6月も後半に入りました。ブログもなかなか更新できず、前回から3週間くらいが過ぎ、その間静岡県も6月7日に梅雨に入りました。これは昨年よりも1日早かったようです。昨年は割と晴れの日が多かったように思いましたが、今年はどうでしょうかねえ!?
さて先週の土曜日に娘と2人で身延山へ行ってきました。昨年の今頃、娘の大学合格祈願に参拝に行きましたが、今春晴れて娘が大学に合格しましたので、その時に御祈祷をしてもらったお札を返して御焚き上げにしてもらうことが目的です。
昨年、身延山に行った時の記事がこちらです。昨年もちょうど今頃に身延山へ行っていたのですね!!ただ昨年は1人で出掛けて行き、この時期としてはとても寒かったことを思い出しました。
身延山へは娘の高校合格のお礼参りにも出かけています。3年前で、この時は4月の後半で、この時は家族総出で出かけました。ちょうど桜が見ごろの時期でした。
藤枝の自宅から身延山へ行くにはまず藤枝岡部ICから新東名高速道路に乗り、新清水JCで降りて国道52号線の甲府方面に向かうのが今迄のパターンでしたが、今年の3月に静岡県静岡市清水区と長野県小諸市を結ぶ中部横断道自動車道の未開通区間の山梨県と静岡県をつなぐ新清水JCと富沢ICの20㌔区間が開通しました。これにより身延山までは1時間40分くらいかかっていたのが、1時間15分くらいになりました。(ちなみに同日、山梨県の下部温泉早川ICと六郷ICの8㌔区間も開通しています)
中部自動車道の区間の開通は静岡、山梨の両県にも波及効果が大きいようです。山梨県が東名・新東名という日本の大動脈と繋がることになり、静岡県の観光スポットには山梨県からの観光客で連日賑わっているそうです。この中部横断自動車道は来年末までには未開通期間が開通する予定で、そうなってくると私の自宅からは約1時間くらいで身延山へ行けることになります。随分と便利な世の中になったものですね!!
これから記述する文章は過去の記事の二番煎じになりますが、ご勘弁の程を・・・。
身延山は山梨県南部にある標高1153mの山で、日蓮宗総本山久遠寺の山号でもあります。疫病や天災が相次ぐ鎌倉中期、日蓮聖人は自らの考えが時の鎌倉幕府に受け入れられずに失意にいた中、日蓮聖人の有力な庇護者であった甲斐の国の地頭南部実長(なんぶさねなが)が自らの領地である身延山に招き入れます。これより日蓮聖人は足かけ9年間にわたりこの身延の地で法華経の読誦と弟子や信徒の教導、及び当時猛威を振るった蒙古軍の退散を祈念します。日蓮上人は1281年11月に草庵を整備し、日蓮聖人自らがこれを「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。日蓮聖人は1282年9月、常陸の国に向う途中、武蔵の国池上にてお亡くなりになりましたが、ご臨終の際、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」と弟子たちに遺言を残し、その遺言通りにご遺骨は身延山に祀られました。
当日は時折うす雲が差す程度でちょっと蒸し暑いくらいでしたが、晴れの穏やかな天候でした。駐車場に車を停めて、斜行エレベーターに乗って本堂へ向かいます
斜行エレベーターを下りたら五重塔が見えます。この五重塔は現在3代目で、1875年の火事で焼失したのを2009年に134年ぶりに再建したものです。再建にあたり、すべて国産の木材を使用し、1619年の建てられた初代の塔を忠実に復元しました。
五重塔の正面に本堂があります。
昨年の記事にも書きましたが、本来は久遠寺の入り口ある総門から約1㌔にわたる門前町を抜けて、三門に至り、そこから長い石畳の階段を登って本堂に至ります。今回は娘がいたので、初めて身延山を訪れたときのように石畳を下りて三門に行くことにしました。石段は「苔菩梯」と呼ばれており、287段、高さ107メートルになり、これを登り切れば、涅槃に達すると言われています。
石段の登り口の横に日蓮聖人を庇護した南部実長公の銅像があります。
三門に出てみました。三門は「空」「無相」「無願」の三解脱をあらわすそうです。
再び本堂へ戻ることにしましたが、さすがに歳なので、石段を登るのはかなりキツイので、石段の脇にある坂を上ることにしました。坂は「男坂」「女坂」の2つがあり、女坂ほうがなだらかだと推測し、女坂を行くことにしました。
女坂を登って(それでもかなりキツかったのですが・・・。)、甘露門にでます。そこから本堂の前に戻りました。境内の売店で絵馬を買って、娘の合格のお礼を書き絵馬掛に掛けました。そして本日の目的である合格祈願のお札を返納するために受付のある報恩閣に行きました。報恩閣は2002年に立教開宗750年慶讃事業のひとつとして建築されたもので、信徒の受付と休息所があります。(報恩閣の写真は取り損ねたので昨年の写真を貼りました。それでも建物の一部しか映っておらずちょっと残念です)
これで用事を済ましたので、ロープウェイに乗って山頂にある思親閣と展望台に行くことにしました。日蓮聖人は望郷の念が強く、折にふれては身延山の頂上へ登り故郷の房州小湊(現在の千葉県鴨川市)の両親を追慕したとされています。以前はは東孝閣とも呼ばれていましたが、現在は親を思うお堂、思親閣と呼ばれていますお堂の脇には日蓮聖人が自ら手植えしたと四本の杉も残っています。現在はロープウェイで片道わずか7分で標高1153mの山頂まで行けますが、ロープウエイがない時代には本堂からは片道2時間かけて登っていたようです。三門からの石畳も含めて、仏門の修業とは安穏と過ごしている私たち一般人と比べ、かなり厳しいものなのですね!!
昨年は雨に祟られ山頂から富士山を視ることが出来なかったのですが、当日は晴れていたので展望台から富士山が見れることを期待していたのですが・・・!?
富士山付近は雲がかかっており、残念ながら今年も富士山を見ることは叶いませんでした。この身延山の展望台は関東の富士見百景のひとつとされており、重ね重ね残念です!!ただ眼下の景色は最高でした。
富士山は見れませんでしたが、山頂までいって景色を眺めることが満足したので、山頂の売店の食堂で軽い食事をとって、身延山を後にすることにしました。帰り道、嫁から身延のお土産に「ゆば」を買ってきてと頼まれていたのを思い出し、途上にあった「ゆばの里」に寄ってみました。身延町がゆばの産地とは嫁から聞くまで知らなかったのですが、何でも日蓮上人が身延に在山中に、弟子たちの大切な日蓮聖人の体を思い、貴重な栄養源として作ったことが始まりとされています。
ゆばの里でお土産のゆばと山梨県の名産のほうとうを買い、藤枝の自宅に帰りました。娘と2人の旅行は昨年の名古屋へのオープンキャンパス以来ほぼ10か月ぶりです。その娘ですが、5月病とか危ぶまれましたが、すっかり学生生活を満喫しています。通っている大学は出席日数に厳しく、また課題も多く、娘は休みの日は高校の時より勉強しているんじゃないかなあと思います。それでもバイトやサークル活動にも積極的に行っており、以前と比べて、明るくなり今の生活を楽しいでいるように見受けられます。これも身延山へお参りに行ったお陰かなあと思います。
さて来年は息子が高校3年生になり、受験を迎えることになります。来年も身延山にお参りに行くことになります。そして再来年またお礼参りとして身延山を再び訪れれることが出来ればと思います。そのためにも息子には頑張ってもらわないと・・・。そんな親の期待とは裏腹にゲームに日々邁進する息子です!?
みのぶ ゆばの里
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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