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五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

長崎の深い闇

社会・経済

 先日、長崎県佐世保市で高校1年生の少女が同級生を殺害するという痛ましい事件があった。遺体は頭部と手首が切断されており、猟奇的な殺人事件として注目を浴びた。加害者の少女は過去数回にわたり学校給食に洗剤を混入したり、猫などの小動物を解剖するなど問題行動が多かったと報道されている。また家族関係も複雑で、加害少女の母親は1年前に癌で亡くなっておりその喪が明けぬうちに父親は再婚(実は再再婚らしい・・・)、そのことに不満があったのか今年3月に加害少女は父親を金属バットで襲い大怪我を負わせている。今年4月には留学の準備だとして、家族と離れ一人暮らしを始めている。
 

  確かにこの事件の背景には、余りに無責任な親の子育て(特に父親)があると思う。すでにメディア等で報じられているが、先述した給食への異物混入に際してはこの加害少女の両親が揉み消し、表沙汰にはならなかったようだ。ちなみに加害少女の父親は弁護士、母親は地元の名家の出身でかなり裕福な家庭だったようである。この両親の世間体もあり彼らが娘を庇う気持ちもわからぬわけではないが、下手したら人が死んだやらしれぬ大事件である。地元の教育委員会が沈黙してしまったのはいただけない。地元の名士である少女の両親に遠慮したと思うがちょっと意気地がなさすぎるのでは!しかも佐世保は10年位前から「いのちの教育」を行っている。これでは「いのち」を軽視していると受け止められても仕方がない。
 

 ネットでも散々叩かれているが、加害少女の父親というのがとんでもない人物のようである。ネットの記事を読めば読むほどその鬼畜ぶりがわかる。父親いや人間失格である。このおっさん、佐世保市内で高額納税者で知られており、何でもあの通販のじゃぱネット高田の顧問弁護士をしていたとか、自宅はネットで見たがかなりの大豪邸である。この大豪邸に母親が亡くなって間もなく20歳年下の女性を同居させる。しかもこの女性を孕ませて・・・。いくらこのおっさんと前妻の夫婦関係が悪かったとしても、思春期の多感な子どもがいるのにこれほど無神経ななことをするかね?こんな父親であれば、加害少女でなくてもバットで襲いそうである。更に再婚の何か月か前に加害少女を祖母の養子にしている。これは節税のためと言われているが、母親が死んで間もない時期、しかもすぐさま父親の再婚するなど加害少女にとって精神的に参っている時期にこのような非情なことをする神経は私には到底理解できない。

 

 加害少女は猫など小動物を解剖していたとあったが、1997年の酒鬼薔薇事件の例もあるが、精神科医によればそれは人を殺したいとのサインらしく、実際彼女も精神科医に給食事件から掛かっており、事件発生の数か月前には診察医から「このままでは人を殺しかねない」との伝えられていた。それを知りながら、このおっさんは加害少女の一人暮らしを継続させていた。私からすれば狂気の沙汰、責任放棄としか受け取れない。恐らくこのおっさんは、自分の事、さしずめ金・名誉・女にしか興味がないようだが、親になったのなら子供の事を最優先して考えるべきではないのだろうか?しかもこの子は世間様に甚だ迷惑をかけた過去もある。そうであればなおさら子供と面と向かってみるべきであろう。譬え思春期の難しい時期であったとしても・・・。以上がネットでの情報であるが、これらを総合して見てこのおっさん、自分の子供に対する愛情が露だに感じられない。
 

 ただこの事件、親の教育放棄が大きな原因だと考えるのは早計なように思える。何故なら佐世保、それを含む長崎県には異常な事件がここ数年とても多く発生している。10年前、同じく佐世保で小学校6年生の女子児童が同級生を殺害する事件が起きた。それを機に佐世保市は市内の小中学校で毎年6月を「いのちを見つめる強調月間」とし、命の大切さに関する校長の講話や公開での道徳授業をはじめ、小動物や植物の生育、佐世保大空襲などを取り上げた平和教育など、「いのちの教育」に取り組んできた。そんな矢先のこの事件、「今までやってきたことは何だったのか?」と関係者の落胆は大きい。
 

 社会学者の三浦展氏は、近年の少年犯罪の傾向について、かつては大都市が少年犯罪の温床であったが、近年は地方が都会をしのぐほどになっていると指摘、その背景にはここ20年ほどに起きた地方の変質、即ち「地方の郊外化」があると述べている。それによると

 1970年代までは大都市周辺に比較的限定されてた都市化あるいは郊外化の波が一気に日本中の地方に波及し、地域社会を根こそぎにするような構造的な変動が起こり、犯罪を増加させる土壌が形成されたと考えられるのである。
           ・・・・中略・・・・
 新幹線や道路の整備は交通量の増加を生む。それは産業を誘発し、経済を伸ばす。同時に、社会の貨幣経済化・消費社会化を進め、生活を一変させた。日本中の田圃の真ん中を走る新幹線や幹線道路沿いには、大手企業の工場、流通拠点などが立地するようになり、巨大ショッピングセンターができ、ファストフード店ができ、ディスカウント店ができた。そしてパチンコ屋ができ、カラオケボックスができ、テレホンクラブができ、サラ金ができ、ラブホテルもできた。その光景は東京郊外と何も変わっていない。いや、東京の郊外以上に徹底して郊外的だ。いまや日本中が「総郊外化」したのだ。
           ・・・・中略・・・・

郊外には生まれ育った地域と異なる人々が集まって住む。よって、郊外という地域としての共同性が育みにくい。・・・中略・・・・職住が分離しているので、郊外では大人の働く姿を子どもが目にする機会が少なく、反対に子ども中心の消費生活が中心になりがちである。しかも車がないと移動できないので、子どもだけで遊ぶ機会が減り、親に依存した生活になるので子どもの社会化が阻害されるなど、郊外にはそれまでの地域社会とはまったく異なる問題が多く発生する。
           ・・・・中略・・・・
 日本の地方の生活は、その地方の独自性、固有の生活を弱め、均質化している。・・・中略・・・昔からのコミュニティや街並みを崩壊させ、人々の生活、家族のあり方、人間関係のあり方をことごとく変質させ、ひいては人々の心をも変質させたのではないか、

   三浦展著 ファスト風土化する日本~郊外化とその病理~ 洋泉社より抜粋

 

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

 

 

  うすうすわかっていた事だが、最近は凶悪犯罪の多くは地方から発生している。かつて大都市の方が犯罪発生率は高く、地方はおしなべて低かった。しかし今や地方も大都市も犯罪発生率はほぼ変わらず、少年犯罪発生率に限って言えば地方の方が大都市をしのぐほど増加している。さらに言えば、昨今のインターネットの普及や交通網の整備により移動の制約が緩和され、さらにインターネットという匿名性の強いグッズが重なれば、おのずと犯罪は誘発されしかも今までの常識は通用せず犯罪を抑制することもままならない。今回の加害少女は殺害した女子をネットを通じ、解体を中継したそうだ。犯した犯罪の異常性に加え、殺害後に取った行動も猟奇過ぎるが、社会が流動的になり、今までの価値や常識や規範が弱体化し、匿名性が増した今、こうした非常識な行動は今後は当たり前になってくるかもしれない。

 均質化、郊外化する地方、そして少年犯罪が増えていく地方、では何故長崎に猟奇的な事件が多いのだろうか?私は九州出身だが、九州に住んでいた頃は長崎には行ったことがなかった。長崎県出身の人と出会えたのは予備校時代からであり、予備校で知り合った人もそうだったが、総じて言えるのは長崎の人はおっとりしている。長崎は江戸時代に唯一外国に門戸を開放したこともあり、県民気質として進取の精神に富み、解放的というかあけっぴろげな人間も多いと思う。ただ1945年8月に原爆投下という悲劇に見舞われた。ここからは私の私感だが、それ以来長崎の人に変な意識は生まれてきたのではないだろうか?
 

 終戦から長崎では平和教育なるものが行われている。特に長崎や広島は人類で初めて原爆が投下された。この人類史上最も残忍な虐殺があった地で、原爆がもたらした悲惨な状況を教えることには意義があることだと思う。ただ行き過ぎはよくない。長崎での平和教育がどういったものかは知らないので、無責任な発言になるが、例えばグロテスクな写真や体験などをまだ幼い子供に教えるのは却って子どもたちの発育にマイナスだろう。しかもこの大虐殺、何故だかやられた私たち日本人が悪いような教え方をする傾向にある。毎年原爆投下の日に広島、長崎で開催される式典で、『私たちは過ちを繰り返しません』と常に主催者か誰かが主張するが、過ちも何も私たち日本人は被害者であって加害者ではない。こうしたイベントの主催者は大概がサヨクの人で、得てして胡散臭いのだが、慰霊ならともかく政治的主張する意味があるのか常に疑問に思っているし、罪もなく殺された人を政治的に利用するようで許しがたい行為だと思う。

 

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  原爆投下のイベントに合わせ全国から頭のおかしい人たち、平和平和と叫び平和というお題目の為なら大虐殺をも厭わない狂った人たちがやってくる。加え佐世保にはアメリカ海軍の基地がある。「核」の被害を受けたのに「核」を搭載できる空母の寄港を許す、その相反する事態が長崎に言いようのない不信感や遣り切れない思いが醸成されのではないのだろうか?しかも長崎には鎖国時代にヨーロッパに唯一門戸を解放していた。そのため密かに布教されたキリスト教の影響も日本のどこより大きく、それが精神風土に何かしらのインパクトを与えたのではなかろうか?一見慈愛に満ちたキリスト教、しかし裏では人を人を思わぬ大虐殺をアジア・アフリカ・中南米オセアニアで行ってきた。この残虐性を持つ宗教を潜在的に長崎の地はおおらかさゆえの開放したのだろう。言いようのない不信感、残虐性、そして県民が昔から持つおおらかさ、それに地域の郊外化が加わり、こうした猟奇的な犯罪が発生しやすい土壌が出来上がったのではないだろうか?
 

 同じ原爆を落とされた広島はどうだろうか?巷ではH₂O(北海道、広島、大分を指す)と揶揄されるくらいサヨクの狂人的団体集団日教組が盛んであるが、猟奇的な犯罪は私の知る限りではあるが皆無である。広島の人は熱い人が多いと聞く。そして中国地方の中心都市としてのプライド、何より広島のシンボルともいうべき『広島カープがある。つまり広島県民には何かあった時に一致団結できうるものを潜在的に秘めていると言えるのではなかろか?こうした風土である故に屈折した心理があったとしても、それを払拭できるシステムと県民性がある。どちらかと言えば長崎の人はおっとりとしたおとなしい性格、しかも県の中心が長崎と佐世保に分散され、広島のような統一性は弱い。そういた意味ではストレスに対する耐性も同様だと思う。
 

 この痛ましい事件から数日後、佐世保市議会は臨時の教育委員会を開き、事件の概要を報告し、「いのちの教育」が何故生かされなかったか検証を行っている。同じ過ちを繰り返さぬために検証することはいいことだが、再び発生した今、「いのちの教育」に何かしらの問題があったことを提起した方がいいのではないか?さらに言えば、この事件の発生要因としては単に教育環境の問題ではなく多くの要因を含んでいる。そうした要因を正しく導き一つ一つ解決しなければ、長崎の深い闇は容易に晴れることはないだろう。それは長崎だけの問題ではない。利便性と快楽の裏に潜む深い闇はすでに日本のほとんどの地方都市を覆っている事実に対し、私たち日本人はあまりに鈍感すぎるのではないだろうか。

 

参照:ファスト風土化する日本~郊外化とその病理 三浦展 洋泉社

写真:無料写真AC 長崎平和祈念像1 acworks

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