最近は遅出のため、午前中は9時か10時くらいに起きるようにしている。まあ寝るのが朝の5時か6時くらいなので、ほぼ昼夜が逆転しているといっていいが・・・。それで1時くらいに会社に出かけるが、その間食事を挟んで唯一の趣味であるブルーレイに貯め込んだ映画を鑑賞している。この時間は誰に邪魔されることない至福の時間!
3日くらい前にロシアの映画監督のニキータ・ミハルコフの「太陽に灼かれて」と「戦火のナージャ」を観た。この二つはミハルコフ監督の戦争三部作で、最新作は今年11月に上映されている。静岡には来ないようだが・・・。
「太陽に灼かれて」「戦火のナージャ」とも1930~40年代のスターリン圧政下のソビエトを舞台にしている。革命の英雄のコトフ大佐に恋人を奪われたドミトリーがコトフを秘密警察に連行していくまでが「太陽に灼かれて」、コトフの娘ナージャが従軍看護婦になって父を捜すのが「戦火のナージャ」である。いうなればロシア版「母ならぬ父を訪ねて三千里」というわけ。
外国映画を見るときはいつもそうなのだが、どうしても登場人物の見分けがつかない。さらに言えば大体のあらすじは何とかわかるが、詳細は見た後でネットの情報で確かめてしまう。今回のこの2作品もご多分に漏れずそうだった。この2つの作品だが、あまり面白かったとか考えさせられるといったことはなかった。でも「太陽に灼かれて」で自殺したはずの(と思ったのだが…)ドミトリーが「戦火のナージャ」では生きていてしかもその娘を育てている展開にはちょっと無理があるんじゃないかな?
監督のニキータ・ミハルコフさん、「戦火のナージャ」のほうがはるかに「太陽に灼かれて」よりもお金をかけているのがわかる。ネットで調べると「戦火のナージャ」はロシア映画史上最高となる巨額の製作費をかけて作られたとか、さすがにドンパチやるシーンはいかにもと思えるし、映像も「太陽に灼かれて」よりもはるかに鮮明である。主人公の親子をミハルコフ監督とその実の娘ナージャが2作続けて演じている。「太陽に灼かれて」では幼い子供だったナージャが「戦火のナージャ」では大人になっているには吃驚!まあ映画と映画の間に16年の歳月が経っているのだからそれも当然かな。
「戦火のナージャ」で唯一感動したのが、ラストのシーンだった。ドイツ軍の攻撃で廃墟と化した街で、従軍看護婦となり父を捜すナージャは瀕死の重傷を負った若い戦士と出会う。何とか助けようと手当を施すが、息絶え絶えのその兵士は「君の胸を見せてくれ!まだキスの経験もないんだ」と嘆願、ナージャは意を決し肌をさらすが、その直後に若い兵士は息絶えてしまう。このシーンを見て、太平洋戦争下の従軍慰安婦を思った。あの当時でも若い日本兵の中には女を知らない者も多くいたはず、慰安婦で初めて女を知った者いたはずで、そこには譬え商売であっても僅かな時間であっても、生きるか死ぬかの戦火の中、置かれた状況を鑑み互いの気持ちも通じ合ったはずだ。だから日本人の元慰安婦だった女性は今韓国人の自称慰安婦と呼ばれる連中のような恥ずかしい真似はしない。そんなことをすればお国のために命を捧げた英霊を冒涜する事になる。そのことは日本人の慰安婦と一緒にいた朝鮮人や台湾人の慰安婦の人たちだってわかっていたはずだと思いたい。
毎週水曜日なると決まって恥ずかしげもなく騒ぐ自称慰安婦の韓国人の婆さんたち、私も最近になって婆さんたちが言っていることは正しいと思うようになった。ただ彼女たちの言う戦争は太平洋線戦争ではなく朝鮮戦争だと思う。それだと婆さんあたちが喚いているような非人道的な行為が日常的に行われていたし、辻褄が合うんだなあ!
追記;「太陽に灼かれて」「戦火のナージャ」に続き今年11月に3部作の完結編「遥かなる勝利へ」が公開されている。まあ静岡にはやってこないのでどんな内容かはわからないが…。
写真:無料写真素材 写真AC エカテリーナ宮殿 MOON CHILD