五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

銃よさらば?

 ちょっと前のお話になりますが・・・。

 米国カリフォルニア州サンバーナーディーノで今月2日に起きた銃乱射事件は、死者が14名に上る悲惨なものになりました。米国では今年だけでも銃乱射事件が353件も発生しており、乱射事件に限らず銃による死者数は年間10000人を超えているそうです。死者数だけを見れば、米国では交通事故で死亡する人より銃による死者のほうが上回っており、1992年には日本人留学生の服部剛丈さんがルイジアナ州バトンルージュで射殺されるという痛ましい事件があったことも未だ記憶に新しいことです。

 日常生活では必要とされないが蔓延する米国社会、何でも個人所有の銃が約2億7000万丁あるとされており、まるで西部劇の時代を彷彿とさせます。銃など一生のうちにまず目にすることのない私たち日本人にとっては到底理解することはできません。そんな中、産経新聞のコラム記事に面白いことが書いてありました。以下引用です。

 米カリフォルニア州で14人が死亡した銃乱射事件を受けて、銃規制を求める声が再び上がっている。当然だろう。ニューヨーク・タイムズは5日、1920年以来95年ぶりという、1面に掲載した社説で「銃の蔓延は国家の恥辱」と訴えた。

 もっとも、日本から見てどうにも理解できないのは、同時に銃器の売り上げが伸びている事実である。これまでも銃の乱射事件が起きるたびに、同じ現象が見られてきた。悲惨な事件は、国民の自衛意識を逆に刺激するようだ。

 年明けには、24時間放送の銃器専門ショッピングチャンネルまで、お目見えするという。オバマ大統領は、銃規制の強化を訴え続けてきた、その在任中に、かえってより多くの銃が出回るという、皮肉な事態を招きかねない。

 規制に反対する人たちが後ろ盾にするのは、憲法である。1791年に制定された、合衆国憲法修正第2条にはこうある。「規律ある民兵は自由国家の安全にとって必要であり、武器を保持し、かつ武装する人民の権利は侵害されてはならない

 武器を保持する権利が認められているのは、組織としての民兵か、個人としての市民なのか、条文の解釈について長年論争が続いてきた。2008年には、全米で最も厳格とされる首都ワシントンの銃規制について、連邦最高裁違憲判決を出している。つまり、自衛のために個人が銃を所持する権利は、憲法で認められていると、明確に判断したわけだ。

 英国の植民地から独立してまもなくという、200年以上も前の憲法の条文が、凶悪犯罪とテロの温床になっている。時代遅れの憲法が、国民の安全を脅かす。つまり、憲法第9条をめぐって不毛な議論が続く日本も、同じ悩みを抱えている。

                          産経新聞 2015年12月7日 産経抄より引用 

  24時間放送の銃器専用チャンネルには驚きで、ネットでは「今買うともう1丁おまけ」という笑えないジョークも囁かれています。 ちなみに米国ではライフルは18歳以上、拳銃は21歳以上から購入ができるそうで、特に南部のテキサス州は銃規制が緩い州として有名らしいのですが、そこでは何と5歳の子供に銃の撃ち方を教えるそうですから、驚きを通り越して戦慄さえ感じます。米国の1人当たりの銃所持率は世界で最も高く、当然のように銃による死亡率も世界で最も高いといえるでしょう。

 なぜ米国が想像を絶する銃社会なのか?歴史的、文化的、そして政治的な要因が幾重にも重なり合って、米国社会を蝕み、銃規制を大きく妨げています。米国でも銃規制の動きがなかったわけではなく、1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件を契機に1980年代後半からは、銃規制運動が高鳴り始め、1993年には81年の事件で大統領を護り負傷した大統領補佐官の名前にちなんだブレイディ拳銃管理法(ブレイディ法)が制定されました。しかし10年も持たず、2004年に失効していることから、米国社会には銃規制に反対する勢力がいかに根強いかを物語っています。

 全米ライフル協会(NRA)は銃規制に反対するロビー団体で知られ、歴代大統領も会員になっていますが、彼らが根拠とするのが引用した産経抄の記事にある合衆国憲法修正第2条。200年以上も前にできた法案を後生大事にし、しかもそれを拡大解釈する風潮はまるでどこかの国を思い起こさせますが、どこかの国はその法案ができる200年も前に刀狩りを行い、庶民の武装解除を実施しています。そのどこかの国である日本、豊臣秀吉の刀狩、実際は刀以外の武器の所有は禁じてはいなかったのですが、庶民が武器を取らずとも武士という支配階級が治安を維持し社会秩序を構築できたことを鑑みれば、日本は文化的に見て米国よりはるかに進んだ社会だったといえるのではないでしょうか?

 合衆国憲法修正第2条は、ヨーロッパの啓蒙思想、主にモンテスキュー三権分立に影響を受け、1つの国家に複数の権力が存在することで、専制的な政治体制を抑制するものとし、そのための「民兵」の存在は権力の集中を防ぐ意味で必要不可欠される考え方でした。しかし現在ではそれが個人に拡大される傾向にあります。産経新聞の記事にもあるように2008年の判決は憲法が「個人の銃の所持する権利」を認めた訳で、つまりNRAにとってはお墨付きをもらったこととなり影響力を強固なものにすることになったと言えるのではないでしょうか?

 さらに言えば、米国にはフロンティア・スピリッツの時代から、「自分の身は自分で守る」いう精神が今でも国民の間に根強く残っていると謂われています。銃はそのための必需品。ですから日本人の感覚で「銃はけしからん!」と銃規制を訴えても、米国人にとって銃を失うことは丸腰で相手に当たることを意味する訳で、それは米国人にとっては受け入れ難いことになります。だからでしょうか、凶悪な銃犯罪が起こるたびに銃器の売り上げが増加するそうですから皮肉なことです。

 いずれにせよ、米国では銃規制は遅々として進まず、たとえ今回の事件よりもはるかに凶悪な銃乱射事件が発生しても、米国の銃社会が変わるということはまずないでしょう。

 コラム記事の最後は日本国憲法第9条を持ち出し、時代遅れの憲法と皮肉めいたことで締めくくるのは如何にも産経新聞らしいですが、日本国憲法の前文に以下のような文章があります。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安 全と生存を保持しようと決意した。

 日本国憲法マッカーサーが率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)主導により作られました。ここで憲法について言及するのは差し控えますが、果たして米国が憲法の前文にあるような平和を愛する諸国であるのか?況や南シナ海で狼藉を働く中国は?そうしたことを今一度考え直す時期に来ているのではないでしょうか?

 

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参照:Wikipedia アメリカ合衆国憲法アメリカ合衆国の社会、アメリカ合衆国の銃規制

        ブレイディ法、銃社会

   Wikisource アメリカ合衆国憲法

   産経新聞 2015年12月7日付 産経抄

   AFPBB NEWS 米、銃器の通販専門チャンネル「GunTV」開局へ 

   THE HUFFINGTON POST 2015年12月13日付 

          なぜアメリカは銃を廃止できないのか Howard Fineman 

  NAVER 日本が銃社会にならなかったのは豊臣秀吉のおかげだった!

写真:無料写真AC 2丁の銃 ガワス

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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