私は勤務先のある工場までマイカーで通勤していますが、車内ではたいていNHKのAM放送を聞いています。朝の早い時間帯の放送「マイあさラジオ」では童謡とか唱歌がかかることが多く、その歌詞やメロディに聴くにつけ、何となくですが心が癒されています。2週間ほど前でしたか、「灯台守」という曲がかかりました。この「灯台守」という曲は特に思い入れがある曲で、というより実は私は高校生の頃、「灯台守」という職業に憧れを抱いていました。
この曲、もともとクリスマスキャロルとして歌われていたアメリカの讃美歌「天(あま)なる神には」に1947年に勝承夫(かつよしお)さんが詞を書いたもので、当時の小学校5年生向けの音楽の教科書に掲載されました。なかなかの名曲ですが、残念なことに最近では音楽の教科書には載っておらず、この曲を耳にすることがめっきり減ってしまいました。時代の流れとはいえ悲しいことです。
日本の灯台は現在は海上保安庁が管轄しています。日本で最初に灯台として記録にあるのは、839年(承和3年)に遣唐使の船が目印としてわかるように、九州各地の峰で火を焚かせたのものとされています。建設が確認できる最古の灯台は、鎌倉時代に今の大阪市住吉大社の近くに造られた高灯籠でした。江戸時代に入り海運業が盛んになると、日本式の灯台である灯明台や常夜灯が岬や港に近い神社の境内などに設置されるようになりました。その頃の灯台は「かがり屋や」とか「灯明台」とか呼ばれており、石詰みの台の上に小屋を建ててその中で火を燃やしたものだったとか。なお航路標識として海上保安庁から正式に承認されている最古の灯台は1858年に兵庫県西宮市に建設された今津灯台だそうです。
灯台が今のような形になったのは明治に入ってからで、1869年(明治2年)に日本最初の洋式灯台である観音埼灯台が現在の神奈川県横須賀市に建設されます。観音埼灯台を着工した11月1日が灯台記念日となっています。その後海運業の発展で航路標識の整備も行われてましたが、それでも第二次大戦時までは欧米と比較して灯台の数はかなり少なかったようです。戦後高度成長の呷りを受け灯台の数も飛躍的に増加、現在では3348基を数えるそうです。
灯台守とはその名の通り、灯台に滞在して船舶が安全に航行できるように、灯台の維持・管理をするのが仕事で、灯台もしくは灯台の近辺の家屋に単身もしくは家族で住んでいました。住んでいましたと過去形なのは、灯台の無人化、自動化が進み、2006年12月の長崎県五島列島の女島灯台を最後に国内の灯台守が消滅したからです。
灯台守を主人公とした有名な映画は木下恵介監督の1957年の作品である「喜びも悲しみも幾歳月」。日本の海の安全を守るために日本各地の灯台を転々としながら厳しい生活を送る灯台守の夫婦の戦前から戦後に至る25年間を描いたこの作品、公開当時から大ヒット作となり、後年テレビドラマ化されたり、リメイク版も作られたりしました。
この映画の主題歌が若山彰さんの歌うタイトルと同じ曲名の「喜びも悲しみも幾歳月」。出足のフレーズ「~おいら岬の灯台守は 妻と二人で~」は有名ですね。なんでも作詞・作曲は木下監督の弟さんがされたそうです。
ただ私はこの映画も主題歌も高校生の時には全く知らず、憧れの灯台守をイメージしたのはこの曲からでした。
合唱曲「風になりたい」、もう40年近く前ですが、中学校の合唱コンクールで歌いました。確か全校優勝して、市の合唱コンクールに出たんじゃなかったかな?
この曲の歌詞の中にこんな一節がありました。
風になりたい 風になりたい
南の国の 風になりたい(中略)
岬の白い家に住む
燈台守をたずねたい作詞 喜志 邦三
高校生だった私は「灯台守」という職業に何処となく牧歌的なイメージがありました。当時は高校生活というかクラスの人間関係に馴染むことができずにいたので、そういう自分自身の社交性のなさや将来を悲観して、鬱陶しい人間関係に悩まずに済む職業を探していました。そうしてたどり着いたのが「灯台守」。考えてみれば現実逃避というやつで、「灯台守」の人から見れば思い違いも甚だしく、不愉快極まりなくぶん殴られても仕方がないガキでしたね。私は・・・・。
東京の大学に入り(これも今考えれば現実逃避なのですが)、「灯台守」という職業がいかに厳しく、生半可な覚悟では無理だという厳しい現実を知り、自分のようなヘタレには到底無理だと悟ります。
それから人間関係に悪戦苦闘しましたが、何とか就職でき、また幸運にも結婚もして2人の子供を授かり、現在に至っています。あと数年に迫った定年を前に振り返ってみます。どうでしょう?自分自身少しは人間として少しは様になったのかなあ!?高校生の時に比べて、少しは社交性も身に着いたかもしれませんが、うまく人間関係を築けないのは当時とそんな変わってないような気がします。ただ幸せか不幸せかと問われると、それは間違いなく「幸せ」と言えると断言できます。
下の写真は御前崎灯台、今から12年近く前のちょうど今くらいの時期に撮ったものです。その当時から御前崎の灯台は無人だったのですね。
子供と一緒に灯台のてっぺんまで上りました。晴れてはいましたが、春の名のみの風の寒さや、また階段が思ったより急で、時折吹く強い風に娘が怖いといったような記憶があります。
娘は当時幼稚園の年中、それから3か月くらいして私たち家族は福島へ引っ越しました。
当時の記事です。これも今や塩漬けの私の第二ブログから・・・。
ちなみにNHKラジオの朝の番組「マイあさラジオ」のURLです。みなさん、いいお声をしておられます。
参照:Wikipedia 灯台守、喜びも悲しみも幾歳月、灯台
世界の民謡・童謡 灯台守
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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