五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

恐怖のナンバー“66”

今週のお題「ゲン担ぎ」

  2月も立春になり、暦の上では春になります。しかし今年の日本列島は各所で激しい寒波に襲われ、いたるところで何十年ぶりの寒さのようです。ここ当地藤枝市も例外にもれず、今年の冬は何回も雪が舞うのを見ましたし、車のルーフにはうっすらと雪が積もったりもしました。この寒さの影響か、娘が体調を崩してしまい、先週は学校を一週間ほど休んでしまいました。今は何とか回復しましたが、元々あまり体が丈夫ではないので、この寒波が続く限り少々不安です。

  さて今回の記事も「今週のお題」からのネタを拝借させていただきました。最近は記事にしたい話題もなく、でも記事を更新しなければという焦りもあるので、そんな時にこの「今週のお題」はとても重宝しています。前回もそうでしたが、今回もこれなら短時間で仕上げることができるなと思い、記事にすることにしました。(とは言うものの前回は結局記事にするまで5時間ちょっとかかってしまいましたが・・・!?)

 「ゲン担ぎ」、私はズボラなのですが、かなり神経質なところがあり、無意識に結構な数の「ゲン担ぎ」をしていると思います。今はちょっと思い浮かばないのですが、何気に行動に移してしばらくたってから「これってひょっとして“ゲン担ぎ”なのでは?」と思われることがしばしばあります。

 そんな中、唯一意識してやっている「ゲン担ぎ」があります。それは車を運転中に走行距離を表示するオドメーターの数字で、“66”という2桁の数字が出現するのを見ないようにすることです。これって一般の人からすれば理解不能なことだと思います。

 私は普段は通勤で車を使っており、走行距離にして往復で70㌔くらいになります。車で走行中何気にオドメーターを見るのですが、やたら下2桁の数字が「66」になっていることが多く、「66」の数字を見たときに仕事上トラブルが多いことに気付きました。

 数字の「6」に対して嫌悪感はないのですが、「66」とか「666」とか「6」が並ぶのは好きではありませんでした。それは「オーメン」という映画を大学生の時に見て、強烈なインパクトと恐怖心を憶えたからで、映画に絶えず出てくる悪魔と「666」の数字に対して、自分の中で「6」に対するイメージを悪い方向に構築してしまったのだと思います。

オーメン666 (字幕版)

オーメン666 (字幕版)

 

  「666」は「13」と並び、キリスト教世界においては悪魔の数字とされています。根拠となったのは新約聖書に編集されたヨハネの黙示録、その13章18節には以下のように記されています。

 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。

 ヨハネの黙示録によると、世界が終末を迎える時、全人類を破滅に導く「獣」と呼ばれる暴君が現れ、その名前は「666」で表されるとされています。キリスト教世界では古来よりアルファベットと数字を結びつける“ゲマトリア”という秘術があり、「666」は週末に現れる暴君のアルファベットの合計を表すそうです。どうしてアルファベットと数字が結びつくのか、頭が悪いのであまりよく理解できなかったのですが、「666」で示された暴君として、これまでローマ帝国時代の皇帝ネロナチスドイツのヒットラーの名前が挙げられているようです。

 また欧米では「666恐怖症」というものもあるようで、有名な例では1979年にレーガン元米国大統領が引越しをした際、引っ越し先の番地が666だったのを668に変更させたり、2003年には神学校の電話局番が666だったのを変更させた例、さらに2006年6月6日に産まれること(06/06/06になるから)を心配した女性も多かったと言われています。日本でも「4」と「9」の数字は「死」とか「苦」と読めることで忌み嫌う傾向にありますが、欧米においてもこういうことがあるというのは、数字と言葉の読みに関する語呂合わせというのは万国共通なのだなあと感心しています。 

 私は敬虔なクリスチャンではありません。敬虔とは程遠いのですが、実は私は仏教徒で、実家が日蓮宗を信仰している関係から、今いる借家には簡単ではありますが、経机を買って、その上に本尊と花立、香炉と火立と鈴を乗せた粗末な仏壇のようなものを拵えて、その前で毎日(たまにはさぼる日も多々ありますが・・・)法華経を読経をしています。また日蓮上人が晩年を過ごしたとされる山梨県身延山にはこれまで何回か足を運びました。私には「宗教は集団化すると堕落する」という信念(?)みたいなものがあるので、宗教活動は一切やっていないし、家族にも強制はしていません。あくまでも信仰は個人の問題であると考えており、徒党を組んで活動する宗教団体は到底理解することはできません。ましてや政治活動など言語道断だと思っています。

 

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身延山久遠寺本堂 2016年春撮影

 仏教には、“六道輪廻”とか“六波羅蜜”とかの用語もあるように「6」という数字は重要な数字とされています。ですので、本来ならば「6」が重なる「66」とか「666」とかは重宝されるべき数字です。仏教徒を名乗るうえでは、「6」という数字にこだわる必要は本来はありません。むしろいい意味での「ゲン担ぎ」をするべきかもしれません。また実際に悪いことが起こるのも「66」を見なかった時でも頻繁に起こっているはずです。

 しかし偏見なのか、細かいことを結構気にする性格なのか、私は「オーメン」の影響で、キリスト教世界が持つ「666」という数字のインパクトに深刻に毒されてしまったようです。そうなってくると「666」という数字を持つ悪い影響をどうしても拭い去ることができず、オドメーターが「6」が重なる「66」に近づくと目を逸らすという不可解な行動をとるようになってしまいました。ちなみ私は中学校の時にバレーボールの選手でしたが、その時の背番号はどういう訳か「6」。振り返れば昔から私は「6」という数字に縛られてきたかもしれませんね。

 話を戻しますが、前にも述べたように自宅から勤務地までの走行距離は往復で70㌔、単純計算でいくと、1.5日に1回、下2桁の「66」が現れる計算になります。「66」が現れる寸前、だいたい数値が「61」位になると、できるだけオドメータースピードメーターの方に目を向けないようにします。私はかなりのヘビースモーカーで、当然のことながら車内で喫煙しています。煙草の灰を落とす際に、オドメーターの数値が目に入る可能性もあるので、これも数値が「61」位になると煙草を吸うことを止め、前だけを見て運転します。

 「66」を見ないように慎重にしていても、無意識のうちに「66」の数字を見ることがあります。そんな時はさあ大変!? 行きの車中で見た場合は、 会社に着くなり普段よりも数倍くらい慎重に行動し、トラブルを招くような言動を極力控えて普段以上に無口になります。帰りに見た場合は、翌日に同じ行動をとります。でもそうやっても精進した行動をとったとしても、確率的に見ると大抵はろくでもないことは起きてしまいますけどね!?

 オドメーターの数字で、「12345」と「111111」とかの数字が並んだり、ぞろ目が揃うのが気になる人は、どのくらいかは定かではありませんが、いるようです。それも男性の方の方が女子の方より関心が高いようです。私もご他聞に漏れずそのタイプで、その記念すべき数字が出現するのを見るために、数値が近くなると頻繁にオドメーターに目を向けています。

 「66」を見ないようにしていると、実は下2桁「22」も何気に見ることが多いことに気付きました。ただこちらに関しては、「66」とは違って、出現を見ることを意識して行っています。別に「22」を見ることでいいことが起こったってことはありませんが、何故だかはわかりません。「2」という数字が特別に好きだという訳でもありません。単なる気まぐれですが、そうなってくると「66」という数字が不憫に思えてきます。でも悔い改めて「66」の出現を見ようと思い直すことはありませんけどね・・・!?

 

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参照:Wikipedia 666、666恐怖症

   犬耳書店 人体に刻まれた奇跡の数字「六」の謎

写真:無料写真素材 写真AC 車 くりりん

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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