日本の女子学生に急用ができ、帰宅がどうしても門限をオーバーしてしまう。アメリカの女子学生に連絡を入れようと思ったが、今までの事があったので「いいだろう」と思い連絡をしなかった。夜遅く帰ると、玄関先で件のアメリカの女子学生が烈火のごとく怒り、「何故約束を守らない。」とどなり散らす。日本の女子学生も負けずに「あなただって何時も約束を破ったじゃない。」と反論した。するとアメリカの女子学生がきょとんとした顔で、「だったら何故その時に言わないの?」と答えた。

  この話を聞いて、どう見てもアメリカの女子学生が悪いと思ったが、世間では私の考えは少数意見で、日本の女子学生が自己主張しないことが悪いというほうが多数意見だった。

 また1898年の米西戦争で、アメリフィリピン独立運動の指導者であるエミリオ・アギナルドに独立を支援することを条件にスペインを攻撃させ、アギナルド率いる義勇軍はスペインをフィリピンから撤退させた。しかしその舌の根が乾かぬうち、スペインとパリ講和条約を結びフィリピンの領有権を譲渡、約束を反故にし、アギナルドと配下の軍を掃討した。その掃討作戦は凄惨を極め、残酷な拷問、レイテ島サマール島では婦女子を問わず住民が皆殺しにされており、4年間で約20万人が犠牲になったとされる。ちなみにその時のアメリカの指揮官はアーサー・マッカーサー終戦後の日本を統治したGHQの最高司令官、ダグラス・マッカーサーの父親である

 これらのことから私は、アメリカ人の正義について2つの疑問を感じていた。それは、
 ①アメリカ人にとって約束は履行する必然性はない。常に自分たちの利害が優先される。

 ②アジアの民、黄色人種と白色人種は対等ではない。黄色人種は劣っているので何をやっても構わない。

という点である。私の疑問にハーバート大学の名物教授はどのような答えを導いてくれるのか期待しながら、この「これから正義の話をしよう~生き延びるための哲学~JUSTICE」を読んでみたが、正直言って、教養が足りない私にとっては退屈で、言っていることが余りよく理解できなかった。

 この本ではよく例え話が出てきて、こういったケースであなたはどうするという質問がある。しかしこの例えがちょっと変。

 

冒頭、時速100キロで走る路面電車(普通時速100キロも出す路面電車があったら怖くて通りを歩けないと思う)が暴走し、前方の線路には5人の作業員いる。そのまま走れば全員死ぬが、待避線には1人の作業員がいて、ポイントを変えれば1人は死ぬが5人は助かることができる。あなたならどうする?大抵の人は待避線に入るほうを選ぶ。1人の犠牲は仕方がないが、それで5人の命が助かるのならそれが正義だ。ではあなたはこの暴走する路面電車を見下ろすところに為すすべもなく立っていたが、ふと横に太った男がいて、彼を突き落とせば5人の命が助かる。あなたは5人の命を救うためにこの男を突き落とせるか、多分そうしないだろう。では最初の話では5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることが正義であるならば、次に事例では1人の命を犠牲にするために5人の命を救うことは正義ではない。

 これって、論点がズレているんじゃないのかなあ?殺す行為(一方では救う行為でもあるが)をするのが最初の事例は運転手でと次の事例では傍観者で、行為する対象者が違う。さらに言えば、最初は殺される側と殺す側が路面電車の関係者であるが、後者は関係者ではなく、殺される側も殺す側も全くの関係がない赤の他人である。サンデル教授は正義のために1人殺すか、5人殺すかと問題を提起しているが、そうするには条件が同一でなければならないのではないのかな?私のようなアホでもこの問題提起はどこか変で、随分と乱暴な事例だとわかる。

 サンデル教授は「これから正義の話をしよう~生き延びるための哲学~JUSTICE」で、正義を考える上で、功利主義、自由の尊重、美徳の3つを挙げている。これらについて、ベンサムカントジョン・スチュアート・ミルアリストテレスジョン・ロックといった古典の思想家の考えを引き合いに出して説明している。(と思うのだけど…、私の読解力ではちょっと難解だし、高校時代の倫理・社会の授業はほとんど寝ていて記憶にない)こういった学術書は昔から読むのが苦手だったが、何とはなく、この教授には、のみならず白人国家に共通するかもしれないが、大抵の日本人が持っている道徳心、あちらの言葉でいえばモラルというものが欠如しているのでは思えてきた。

 例えば、サンデル教授は古代ローマのコロシウムでライオンの前に放り出されたキリスト教徒の残酷な格闘ショーは、ローマ市民の娯楽のために許されるべきかという問題提起をしているが、そういった残虐な行為を経験したことない私たち日本人には理解しがたいことである。また国家賠償責任で、戦前の日本の従軍慰安婦の問題(歴史的に真実かどうかの問題はここではあえて問わない)で、植民地(向こうではそういう認識だが)の女性を強制連行し性の奴隷にしたことについて、日本は損害賠償すべきだとそれとなく触れているが(と云う風に私には思える)、戦後、米軍が行った強姦と駐留米軍のために強制的に慰安所を作らせたことについては触れられていない。事実を知らなかったかもしれないが、フェアではないと思う。それに絶対的弱者から搾取するにはそれこそ悪魔である。それはイラク戦争で捕虜の待遇の時に見せた悪辣な行為に繫がり怒りを覚える。

 更に人類史上最悪の奴隷制については、それとなく触れはいるが、アリストテレス奴隷制度を支持したというに至っては私から言わせれば、何をかいわんやである。豊臣秀吉徳川家康キリスト教の布教を禁止し、宣教師を追放した。その背景には彼らが神の名の下、多くの奴隷を保有していることに激しい憤りを覚え、日本を侵略をしようとする意図が見え隠れしたからだという。キリシタン大名の中には戦で捉えた捕虜を武器と引き換えに西洋に売り払ったという。天正遣欧使節が鎖につながれ、秘部を丸出しにされ、絶望的な顔をした若い日本人女性の姿を目撃した記録がある。それを伝え聞いた秀吉は激怒し、すぐさま捕虜の返還を訴えたという。

 この本を借りて読んでいるときに、高山正之さんの週刊新潮の名物コラムを集めた最新刊が出たので早速購入した。タイトルはその名も「サンデルよ、正義を教えよう」というもので、タイトルになったサンデル教授の事も書かれてあった。それによると、

 彼は「ハリケーンに遭ったニューオリンズで屋根の修繕屋が50倍の料金を吹っ掛けた」ケースを紹介し、これは人の弱みに付け込んだ悪徳商人か、需要が大きくなれば高くなる当然の商行為の結果かと問う。
 日本人は戸惑う。日本では例えば中越地震のとき。道が崩落し救援物資も届かない山村のスーパーが、とりあえず必要な食品や野菜2000円分を詰め合わせた袋を400円で売った。
 「こういう時はお互い様ですから」と店の主は答えていた。
 阪神大震災のときは山口組が炊き出しをやった。
              (中略)
 日本では儲けどきに安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。
 だから日本人はサンデルの問いが発生すること自体、理解できない。
              (中略)
 サンデルの頭にこうした日本的な正義はない。商売は阿漕に、金持ちは命を惜しむ。それを何とか正義で包みたい
 (高山正之著 新潮社刊 「サンデルよ、正義を教えよう」より引用)

 実はこれが私が長年抱いていた疑問への答えかもしれない。これに先立ち、サンデル教授の出ている動画をYOUTUBEで視聴した。どことなくロシアのプーチン首相に似た風貌のサンデル教授、ビートたけしをはじめ芸能人相手に講義をするのだが、サンデル教授の印象として、大変失礼な言い方かもしれないが、この人、教授というよりは詐話師ではないかと思った。彼はビートたけしの作った映画がどうしようもない駄作で、それを鑑賞したあなたはビートたけしに感想を聞かれどう答えるかという質問した。ゲストの芸能人が答えに窮しているとき、彼は自分の模範解答を言うが、その答えの内容を見て、彼は詐話師であると実感した。カントの思想をもとに嘘をつかず、相手を傷つけないように答えたものと彼は主張している。偏見と言われればそうだが、何処となく胡散臭さを感じた。

 最近、巷で流行りの「正義」とやらは、悪い奴ほど振りかざし、非道国家ほど気取りたがるのが常、と高山さんは「サンデルよ、正義を教えよう」の冒頭で書いておられる。マッカーサーはかつて「日本人の精神年齢は12歳」と言い放った。日本人が12歳なら、モラルもなく、己の欲望だけで行動するアメリカ人は差し詰め、6歳の幼稚園児といったところだろうか?いや彼らの略奪と破壊の歴史から見れば、幼稚園児ですらなく、もはや獣のレベルと見ていいのではなかろうか。

変見自在 サンデルよ、「正義」を教えよう

変見自在 サンデルよ、「正義」を教えよう

 

 

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