GWが一昨日から始まり、世間では多い人で9連休とか取れるようですね。さらに言えば、今国会の審議を拒否している野党6党の方々は“17連休”だそうですね!! 何とも羨ましい限りです。そういえば、セクハラで辞職した財務省のお偉いさんの退職金が多すぎると彼らは叫んでいるようですが、むしろ国会をさぼってコスプレのような不可思議な行動をしている彼らに払う給料のほうが、件のお偉いさんの退職金よりもはるかに高額だと思うのですが、どうなんでしょうねえ?その点をマスコミは追及し、せめて苦言だけでも呈してほしいと思いますよ!! 私のような小市民にとっては、例え野党であっても国会議員の先生方はまさに権力そのものです。マスコミはその“権力の監視役”としての責任は果たしてほしいと願っております。
-この記事の目次-
- GW、私の場合は?
- 昨日は“昭和の日”でした。
- “昭和の町”、私の生まれ故郷にあるテーマパーク
- 時代は変わり、モノも変わっていく。
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ①~電話
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ②~マッチ
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ③~オーディオ関連
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ④~卓袱台
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑤~汲み取り式の和式トイレ
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑥~井戸
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑦~オート三輪
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑧~フロッピーディスク
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑨~缶切り
- 今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑩~写ルンです
- おわりに
- “昭和”に関連するグッズです!!
GW、私の場合は?
今年のGW、私の場合は前半の一昨日・昨日・今日はお休みなのですが、GW後半は違う部署から応援要請があったため、急遽3日と4日は出勤になってしまいました。まあせっかくの大型連休と言っても、特にやることもありません。昔だったら子供たち、特に娘がわくわくして、「どこそこに行こう!!」とおねだりをしていました。最近は子供たちも大きくなり、GWのみならず、普段の休日でも一緒に出掛けるといったことは皆無になってきました。「親離れ」と言えばそれまですが、一抹の寂しさを感じています。(ただ子供たちは嫁とは一緒に買い物に行くんですけどね・・・!?)
昨日は“昭和の日”でした。
前置きは長くなってしまいましたが、昨日は“昭和の日”でした。一昔前は昨日の祝日を“みどりの日”と呼んでいましたが、2007年に祝日法が改正され「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨のもと、昭和天皇の誕生日である4月29日が改めて「昭和の日」として祝日に制定されました。昨日の産経新聞の社説の一部にこんな川柳が載っていました。
「ああ昭和 食えない 食える 食い飽きる」
これは平成17年の産経新聞の「テーマ川柳」欄に載った句で、それこそ“激動の日々を経て復興を遂げた”昭和の時代を「食う」というたった1つの言葉の変化を使って見事に表現しています。
私は昭和37年生まれです。上記の川柳でいえば、「食える」と「食い飽きる」時代を生きてきました。幼少期に高度成長期を迎え、ちょうど就職の頃にバブルを体験しました。(体験したと言っても、いい思いをしたことは皆無でしたが・・・)ですので、戦後日本の平和と繁栄を大いに享受した恵まれた世代だったと言えるでしょう。ただ平成の時代となり、世の中は今までのような安穏とした状況ではありません。かつて経済大国として世界に君臨した我が国ですが、今や中国の後塵を排しており、また安全保障の面においても重大な岐路に差し掛かっていると思います。私たちを取り巻く環境は厳しくなると予想されますが、今後は様々な情報に乱されることなく、自らの頭で考えて行動していくことが大切になってくるのではないかと、昨今の国会のドタバタ劇を見ててそう思いました。
“昭和の町”、私の生まれ故郷にあるテーマパーク
話は逸れてしまいましたが、昭和と言えば、私の実家がある大分県豊後高田市には“昭和の町”と呼ばれているテーマパーク(そのカテゴリーに含まれるかは微妙ですが・・・)があります。
地元の過疎化と大型ショッピングセンターの進出で閑古鳥が鳴いていた豊後高田市の中心部の商店街は、2001年からの村おこしで変貌しました。資金不足で建て替えがままならない家屋が多数残っていることを逆手にとって、昭和の郷愁が残る町並みとして再現し、そしてそれは今や年間の観光客が27万人を超える観光地になっています。2014年3月にはNHKの地域ドラマにもなっています。
私は結婚してから毎年帰省してはいたのですが、恥ずかしいことに2001年からの「昭和の町」の取り組みは殆ど知りませんでしたし、実際にこの「昭和の町」を歩いたのはドラマの見た2014年夏でした。その時の記事がこちらです。
時代は変わり、モノも変わっていく。
昭和の時代、特に戦後の高度成長期の時代は生活スタイルが激変した時代だったと言えます。高度経済成長時代、日本は技術革新により家電や自動車など今まで高嶺の花と呼ばれた物も手に入るようになりました。
昭和を経て平成へ。平成の世も来年には終了し、新しい元号の時代になります。その間技術革新は更に進み、昭和の時代に革新的とされた“モノ”も時代遅れとされ、今ではすっかり目にかかることも無くなったモノもあります。
昭和の時代には当たり前でしたが、今は役割を終えて目にすることが無くなった物を無料写真素材ACさんの写真とともに紹介してみます。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ①~電話
今は見かけなくなった“昭和”のモノの筆頭となるのはやはり電話機ではないかと思います。固定電話から携帯電話、携帯電話からスマホへ。通信技術の発展により電話機は持ち運べるものとなり、電話は一家に1台の時代から1人1台の時代となりました。ちなみに我が家でも家族全員がスマホを持っています。
上の写真の黒電話。昭和の時代はこれが普通だったと思います。私がまだ学生だった頃には、貧乏学生には電話は高嶺の花、下宿生活を送っていた多くの学生は、大家さんからの取次でした。
最近ネットでたまたま黒電話の事を話題にしていた記事があったのですが、最近の子どもは黒電話の使い方がわからないようです。何でもナンバーの下の穴に指を突っ込んで押していたそうです。
そういえば、最近では公衆電話も見かけなくなりました。スマホが公衆電話にとって代わり、残念ながら公衆電話も近いうちには無くなってしまうでしょうね。
その公衆電話ですが、上の緑の公衆電話のようなテレホンカードが使えるタイプが出たときは画期的でした。
公衆電話が姿を消すのと同時にテレホンカードもだんだんと見かけなくなってきましたね。娘にテレホンカードの事を聞くと、テレホンカードの存在自体を知らなかったようです。上の写真は我が家にあった貴重なテレホンカードです。まだ未使用です。このブログを書くために家中をテレホンカードを探したのですが、当初使用済みを含め5,6枚はあると思っていたところ、結局見つかったのはこの2枚だけでした。
そういえば最近は藤枝市近辺でも公衆電話を見かけることが少なくなりました。最後に公衆電話を使ったのはいつだろう?
ちなみに2017年現在で利用可能なテレホンカードは販売していないようです。
よくタバコ屋や下宿先にあったピンクの電話ですが、これも滅多に見かけませんね!! 何でも不正防止のために作られた歴史があるようです。
昔の携帯電話です。いわゆる“ガラケー”と呼ばれているもの、スマホの普及によりガラケー自体が無くなるのも時間の問題かもしれません。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ②~マッチ
マッチも今ではほとんど見かけることが少なくなりました。ライターや自動着火装置の普及と喫煙者の減少により、ピーク時の80分の1に生産が激減しているそうです。昔はどこの家庭でも常に何箱かをあったのに、隔世の感があります。マッチと言えば、子供の頃は火が怖くてなかなかマッチを擦って火を点けられず、よく両親から怒られたものです。ちなみにうちの子どもたちもマッチで火を点けることができませんでしたが、ガスコンロが壊れて自動で火を点けれなくなった時に付け方を教えたので、今では何とか火を点けることはできます。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ③~オーディオ関連
カセットテープが音楽用として普及したのは1970年代、昭和でいえば40年代後半から50年代にかけてで、ちょうど私の中高時代と重なります。FM番組で流れる洋楽を録音したり、レコードをダビングしたりと当時は200~300本くらいは音楽用として持っていたような気がします。カセットテープの銘柄や品質にも拘り、実際にはあまりわからなかったのですが、より良い音質を求めてメーカーから発売する新しいタイプのカセットテープを物色したものでした。
そのカセットテープですが、最近ではアナログ家電ブームが起きていて、カセットテープも信じられないことですが、若い人に人気なんだそうです。
ビデオテープももうほとんど見かけません。私はあまり裕福ではなかったので、録画できるビデオデッキを購入したのは平成になって4,5年が経ってからです。ですのでビデオテープの規格戦争の事は殆ど覚えていません。デッキを購入した時点でVHSのテープしかなかったと思います。そのビデオデッキもあまり使用することも無く、あっという間にブルーレイプレイヤーにとって代わりました。
初めてレコードを買ったのは、大分の実家にステレオが入った1976年(昭和52年)の秋でした。それからというもの少ない小遣いを貯めて、好きなアーティスト(その当時はそんな言葉はありませんでしたが・・・)のアルバムを買いました。
大学生になり、下宿生活を送るようになりましたが、音楽のない環境に耐えられずにバイトをしてまず買ったのは、レコードプレーヤーとアンプ、スピーカーといったコンポステレオ、あとで中古のチューナーを貰って、結婚して静岡に転勤するまでそのセットを使いました。
仕事が忙しくなり、あまり音楽を聴く機会もだんだんと減り、また音楽ディスクの普及もあり、レコードも次第に目にすることはなくなりました。2000年代に入ってから転勤の繰り返しだったので、思い切って使わなくなったコンポセットは捨ててしまいましたが、レコードだけは未だに押し入れの奥にしまっており、いつか聞ける日を待ち望んでいます。
私が最初に買ったレコードは3枚のアルバムでした。もう40年以上も前なので記憶は曖昧ですが、恐らくこの3枚だったと思います。ちなみに17センチのシングルレコードは殆どかった記憶はありません。
- アーティスト: ザ・フォーク・クルセダーズ,北山修,加藤和彦,ザ・ズートルビー,はしだのりひことシューベルツ
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1998/03/18
- メディア: CD
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
今は見かけなくなった“昭和”のモノ④~卓袱台
今の家庭のリビング状況は知りませんが、今でも卓袱台を使っている家庭はあるのでしょうか?Wikipediaによると生活の洋式化に伴い、ダイニングテーブルが普及し始めたのは昭和30年代、今ではほとんど家庭が卓袱台に代わってダイニングテーブルを使っているようです。かつては家庭団欒の象徴だった卓袱台、このまま無くなるのは残念な気がしてなりません。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑤~汲み取り式の和式トイレ
今では見かけなくなった“昭和”のモノを紹介していますが、これだけはもう使いたくないのがこの汲み取り式の和式トイレです。実をいうと、大分の田舎では2000年代まで汲み取り式の和式トイレでした。これ何が嫌だったかと言うと、とにかく臭い!! また夏の時期には蛆が涌くこともあり、いかにも不衛生でした。
排泄物が溜まっても、時期が来ないと排泄物を取り除くことができず、ある時は便器すれすれの位置まで排泄物があったこともあります。実家は農業をやっていたこともあって、業者に汲み取りを委託していませんでした。だから自分たちで肥桶を使って排泄物を汲み取って自宅の裏にあった畑に肥料として撒いていました。これを人に見られるのが恥ずかしくってねえ!! 裏の畑の側には文化住宅があって、4~5世帯が住んでいましたが、 今思えばよくクレームが来なかったかと思います。
また大の時、落ちどころが悪いと“おつり”が帰ってくることもあり、特に寒い冬などはそれはそれは耐えがたいものでした。
写真の上にあるのはお尻を拭くチリ紙を入れる箱のようです。そう言えば、チリ紙も最近では見かけませんね。どうやらチリ紙という言葉自体も死語になっているようです。大分の実家には離れがあり、そこには19世紀に産まれた祖母のお姉さんが住んでいましたが、その方は用を足した後にはチリ紙ではなく新聞紙を使っていました。子どもながらにお尻が痛くないのかなあと常々思っていました。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑥~井戸
大分の実家には井戸がありました。水道も引いてありましたが、夏の暑いときに行水をしたりスイカを冷やしたり、また父親が趣味の釣りで魚を捌くときなど当たり前のように井戸の水を使っていました。井戸水を汲むには釣瓶を使っており、そのため井戸は解放されていて、何メーターか下の底の部分が見えて、水を汲む時は井戸の中に落ちないように気を付けていました。
ある夏の暑い日、家に居ついた猫が井戸の中に落ちたことがありました。その顛末を過去の日記にも書いていますが、そのこともあって井戸にトタンか何かで上を覆い、それ以降は井戸を使うことはありません。
実家にあったのは釣瓶を使ったものですが、大概は下の写真のような手動のポンプを使って井戸水を汲みあげるモノも多かったようです。
上下水道の発達により、現在では井戸を新設することは殆どないようですが、このタイプの井戸はだんだんと見かけなくなっていくでしょうね。ただ“井戸を埋めると祟りがある”という言い伝えがあるため、安易に井戸を潰すのは早計だと思います。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑦~オート三輪
昭和の時代でも、東京に住んだ1980年代はこのオート三輪を見ることはあまりなかったのですが、平成になっても田舎ではまだ結構走っていたような記憶があります。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑧~フロッピーディスク
フロッピーディスクには公私ともにお世話になりました。パソコンが会社でも普及し始めた1990年代から、記憶媒体として書類の作成・保存はフロッピーで行っていました。写真にもあるようにフロッピーにはいろいろカラーバリエーションが豊富で、ジャンル毎にフロッピーを色分けして使ったこともあります。
そういえば、CDがない時代はバックアップもフロッピーで行っており、自宅のパソコンのバックアップに大量のフロッピーを使った思い出があります。
フロッピーディスクはパソコンの性能の向上により、データ容量の増大に伴って、ディスク型のドライブやUSBメモリーといった媒体に取って代わられてしまいました。現在ではフロッピーディスク自体の生産はしていないようです。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑨~缶切り
以外にも、缶切りも最近ではついぞ見かけませんね。子どもの頃は缶詰を開ける時に両親からもう少しきれいに開けろとよく小言を言われた思い出があります。最近の缶詰は殆どがフルオープンエンドといって蓋全体が開けられるようになっていて、缶切りの出番はなくなっています。それでもたまに外国製の缶詰には昔ながらの缶詰があります。子供たちに缶詰を開けさせるのですが、見事に使い方がわからないようです。私がやって見せるのですが、ちゃんと缶切りを使えることに感嘆の声を上げます。こんなことでしか親の威厳を保てないのがちょっと悲しいですが・・・!!
AMAZONで調べてみましたが、缶切りにもいろいろなのもが出ているようですね。ちょっと商品を紹介してみますね。
今は見かけなくなった“昭和”のモノ⑩~写ルンです
昭和61年、富士フィルムの使い捨てカメラ“写ルンです”が発売されたときは衝撃が走りました。シャッターを押すだけで誰でも写真が取れるという設定は多くの人を魅了し、以来何処に行っても写ルンですは誰かしら持っていて、所構わずパシャ・パシャやっていました。
デジタルカメラや携帯電話のカメラ機能の向上により次第に目にする機会もだんだんと無くなってきましたが、最近ではどういう訳かまたブームになっているそうです。
“写ルンです”ですが、正式には使い捨てカメラではなくフィルムの一種で、“レンズ付きフィルム”と言うのが正しいそうです。
“写ルンです”はまだ売っているのですね!?知りませんでした!!
FUJIFILM フジカラーレンズ付フィルム 写ルンです スタンダードタイプ シンプルエース 27枚撮り LF S-ACE NP FL 27SH 1
- 出版社/メーカー: 富士フイルム
- 発売日: 2014/03/19
- メディア: Camera
- この商品を含むブログを見る
おわりに
今は見かけなくなった“昭和”のモノと言うことで、10点ほどあげてみましたが、無料写真素地ACさんに該当する写真がなくて、取り上げなかったものがあります。
それは、蚊帳・ブルマー・アルマイト製の弁当箱・ハエ取り紙です。ブルマーは写真があっても取り上げるのには躊躇しますが、性的な好奇心の対象となって新聞に女子中高校生の投書があったため、廃止運動が高まり、終に2005年には姿を消したそうです。
高度経済成長からバブル崩壊、さらには失われた20年と大きく時代が変動する中で、私たちのライフ・スタイルは大きく変化しました。昭和から平成になって30年経ちましたが、便利になった半面、失われたものも多くあります。確かに昭和の時代は不便なことも多々ありましたが、今ほどドライではなく、人情とか他人に対して温かみがあったように思いますし、社会全体に包容力があったように感じます。
今の時代に昭和の感性を求めることは無理があるでしょうが、自分としてはもう少し緩やかでいいのではないかと、昨今の風潮を見て思ってしまいます。
“昭和”に関連するグッズです!!
参照:Wikipedia 昭和の日、国民の祝日に関する法律、昭和の町 、井戸、
マッチ、カセットテープ、VHS、ちゃぶ台、チリ紙、
汲み取り式便所、フロッピーディスク、イージーオープンエンド、
産経新聞 2018年4月29日付 昭和の日 時代の意義を伝え続けよ
Camera girls 写ルンですが、今カメラ女子の間で大ブーム!その魅力とは?
写真:無料写真素材 写真AC 黒電話 レトロ HiC
公衆電話 るし
ピンクの電話 オレンジハート
古い写真 こっそり出版
火の用心 涼風
カセットテープ、缶切り 明るめ bBear
VHSビデオテープ Senichi Aw
ちゃぶ台 UA KUTAKU
ぽっとんトイレ D:5
古民家/古井戸 しだちよ
昔の乗り物 acworks
昔の携帯電話 cheetah
フロッピーディスク Utoi
使い捨てカメラ FujiMai
井戸 手押しポンプ kojikoji23129
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
ランキングに参加しています。クリックして応援していただけたらうれしいです!