五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

ある週刊誌の記事を読んで

 最近は仕事が閑散期のせいもあるが、休日も多いし、割かし早く上ることができる。(繁忙期の時は、そうもいかない。朝7時出勤、夜10時退社がほとんど)晩御飯ができるまで、子供たちと遊ぶ様にしているのだが、たまに子供たちが遊び疲れて寝ているときがある。そんなときは、PCにむかうか、近くのコンビニへ行って雑誌を買って、晩御飯までの時間を過ごしている。

 昨日買った週刊誌、アサヒ芸能に興味深い記事があった。(大衆誌と侮ってはいけない。鋭い切り口で現代社会を批評している記事もあれば、マーケティングに参考になるような記事もある。ちょっとHな記事もあるので女性従業員がいるレジに持っていくのは照れる)

 格差社会TV局についての記事で、それによるとTV業界こそ「格差社会」の権化で、頂点を君臨するTV局と番組制作を請け負う制作会社の各々社員の待遇の差は天と地ほどあるという。同じ30代後半の社員で、局の人間は年収が1500万あるのに、制作会社サイドは300万しかないという。(森永さんという経済評論家がかつて年収300万で暮らすという本で話題になったが、この人は実際にはものすごくお金を稼いでいた。何か貧乏人はつべこべ言わず我慢しろといわれているみたいで気分が悪くなった。)今では、TV業界において制作費を節約するために制作会社に制作を請け負う形が出来ていて、TV業界の人は請負主という強い立場で下請けの人たちをこき使うそうである。(週刊誌の記事だけで実際どうかはわからない)

 報道番組も同様で、ここでは制作会社に代わる物としてフリーのジャーナリストが存在する。特に紛争地域の取材がそうで、自社の報道局は自分の所の社員に万が一のことがあることを恐れ、フリーのジャーナリストを使う。かつてイラクでフリーのジャーナリストが人質になったことがあった。TV局は、一斉に非難し、処刑された時は自己責任であることを強調した。記事では、その件についてフリーのジャーナリストの怒りのコメントを載せている。「散々利用しておいて、労う言葉もないのか」と。

 何日か前だが、あるバラエティ番組を何気に見ていた。(私はバラエティ番組が嫌いでほとんど見ない。このときは晩御飯が遅くなり嫁がTVを点けっぱなしにしていた)あるコメディアンがドイツ・ワールド・カップに解説者として行きたいので、各TV局関係者をアポなしで訪ねて行き、嘆願するものだった。彼は断られても、相手の迷惑を顧みずドアをノックしたりチャイムを鳴らし続けるものだった。さらに、信じられないことに知り合いのコメディアンのところに行ったときには、断られたことや邪険にされたことへの腹いせかどうか知れないが(漠然と見ていたので詳しくは解からないが)あらんことか、知り合いが打ち合わせしている会議室やトイレにねずみ花火を投げつける始末、あまりにひどい内容だった。

 TV局の人はこういった番組を流すことに違和感とか良心の呵責を感じないのだろうか?もしそのコメディアンがワールド・カップに取材に行けたとしよう。それで何を取材するのか?もしそんなことをしたら、真剣に戦っている選手に対して失礼ではないのだろか?それともそう感じる私の方が間違っているのだろうか?最近、TVを含めマスメディアは、何かおかしなな方向に走っていくように思えてならない。

 参考文献:アサヒ芸能 6.22特大号より

 

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