五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

豊後古寺巡礼

◆◆ この記事の目次 ◆◆

はじめに

  今年の夏は2年ぶりに私の実家のある大分県国東半島に帰省しました。昨年は娘の大学受験があった関係で行けませんでしたが、今年は娘のたっての希望で例年より1日多く4泊5日の日程で実家に滞在しました。とは言っても、肝心の娘は行きの新幹線からお腹を壊しており、帰省中は終始万全な体調とは言えませんでしたが・・・。

  娘がどうしても大分に行きたかった理由は、私の実家の近くに日本史の教科書に載っている富貴寺に行ってみたかったから。何でも富貴寺は日本史の試験にも出たらしく、

 「そんな有名な古刹がお父さんの田舎にあるのなら、是非とも見てみたい!!」

 日本史好きな娘のリクエストの応えるべく先週の土曜日からさる14日の水曜日まで実家に滞在しました。ちなみに私自身は地元に住んでいながら、富貴寺には小学校の頃に1回行ったきりで、正直どこにあるのか不明でした。富貴寺に関する知識も「釘を1本も使っていないお寺」しかなく、恥ずかしながら娘のほうが詳しいくらいでした。

富貴寺(=ふきじ)

 富貴寺は天台宗の寺院で奈良時代の僧侶仁聞が開基したと言われています。富貴寺のある国東半島は早くから仏教から栄えており、奈良時代から平安時代にかけて、仏教と古来からあった山岳宗教と近隣の宇佐八幡の八幡信仰と融合した「六郷満山文化(ろくごうまんざんぶんか)」と呼ばれる仏教文化が形成されました。六郷満山とは国東半島の中央部に位置する両子山(ふたごさん)の山麓にある、武蔵(むさし)、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ)の六つの(古代の行政単位)に築かれた寺院群(満山)のことをいいます。仁聞は国東半島の各地に28の寺院と6万9千体の仏像を作ったとされています。

 

 

 注)下の写真、富貴寺の入口である山門ですが、この山門が重要であること知らず、写真に撮ることを忘れてしまいました。いつも利用してる無料写真素材写真ACさんの写真を利用しました。

 

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富貴寺 山門

 娘が見知っている富貴寺は富貴寺大堂(ふきじおおどう)の事だと思います。富貴寺大堂は阿弥陀信仰が盛んであった平安時代の後期に宇佐神宮の司家である到津家(いとうづけ)によって創建されたとされています。

 言い伝えによると、昔この地に、高さ970丈(信じられませんが、メートル法にすると約3000㍍?になります・・・!!)もある(かや)の大木があり、その影は遥か数里を越えて近隣の集落まで延びていたそうです。現在の大分県南部の竹田に住む番匠(ばんしょう=中世日本においても木造建築に携わった建築工。大工の前身とされています。)がこの榧の木を切り倒して、この木一本で大堂を建て、また同じ木を使って本尊である阿弥陀如来坐像を刻み、更にを刻んだそうです。それでもまだ材木が余ったので、それを刻んだ牛に乗せて熊野に運ぼうとしたところ、途中で動かなくなり、その地に真木大堂を建てたといわれています。

 富貴寺大堂は現存する九州最古の木造建築物で京都府宇治平等院鳳凰堂岩手県平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつで、1952年11月には国宝に指定されています。また2013年10月には富貴寺境内が史跡に指定されています。

 

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富貴寺 大堂

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富貴寺 大堂 斜面から

 

 富貴寺大堂内には本尊であり、国宝に指定された阿弥陀仏如来坐像が安置され、壁には重要文化財に指定された極楽浄土を描いたとされる壁画があります。残念ながら大堂内は撮影禁止なのでここでは紹介することは出来ません。

 現在の富貴寺の境内には大堂の他に本堂・薬師岩屋(奥ノ院)・白山社(六所権現社)などの堂舎のほか、笠塔婆や仁王像、十王石殿などの石造物といった文化財があります。特に大堂入口から向かって左側にある石造物の中で大小2基の石塔があります。この石塔はこの地域独特の形をしていることから国東塔(くにさきとう)と呼ばれています。

 

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富貴寺 国東塔

 

   面白いことに富貴寺はお寺なのに、境内には鳥居があります。   

 

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 これは富貴寺のある国東半島が神仏習合の信仰形態を持つ宇佐神宮と深い関係があったためだと思います。神仏習合とは日本の神道と仏教が互いに影響を受けて融合してできた信仰の形態をいい、仏教が伝来した奈良時代に始まり、明治維新までおよそ1000年間続きました。

 今では寺と神社は別なのが普通なのに、昔は寺と神社が一緒にあるのが普通でした。国東半島は宇佐神宮の影響が強かったので、それが残ったのでしょうかねえ!?

 

真木大堂(=まきおおどう)

 真木大堂は富貴寺より南に6㌔ほど下った方向にあります。真木大堂は富貴寺同様に仁聞が開基したとされる馬城伝乗寺(まきさんでんじょうじ)の中の建造物の一つとされ、「幻の大寺」と呼ばれています。何故「幻の大寺」なのか?馬城伝乗寺は当時の六郷満山の中で最大規模の寺院でしたが、約700年前に起きた大火のため、ほとんどが焼失したために詳細な資料はほとんど残っていないそうです。

 

 

 真木大堂で現存するのは江戸時代に再建された旧本堂と昭和40年代に新設された収蔵庫のみです。収蔵庫には9体の仏像が収められています。いずれも1950年8月に国の重要文化財に指定されました。

 

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真木大堂入口

      真木大堂も富貴寺と同じく館内は撮影禁止でした。ここで有り難い仏像を紹介することは出来ません。真木大堂のサイトがありましたので、貼っておきます。興味のある方はそちらの方からご覧になっていただければ幸いです。

 

www.makiodo.jp

 旧本堂の正面の扉には皇室の紋章である菊花の紋章があります。 これは約700年前に元寇の際に、時の鎌倉幕府から六郷満山の寺院に対して異国降伏の大祈祷を行うように命令を出しました。

     これを受け馬城伝乗寺でも国難を救うため長期間にわたり異国降伏の大祈祷を行いました。元が去ったその後に恩賞として1285年10月に鎌倉幕府を経て朝廷より菊花の紋章が下賜されたと伝えられています。

 

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真木大堂 旧本堂

 

馬城山展望台(=まきさんてんぼうだい)

 

  真木大堂の所蔵庫と旧本堂の裏手には石段があり、ちょっと険しいその石段を登っていくと展望台(?)らしき広場があります。馬城山展望台と呼ばれているようです。展望台からは国東半島の山々を望むことが出来ます。

 

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馬城山展望台から望む①

 

 ただ展望台には大人の背の高さくらいまで草木が生い茂っており、眼下の景色を楽しむことは出来ません。下の写真は展望台の高く茂った草木の合間から取った写真です。もう少しこの展望台を整備したらいいのに!!

 

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馬城山展望台から望む②

 

真木大堂の前の売店

 

 真木大堂の前には売店がありました。

 

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 近所の奥さんが集まって何かやっているみたい!! 近づいてみると・・・。

 

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 奥さん連中と思われたのは、何と案山子でした。やれやれ・・・。

 

世界農業遺産、田染荘(=たしぶのしょう)へ

  以前の記事で世界農業遺産の事を紹介したことがあります。世界農業遺産とは次世代への継承を図る目的で、2002年に国連食糧農業機関(FAO)が伝統的な農業や林業・漁業と、農林漁業によって育まれ、維持されてきた土地利用(農地や溜池・水利施設などの灌漑)・技術・文化風習などを一体的に認定する制度です。日本では現在では11か所が認定されています。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 富貴寺や真木大堂がある豊後高田市田染(たしぶ)地域も実は2013年に世界農業遺産に認定されていました。またこの地区は鎌倉時代宇佐神宮の荘園として形成された田染荘(たしぶのしょう)が集落や水田の位置がほぼ変わらない形で残されています。

 

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 この地域は昔からクヌギ林と溜め池を利用したシイタケ栽培や畳の表の材料となるシチトウイ栽培が盛んでした。世界農業遺産には「クヌギ林と溜め池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」をテーマに掲げ、それに六郷満山文化といった歴史的な背景をからめて申請をしたそうです。

 

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世界農業遺産 クヌギ

 

 

 田染荘のある小崎地区は田染荘の景観を維持・保存するためには努力しており、2010年には「田染荘小崎の農村景観」の名称で国の重要文化的景観として選定されました。

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田染荘

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田染荘

 

西叡山

 

 田染荘から北東の方角に西叡山(さいえいざん)という山が見えます。この西叡山は京都府比叡山、東京の東叡山とで日本三大叡山と呼ばれているそうです。比叡山には延暦寺、東叡山には寛永寺とそれぞれに符合する寺院がありますが、この西叡山にも高山寺(たかやまでら)というお寺があります。ただこの高山寺、どうやら2代目のようで、現在の高山寺が建立されたのは1984年だそうです。初代の高山寺平安時代末期に建立され、六郷満山を代表するお寺として栄華を誇ったそうです。鎌倉時代にほとんど衰退し、江戸時代になって尼さんが放火して焼失してしまったそうです。

 私たちは時間の関係でここを訪れることはありませんでしたが、この謎めいたお寺、時間があれば訪れてみたいです。

 

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西叡山

おわりに

  

 今回は富貴寺と真木大堂を約半世紀ぶりに訪ねてみました。地元にいたときは自宅には車もなかったし、何しろ住んでいるところが古寺や名刹があることなど全く理解しておらず、そんなものがあるなあというくらいの物でした。加えてこの街が嫌で嫌でしょうが無かったこともあります。今考えてみれば、何とも勿体ないことをしたと思います。

 今回の訪問で改めて自分の生まれた街の凄さに気付くとともに、私の嫁や子供たちに私が生まれた街を誇れることが出来るようになりました。来年も帰省する予定でいますが、その時は今年行けなかった古寺や名刹を訪ねようかと思います。

 

おまけ①:JR宇佐駅柳ヶ浦駅の発車メロディ、今成佳奈さんの「Welcome おおいた」

 

 今成佳奈さんは私の地元出身のシンガーソングライターです。下のPVは2012年に発表されたJR九州の「おおいた豊再発見キャンペーン」のキャンペーンソング「Welcomeおおいた」です。なおこの曲はJR宇佐駅柳ヶ浦駅の発着メロディになっています。


今成佳奈「Welcomeおおいた Ver.2」JR九州 テレビCMソング

 

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JR宇佐駅

 

おまけ②:大分のお土産

  ここで大分のお土産で、割とメジャーなのを紹介します。

大分の代表銘菓 ざびえる本舗 「ざびえる36個入」

大分の代表銘菓 ざびえる本舗 「ざびえる36個入」

 

 

 

参照:Wikipedia 富貴寺、真木大堂、六郷満山、番匠、国東塔、

                        神仏習合、田染荘、今成佳奈

   コトバンク 番匠

   六郷満山 富貴寺パンフレット 富貴寺 田吹 繁子

   宗教法人 真木大堂 真木大堂パンフレット

   真木大堂公式サイト 真木大堂の歴史、真木大堂ご紹介

   世界農業遺産 国東半島・宇佐の農林水産循環

写真:無料写真素材 写真AC 富貴寺 photo picture

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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