五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

モスクワは涙を信じない

 懐かしい映画を視ました。

 先日、スカパーの番組表を何気なく見ていると、大学生の頃に視た映画を見つけました。その映画のタイトルは「モスクワは涙を信じない」。1979年に当時のソビエト連邦で制作された映画で、翌80年にはアカデミー外国語映画賞を受賞しています。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン氏はソビエト連邦のミハエル・ゴルバチョフ書記長と会談する際にこの映画を鑑賞したと言われています。

ロシア映画DVDコレクション モスクワは涙を信じない

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  私がこの映画を見たのは大学1,2年生くらいかと思います。その頃の私は大学の教養課程が東急東横線沿線にあったため、同じ沿線の自由が丘駅の近くに住んでいました。近くといっても駅周辺はさすがに当時でも家賃が高く、駅から歩いて20分くらい歩いたところにあった家賃が17000円の安い下宿屋でしたが・・・。あの頃の自由ヶ丘駅前には映画館が2軒あって、1つはロマン・ポルノをメインに上映していた「自由ヶ丘劇場」、もう1つは往年の名画を上映していた「武蔵野推理劇場(のちに自由ヶ丘武蔵野館)」。自由ヶ丘劇場もたまには名画を上映することもあって、この映画はどちらの映画館で視たかは忘れてしまいました。今ではこの2つの映画館は閉館し、自由ヶ丘の駅前には映画館はないそうです。これも時代の趨勢とはいえ何だか寂しいですね。

 前置きは長くなりましたが、Wikipedia、allcinema、KINENOTEを参考にこの映画のあらすじを書いてみますと、

 1958年のモスクワ。エカテリーナ、リュドミーラ、アントニーナの三人は、女子労働者寮に住む親友同士。エカテリーナは資格獲得を目指して機械工場で働く調整工。リュドミーラは、パン工場で働きつつも常に有名人や芸術家に出会い逆タマを考えている。アントニーナは良妻賢母型の控え目な女性で、同じ職場のニコライとの職場結婚を控えていた。

 あるとき、エカテリーナは大学教授である叔父の高級マンションの留守番を頼まれる。そこにリュドミーラが強引に押し掛け、ひょんなことでハイソサエティを招いたパーティを開くことになり、エカテリーナとリュドミーラは大学教授の姉妹ということに。パーティでエカテリーナはテレビ局のカメラマンをしているルドルフ、リュドミーラはアイス・ホッケー選手グーリンとそれぞれパートナーを得る。リュドミーラはグーリンと順調に交際し結婚することになるが、エカテリーナはルドルフに身分を偽っていたことが知れ、心無い言葉を吐きルドルフは エカテリーナの元を去る。エカテリーナは妊娠しており、ルドルフの母はエカテリーナに手切れ金を手渡そうとするが、彼女はこれを拒否する。

 それから20年の月日が経つ。エカテリーナは従業員3000人の大工場の工場長に出世、娘のアレクサンドラは美しい大学生に成長していた。リュドミーラはすっかりアルコールに溺れるようになったグーリンと離婚、結婚相談所に通う日々が続き、アントニーナはニコライとの間に4人の子供をもうけ幸せに暮らしていた。

 ある晩、エカテリーナは電車の中でゴーシャという不思議な魅力を持つ中年男性に出会う。ゴーシャは研究所勤めの仕上工、最初は戸惑うエカテリーナだったが次第に、強引といえるゴーシャに次第に惹かれ始め、一緒に暮らすようになる。人生で初めて愛に満ちた生活を手にしたエカテリーナ、しかしその幸せも予期しないルドルフの出現により脆くも崩れ去ることになる。

 ルドルフはエカテリーナの工場を報道するため、番組制作スタッフの一員としてテレビ局から派遣されてきた。ルドルフは顔を見ることなく別れた自分の娘に償いをし、娘の顔を見たいと願うが、エカテリーナは頑なにこれを拒否。ルドルフに「自分が結婚する予定で、電話もして欲しくない、家にも来ないで欲しい。」と嘆願する。しかしその願いは虚しく、ルドルフはエカテリーナ、ゴーシャ、アレクサンドラの3人が夕食を囲む席に突然現れる。その席でルドルフはエカテリーナの工場の話をし、エカテリーナはゴーシャに自らの身上を知られることになる。「男が女を支えるべき」という考えを持つゴーシャはこれに耐え切れず、混乱してエカテリーナの元を去る。

 その後、ゴーシャはエカテリーナに電話もよこさず、家を訪ねる こともなかった。悲観に暮れるエカテリーナ、それを見かねたリュドミーラとアントニーナは、何かしなければならないと立ち上がり、アントニーナは夫のニコライを使い、必死にゴーシャを探し出す。微かな証言をもとにモスクワ中を回るニコライ、やっとのことでは酔っ払っているゴーシャを見つけて、一緒に酒を酌み交わし、エカテリーナの元に戻るようにゴーシャを説得する。

 ようやくエカテリーナの家に戻ったゴーシャ。それをエカテリーナは目に涙を浮かべながら見つめている。

 

 エカテリーナ「待ってたのよ。」

 ゴーシャ「8日間だ。」

 エカテリーナ「もっと長い間よ」

 

 この映画が製作された年、ソビエト軍アフガニスタンに侵攻、これに反発したアメリカを中心とした西側諸国は翌80年に開催予定だったモスクワでのオリンピックをボイコットします。当時のソビエトブレジネフ政権の後期に当たりますが、硬直化した官僚制の悪弊が社会の閉塞感を招き、経済は停滞し思想的にも自由を求めるサハロフ博士や作家のソルジェニーツィンらを弾圧した暗い時代だったと言えます。

f:id:Kitajskaya:20160827102747j:plain 赤の広場

 そんな暗い世相とは裏腹にこの映画の中の主人公たちは実に生き生きと描かれています。社会主義国家の映画らしく、プロパガンダが鼻につく場面(主人公の女性機械工が出世し、自由主義社会の象徴ともいえるテレビマンの男性がうだつの上がらない生活をしているのはその典型とも言えますが)もありますが、コミカルな演出に加え、エカテリーナとゴーシャが僅かな会話を交わし互いを見つめ合うラストシーンは圧巻です。

 また多少の修正は加えられたと思いますが、70年代後半のソビエト連邦に生きる人たちの暮らし向きは、私が思っていたよりは遥かに豊かだったことにも驚かされました。当時のマスメディアの報道において、ソビエト社会は市民は物を買うにも長い長い行列の画像しか紹介していなかったと思います。それ故に私を含むほとんどの日本人の当時のソビエト連邦に対するイメージは物資の乏しい貧しい社会を想像していたと思います。しかしこの映画を見る限りでは、当時のソビエト社会には西側同様にスーパーマーケットもあり、物が溢れんばかりとは言えませんがそれなりに物資はあり、農村はかなり豊かに描かれていました。同じ時代のイギリス映画を見ましたが、映画で判断するにも可笑しいかもしれませんが、70年代のイギリス社会と比較し、実際は社会主義国であるソビエト社会の方が経済的には遥かに豊かだったのではなかったのかと思います。

 この映画ではお色気シーンも僅かではありますが登場します。前に述べたサハロフ博士や作家のソルジェニーツィンの弾圧に見られるように当時のソビエト連邦表現の自由など存在しない抑圧された国家のイメージしかなかったので、これは意外でした。(ただ私の個人的な見解ですが、冒頭の主人公たちの着替えのシーンは止めてほしかったです。40歳の人が20歳の役を演じるのはわかりますが、さすがに体型はね・・・・。)さらに言えば、主人公のエカテリーナが体制を批判するシーンもありました。もっともこれは自分の正体がルドルフにばれてやけくそで叫んでいるようですが・・・。

 「モスクワは涙を信じない」はソビエト連邦で約9000万人が鑑賞し、今でもロシアでは人気のある映画の一つですが、撮影当初は安直なメロドラマだと酷評され、なかなか主演女優が決まらなかったそうです。それが予想を大幅に超えるの大ヒット。その理由として、今までの政治色の強いソビエト映画と違い、市井のソビエト社会を出来うる限りありのままに描いた試みに当時のソビエトの人々が新鮮味を感じたことが挙げられます。

 しかしそれ以上に困難を乗り越えて最後には幸福を掴む主人公に多くの人が共感を得たからではないでしょうか。ロシアの人々は厳しい自然に加え周辺諸国と領土をめぐり戦火が絶えませんでした。そうした熾烈な環境下、ロシアの人々は辛抱強く耐え忍び最終的には勝つということを信条としており、映画の中のエカテリーナの生き様に自分たちの姿を投影することでシンパシーを得てたのではないでしょうか。これはあくまでも私の稚拙な憶測にすぎませんが・・・・。ちなみにこの映画の撮影で愛が芽生えたかどうかわかりませんが、後に監督のウラジーミル・メニショフと主演女優でエカテリーナを演じたヴェーラ・アレントワは結婚しています。

 と、ここまで尤もらしく書いてきましたが、実のところはこの映画の内容はほとんど覚えていませんでした。当時も今も洋画、邦画を問わず、内容はパンフレットは見なければ理解できず、この映画を視た80年代初頭にはおそらくパンフレットなど買わなかったと思います。何となく見終わって面白かったという記憶はあるのですけどね。ただ主題歌である「アレクサンドラ」だけは記憶に残っていました。


Александраアレクサンドラ(日本語訳)

 この歌を歌ったのはセルゲイ・ニキーチンとその妻タチアナ・ニキーチナ。彼らは夫婦揃って物理学の博士号を持つといった変わった経歴の持ち主で、当時は歌手と研究所勤め兼業の二足のわらじを履いた珍しい歌手でした。現在では歌手や作曲活動に専念しているそうです。

 最後になりましたが、この映画のタイトル、「モスクワは涙を信じない」とは実は「泣いたところで現実は変わらない。泣き言で同情を買おうとしても無駄だ。」という意味の持つロシアの諺だそうです。かつてモスクワ大公国が税の軽減の嘆願をしりぞけたばかりか、見せしめとして嘆願者を処分さえしたという故事から来ているそうです。知らなかった・・・・。

 

追記:以前の記事でソビエト・ロシアの映画関連のものを紹介します。

kitajskaya.hatenablog.com

 

f:id:Kitajskaya:20160119230753j:plain ニコライ堂

参照:Wikipedia モスクワは涙を信じない、セルゲイ・ニキーチン、

         ミハイル・ゴルバチョフロナルド・レーガン

         ソビエト連邦の外交関係

     自由ヶ丘バリアフリーネット 自由ヶ丘の映画館

   allcinema モスクワは涙を信じない

   KINENOTE モスクワは涙を信じない

   kotopawa モスクワは涙を信じない

   ロシア映画ファンサイト 「モスクワは涙を信じない」誕生25周年

写真:無料写真AC ニコライ堂 はなたれ君さん

                       赤の広場 masa2

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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