五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

検察審査会とは?

 自らの無知をさらけ出すようで、恥ずかしいが、私はつい最近まで検察審査会というものを知らなかった。大学のそれも法科を出ているのに、情けないことだ。(言い訳をするようだが、法科でも学科は政治学科なので、法律を専門に学んだわけではないが)検察審査会という言葉、小沢一郎民主党幹事長の政治とカネの問題でメディアにより連日連夜報道されるので、嫌でも耳にする。

 検察審査会司法に民意を反映させるという目的で、戦後GHQの指示により成立したもので、選挙権を有する国民の中から無作為に、籤引きによって11名選出される。審査員の個人情報は秘匿され、また審議内容は非公開とされている。通常は申し立てにより審査を始める。この検察審査会、当初私は司法機関による検察当局のチェック機関だと思った。検察の捜査は密室内で行われているため、ややもすれば自白の強要や虚偽の報告がなされる可能性がある。それを公的機関が調査、審議し、自浄していくものだと感心していたのだが、実はそうではないらしい。不当な不起訴処分を抑制するための審査機関であるのだが、この検察審査会、調べるにつれ、ちょっと問題があるのではと思うようになってきた。

 検察審査会で審議され、起訴された事件はこれまでで1000件を超えるらしい。中には2003年の「高知白バイ衝突死事件」のようにまともなものもあるが、一方で逆に不幸な結果をもたらすものもある。その典型的な例が1974年の「甲山事件」である。犯人として保育士の女性が逮捕されたが、検察は不起訴とした。だが、検察審査会が「不起訴不当」を訴えたため、起訴され、最終的に女性は無罪になるのだが、その間20年あまりの月日が流れている。控訴、上告、差戻し、控訴と何回か裁判が行われたが、一度も有罪の判決は下されていない。貴重な青春時代を奪われ、しかも人格までも否定された女性に対し、この事件の起訴を決めた審査員はどのような気持ちを持っているのだろうか?贖罪意識はないのだろうか?

 これは裁判員制度にも言えることだが、人の一生を左右する裁判に関して、法律の素人の判断に任せていいはずがない。司法関係者はプロ意識はないのか。自分たちがまともな仕事をやってないから「審査」されるのであって、彼らには法律の「プロ」という意識がないのだろうか?また忸怩たる思いとか感じないのだろうか。裁判官、検察官、弁護士を養成するために、国はかなりの税金を使っている。そう考えると、検察審査会という存在は、司法当局の責任逃れのために作られたとしか、私には見えてこない。

 検査審議会、裁判所のホームページには、「申し立てがなくても、新聞記事をきっかけに審査されることもある」と記されいる。これは考え方によっては恐ろしいことだと思う。新聞記事が常に正しいとは限らない。中には悪意を持って捏造されたものもある。それを鵜呑みして「冤罪」が拡大再生産されることも考えられる。審査員は、個人情報を秘匿され、審議内容も公開されない。ではもし裁判の結果、無罪だった場合は、誰が責任を取るのだろうか?「甲山事件」の被告にされた女性の人生は取り返しのつかないものになってしまった。だが誰も責任を取ろうとしない。お情けに損害賠償金が支払われているようだが、そんなもので償いが清算されて良い訳がない。

 さて、小沢一郎元幹事長である。個人的には小沢さんには良い印象は持っていない。特に昨年の新人議員を引き連れて中国を訪問し、国家元首胡錦濤に謁見したが、このような朝貢外交には憤りを感じる。だが今回の「強制起訴」に関しては、同情する。東京地検特捜部の捜査で何回も不起訴になっている事件を、「市民感覚」という曖昧な理由で起訴することが許されていいのだろうか?しかも小沢氏を取り調べたのは、大阪地検のでっち上げ捜査をした検事である。捉え方によれば、インチキをしてでも罪を着せようとしても、駄目だったことになると思う。この起訴を審議した審査員は平均年齢が31歳だといわれているが、籤引きで無作為に選出されたのならどうしてこう年齢が若いのかが不思議だ。社会経験も未熟で、法律の知識もない者がまともな審査ができるとは到底思えない。この件は作為的なものを感じざるを得ない。

 ある日当然、何もやってないのに警察がやってきて逮捕される。そういう恐怖が実は目の前にある。そのことを頭に入れて置かなければならない。そんな時代になってしまった。 

 

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