8月も中旬を迎え、毎日毎日うだるような暑さが続いています。今年の夏は新型コロナウイルスの所為もありますが、いつも以上に巣籠り生活をしていることもあって、我が家のエアコンもフル稼働で、どれか1台は必ず点いています。こんな状況ですので、来月の電気代の請求に戦々恐々としています。それにしても最近は年を追うごとに、夏の暑さが酷くなっているように感じますが、どうなんでしょうねえ!?
さて、一向に収束の目途が立っていない新型コロナウイルスですが、今月10日現在で国内の感染者が5万人を超えたという報道がありました。静岡県内でもトータルで366人の感染者が確認されていますし、島根県の学校では集団クラスターが発生し、クラスターに関連した感染者は90人を超えるようです。
ただねえ、先日のブログ記事でも言及しましたが、マスメディアは新型コロナウイルスの感染拡大について必要以上に煽りすぎだと思います。感染者拡大に伴って死亡者数は以前よりかは増加しましたが、それでも1日10人を超える日は今のところ増えていません。季節的な影響があるかもしれませんが、これは一部の地域を除いて、世界各国も同様のようです。またウイルス感染者の多くは無症状だと言われていますし、そもそも感染者か否かを判断するPCR検査それ自体も本当に正確なのかどうかも疑問視されています。
私は専門家ではないので、無責任な発言になってしまいますが、感染防止のために今まで通りのマスクの着用や手洗いの励行、アルコ―ル除菌の徹底は当然の事として継続すべきですが、従来のインフルエンザと比較して致死率が低い新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、異常なまでの外出自粛やイベントの中止、感染者が発生した施設の閉鎖は止めるべきだと思います。
まさに先が見えない新型コロナウイルスですが、恐怖心のみが先行し、国民の生活が逼迫し、近い将来、新型コロナウイルス感染による死亡者数より、経済的な困窮を理由に亡くなる人の数が増えないことを切に祈るばかりです。
はじめに
またまた前置きが長くなりましたが、今回の記事は「祝!弥次さん喜多さん、駿州の旅 日本遺産認定」の第5弾、江尻宿と府中宿編となります。
おさらいとして、ストーリーを構成する文化財一覧を再度掲載します。今回の解説するのは10~13となります。
構成文化財の名称 | ジャンル | 五十三次宿 | |
1 | 蒲原宿 | 史跡 | 蒲原 |
2 | 旧和泉屋(お休み処) | 史跡 | 蒲原 |
3 | 志田家住宅主屋 | 史跡 | 蒲原 |
4 | 由比宿 | 史跡 | 由比 |
5 | 静岡市東海道広重美術館 所蔵の浮世絵 | 美術工芸品 | 由比 |
6 | 間の宿西倉沢 | 史跡 | 由比 |
7 | 東海道の名主の館(小池家住宅) | 史跡 | 由比 |
8 | 薩埵峠 | 名勝 | 由比 |
9 | 清見寺 | 史跡 | 興津 |
10 | 三保松原 | 名勝 | 江尻 |
11 | 江尻宿名物 追分羊羹 | 名産 | 江尻 |
12 | 府中宿(駿府九十六ヶ町) | 史跡 | 府中 |
13 | 府中宿名物 安倍川餅 | 名産 | 府中 |
14 | 丸子宿名物 とろろ汁 | 名物 | 鞠子 |
15 | 丁子屋 | 史跡・名物 | 鞠子 |
16 | 慶龍寺 | 史跡 | 鞠子 |
17 | 間の宿宇津ノ谷 | 史跡 | 鞠子 |
18 | 十団子 | 文化・風習 | 鞠子 |
19 | 東海道宇津ノ谷峠越 | 史跡 | 鞠子 |
20 | 明治宇津ノ谷隧道 | 史跡 | 鞠子 |
21 | 蔦の細道 | 史跡・名勝 | 鞠子 |
22 | 坂下地蔵堂 | 史跡 | 鞠子 |
23 | 蘿径記碑 | 史跡 | 鞠子 |
24 | 十石坂観音堂 | 史跡 | 岡部 |
25 | 岡部宿大旅籠柏屋 | 史跡 | 岡部 |
26 | 岡部宿本陣址 | 史跡 | 岡部 |
27 | 東海道松並木(内谷地区) | 史跡・名勝 | 岡部 |
28 | 史跡田中城下屋敷 | 史跡 | 藤枝 |
29 | 大慶寺 久遠の松 | 史跡・名勝 | 藤枝 |
30 | 飽波神社大祭の奉納踊り | 文化・風習 | 藤枝 |
31 | 瀬戸の染飯 | 名産 | 藤枝 |
32 | 東海道松並木(上青島地区) | 史跡・名勝 | 藤枝 |
江尻宿とは?
江尻宿(えじりしゅく と読みます)は東海道18番目の宿場町で、旅籠数は50を数え、現在の静岡県清水区の静岡鉄道の新清水駅の近くにありました。江尻とは近くを流れる巴川の下流(尻)に位置するからその名がつけられており、巴川の河口にある清水湊は江戸時代には駿河・甲斐・信濃からの年貢米が集まり、ここから江戸に向けて送られており、また西国からの物資の中継地点として栄えました。
10.三保松原
三保松原(みほのまつばら と読みます)は、静岡市清水区の三保半島東部にあり、約7㌔の海岸線に5万4000本の松が生い茂る白砂青松の景勝地です。佐賀県の虹の松原、福井県の気比の松原とともに日本三大松原の一つとされています。
駿河湾を挟んで望む雄大な富士山は絶景で、古くから和歌や浮世絵の題材として取り入れられてきました。歌川広重の東海道五十三次の江尻宿の浮世絵では三保松原が描かれています。2013年には富士山の構成資産としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
昔、松平健さん主演の「暴れん坊将軍」という時代劇がありましたが、そのオープニングで富士山をバックに主人公の将軍吉宗が白馬にまたがって砂浜を駆けるシーンがありましたが、その撮影場所が三保松原だったようです。
三保松原は羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があります。
この羽衣の松は現在は三代目です。二代目は樹齢650年で高さ約10㍍、外周5㍍あったクロマツでしたが、立ち枯れが進んだため、2010年に近くにあった別の松を三代目に認定しました。二代目の松は2013年に約3㍍の幹を残して伐採されました。なお初代は1707年の富士山の宝永の大噴火によって海に沈んだと伝えられています。
羽衣の松の正面に「エレーヌの碑(羽衣の碑)」という石碑が建てられています。これは日本の「能」に魅せられる中で「羽衣伝説」を知り、これを題材にした「羽衣」を発表したフランス人舞踏家エレーヌ・ジュグラリスを称えて建立されたものです。彼女は三保松原に憧れていましたが、病気のためその夢が叶うことなく35歳の若さで亡くなってしまいます。
エレーヌの遺志を継いだ夫のマルセル・ジュグラリスは彼女の衣装と遺髪を持って来日し、この秘話に感銘を受けた地域住民は1952年にエレーヌの功績を称え石碑を建立し、碑の袂にはエレーヌの遺髪が納められています。
三保松原については過去にも記事にしています。
三保松原は2011年以来9年ぶりに訪れました。2011年は冬に訪問しましたが、今回痛感したのは、三保松原のような富士山🗻をバックにする景勝地は冬に訪れるべきだと思います。ただし写真を撮るときに限りますが・・・。夏だと富士山は見えるには見えますが、雪は積もっていないので写真映えはしません。富士山をバックにした写真をこの記事にも掲載しましたが、冬のものと比較するとどうしてもインパクトが弱くなりますね!!
ちなみに2011年に行った時の写真で、富士山をバックにした三保松原の写真はあるにはありますが、子供が映っているため、申し訳ないのですが、このブログでは掲載することが出来ません。
11.江尻宿名物 追分羊羹
追分羊羹(おいわけようかん と読みます)は、1695年創業の老舗で東海道江尻宿の名物として300年以上愛されてきました。江尻宿の西、東海道と清水港の分岐点にある追分で売られてきたことからこの名前が付けられました。追分羊羹本店の横には「是より志三づ道(これよりしみずみち)」と彫られた道標が残されています。
追分羊羹は江戸幕府三代将軍家光の時代に、箱根の山中で旅の途中で倒れた明の僧を先代が介抱し、そのお礼として羊羹の製法を伝授されたことが起源とされています。
製法は餡を竹皮で包み、竹皮ひもで結んで蒸しあげるもので、実際に追分羊羹を食べてみましたが、あまり甘くなく、羊羹というよりはむしろ名古屋のういろうに近い感じがしました。
これはこの記事を書くためにいろいろと資料を見ていてわかったのですが、追分羊羹本店がある静岡市清水区入江町は「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこさんが生まれ育ったところでした。「ちびまる子ちゃん」は1970年代の静岡市清水区入江町が舞台となっており、追分羊羹本店もコミックの表紙を飾ったこともあります。(何巻かはわかりませんでしたが・・・。)
府中宿とは?
府中宿(ふちゅうしゅく と読みます。)は東海道19番目の宿場町で、旅籠数は43あり、駿府城の城下町でもありました。当時の人口の規模からすれは東海道では最大規模の宿場町で、現在の静岡市葵区、JR静岡駅付近にありました。なお府中宿は東海道中膝栗毛の作者である十辺舎一九の生誕地でもあり、主人公の弥次さんも府中宿の出身だと設定されています。
12.府中宿(駿府九十六ヶ町)
府中宿のある駿府は、駿河国の国府が置かれたことから駿府、あるいは府中と呼ばれていました。その歴史は古く律令の時代から駿河の国の国府が置かれ、室町時代から戦国時代にかけては今川氏の城下町として栄えました。今川氏は京の都を模して、街づくりを行っており、現在でも静岡市内には京都と同じ地名や町名が残っています。
駿府はまた徳川家康が幼少期を過ごした場所とも知られ、家康公は江戸幕府を開いた後は、将軍職を嫡男の秀忠に譲り、隠居する形で駿府城に入場し、駿府でいわゆる大御所政治が展開されました。家康が‟大御所”として駿府に君臨していた時代は、駿府九十六ヶ町(すんぷきゅうじゅうろくちょう と読みます。)と呼ばれる街区が整備され、大いに栄え、上方、江戸に並ぶ大都市となりました。
府中宿があったあたりには、往時の繁栄を偲ばせる史跡・旧跡が多く残されており、ここではその代表的な駿府城と静岡浅間神社を紹介したいと思います。
12-1 駿府城・駿府城公園
駿府城は徳川家康により1589年に居城として築城されました。その後豊臣秀吉により家康は関東に移封されましたが、江戸幕府開設後、将軍職を秀忠に禅譲した後、 駿府に隠居し、駿府城の大改築に取り掛かります。1607年にほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が完成しました。
現在、城址には静岡県庁があり、また本丸と二の丸の城跡が駿府城公園として整備されています。
駿府城公園を初めて訪れたのは2001年の9月ごろだったと思います。それ以来1回も来ていなかったので、今回の訪問は実に19年ぶりとなります。あの頃はSLが置いてあったことを覚えています。
公園内には紅葉山庭園と呼ばれている庭園もありました。紅葉山庭園の歴史は意外と新しく、完成したのは2001年で、駿河の国の名勝を織り込んだ4つの庭を中心に城郭の大名庭園に見られるような、遊びと楽しみをベースに作られました。
公園には徳川家康公の銅像があります。静岡市内に3か所あるうちの一つで、この像は晩年の家康公の像だとされています。
駿府城公園を出て、お堀に沿って歩いていると、弥次さん喜多さんの像もありました。ただ写真を撮っているときには気が付かなかったのですが、喜多さんの顔のマスクがか掛けられていました。
12-2 静岡浅間神社
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は、静岡市郊外、静岡の地名の由来となった賎機山(しずはたやま)の麓にあり、「おせんげんさん」として広く市民に親しまれています。
静岡浅間神社の正式名称は神部神社・浅間神社・大歳御祖神社(かんべじんじゃ・あさまじんじゃ・おおとしみおやじんじや)で、名前の通り3つの神社からなり、静岡浅間神社は総称になります。
神部神社と浅間神社は写真で見る通り、本殿も拝殿も両者共通のものとなっています。
静岡浅間神社の歴史は古く神部神社は約2100年前、大歳御祖神社は約1700年前、浅間神社は901年に鎮座されたといわれています。また静岡浅間神社は徳川家康のゆかりの神社でもあります。家康は幼少の頃に今川氏の人質として近くの臨在寺に預けられており、1555年には静岡浅間神社で元服式を行っています。大御所時代の1607年には天下泰平・五穀豊穣を祈願して、稚児舞を奉納したとされており、この稚児舞は形を変えて、現代でも残っています。静岡浅間神社で毎年4月初旬に開かれる廿日会祭(はつかえさい)の最終日に稚児舞が奉納されています。
静岡浅間神社の境内には神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに、境内社として麓山神社(はやまじんじゃ)、八千戈神社(やちほこじんじゃ)、少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)、玉鉾神社(たまほこじんじゃ)の4つの神社が鎮座されており、境内にある7つの神社すべてを参拝する七社参りをすると願い事が叶うとされています。
この際ですので私も七社参りをしました。願い事はもちろん「新型コロナウイルスの早期の終息」です!!
13.府中宿名物 安倍川餅
安倍川餅(あべかわもち と読みます。)つきたての餅に黄粉をまぶし、その上に白砂糖をかけたもので、江戸時代から安倍川の東岸の茶屋で売られていた東海道の名物です。現在では、黄な粉をまぶしたものとこし餡を絡めたものの二種類が一般的で、静岡県のお土産の定番となっています。
安倍川餅の由来ですが、江戸時代初期の頃、安倍川の上流には金山があり、幕府は御用金山として金を採掘していました。ある時、徳川家康が安倍川の岸の茶店に立ち寄った際、茶店の店主が機転を利かせて、つき立ての餅にきな粉を上流の金山でとれる砂金に見立ててまぶし、「安倍川の金な粉餅(きんなこもち)」として家康に献上しました。これに家康は大層感銘し、以来この品を安倍川にちなんで「安倍川餅」と名付けたとされています。
安倍川餅は歌川広重の浮世絵や東海道中膝栗毛にも登場しています。
おわりに
今回は記事を書くために三保松原と駿府城公園にしばらくぶりに行ってきました。ただ昼過ぎに出かけたため、外は気温が37℃を超える炎天下、とにかく暑い!!新型コロナウイルス感染予防対策で律儀にマスクを着用して歩き回りましたが、30分も歩くとマスクは汗でびっしょびしょになり、手で絞ると大量の水が滴り落ちてきました。
移動は車で行いましたが、この暑さの所為かはたまた車自体が古いのか、カーエアコンがあまり効かず、大変でした。幸い熱中症にはなりませんでしたが、やはり歳が歳だけにこのようなうだるような暑い日にはエアコンの効いた涼しい家の中にじっとしておくのが一番だなあと実感いたしました。
次回はこのシリーズの最終回、蒲原宿、由比宿、そして興津宿の構成文化財について記述したいと思います。これらの宿は現在のJR東海道線の駅名がそっくりそのまま残っています。私はまだ蒲原と由比には行ったことがありません。ですので取材(?)に行くのを楽しみにしています。ただ今回みたいに炎天下の中の取材は御免被りたいので、次回は朝早くに出かけて、少なくとも午前中には自宅に帰ってきたいと思います。
参照:Wikipedia 江尻宿、清水港、羽衣伝説、三保の松原、追分羊かん
しずおか東海道まちあるき 三保松原、追分羊かん本店、府中宿、駿府城公園
歩く東海道53次 江尻宿、府中宿
東海道300年の味 追分羊かんへようこそ
駿河歩人 江尻宿、府中宿
写真:無料写真素材 写真AC 富士山と清水 kaz2
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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