五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

台湾旅行の思い出

【特別お題】「思い出の家族旅行」

 8月も中盤、立秋を過ぎ暑さもそろそろと収まると思っていましたが、今年の酷暑はまだまだ続きそうです。ただ夜明け前などは幾分涼しくなってきており、エアコンを点けっ放しにして寝ているので、朝早くに寒くて目覚めることがあります。記録ずくめの夏もあとしばらくの辛抱ですね。

 例年の今頃ですと、大分の実家に帰省しているのですが、今年は娘が受験生ということもあって、実家には帰らず夏休み中はずっと藤枝にいます。娘は家で受験勉強しているか、駅前の塾に行って何時間か図書室で自習したり、模試を受けたりしています。息子の方は出不精なので、夏休み中はほとんど家にいます。こいつは勉強はそこそこに大概はゲーム三昧、あまりに部屋にばかり籠っているので、昨日は強制的に外に連れ出しました。といっても散髪ですけど・・・。かくいう私もずっと家にいるので人のことは言えませんけど・・・!?

 そんなこんなで、今月はエアコンの使用量が半端ないと思います。ですので、これは散々ブログにも書きましたが、来月初旬の電気代の請求が本当に怖いです。かつてガス代の請求が28000円になったことがありましたが、今回はそれを凌駕する30000円台に突入するかもしれません。

 いつものように前置きが長くなりましたが、今回のお題は「思い出の家族旅行」。私はあまり家族そろって出かけた旅行はないので、「思い出」に残っている家族旅行と言えるものは数少ないです。そんな中で結婚2年目の年に私の両親と私と嫁と行った台湾旅行が一番の「思い出」です。今回はその道中を記事したいと思います。ただこれは私の思い出話なのでとてもつまらないものになると思います。

 私は1995年に結婚しましたが、結婚した次の年に嫁の両親が台湾に赴任することになりました。最初は現地の習慣に戸惑われたようですが、2年目くらいになると慣れてきたようで、私たち夫婦と大分の両親を台湾に招待してくれました。

 海外旅行ですが、嫁の方は学生時代に何回か海外に行っており、私も新婚旅行でニュージーランド、次の年にも嫁とハワイに行ったので、何とか渡航に関する手続きや海外旅行に対する知識はありましたが、問題なのは大分の両親。父は出張、母親は日蓮宗の檀家の集いなどで旅行する機会は多かったのですが、移動手段は専ら鉄道で飛行機に乗ったことも1,2回しかなく、ましてや海外は初めて。パスポートの取り方はもちろん、恐らく飛行機の搭乗手続きも覚束ない様子。パスポートの方は父が公務員だった関係上、スムーズに取得できましたが、海外への渡航手続きは恐らく両親だけでは無理なので、当時東京に住んでいた私たち夫婦が福岡博多駅で両親と待ち合わせて、そこから地下鉄で板付空港に行き、一緒に台湾へ旅立つことにしました。帰りも同様に私たち夫婦は福岡で飛行機を降りて、両親を博多駅まで見送ってから東京に帰ることにしました。

    当時両親とも70近くでしたので、健康面での心配はありましたが、台湾に出かけたのは11月の初旬、少し寒くなりかけでしたが、旅行するにはいい気候でした。そのため両親の体調は良かったと思います。また懸念された空港でのトラブルもなく、スムーズに日本を出国でき、台湾に無事到着することができました。

 台湾に赴任している嫁のお父さんは現地の会社では所謂“お偉いさん”だったので、旅行は結構リッチなものになりました。移動は車で、しかもお抱えの運転手さんがつき、宿泊先も現地では結構名の知れたホテルに泊まりました。恐らくあんな豪華な旅は私の人生で二度とないだろうと思います。

    台北の空港に着き、迎えにきてくれた嫁の両親とともに出迎えの車に乗って、台湾中部の町の台中に向かいました。台中には嫁の両親が住んでおり、そこに嫁のお父さんが勤める会社がありました。台中に行く車中で、嫁の両親と話したのですが、台湾の人は対日感情も良く普段は温厚なのですが、運転は乱暴で、マナーも悪いそうです。特に高速道路は最悪で、日本人が運転すると大変な目に合うのだとか・・・!?実際に途中で私たちが乗っている車の運転手さんが後続の車の運転手と追い越しでトラブルになり、車を降りて怒鳴り合うというひと騒動がありました。(あわや殴り合いになる寸前でした)

 

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   台湾と九州はよく似ていると言われています。人口こそ台湾(2344万人)は九州(1323万人)の約1.7倍ありますが、面積(台湾:30193㎢、九州:36782㎢)とGDP(台湾:47.4兆円、九州:48.7兆円)はほぼ同規模です。また台湾の都市も九州の都市に重ね合わせられています。台北が福岡、台中が熊本、花蓮が別府、台東が宮崎、台南高雄が鹿児島のように。また台湾は先に大戦で日本に統治されてこともあり、日本語を話す人も多く、ホテルでは日本語で話しても大丈夫でした。対日感情も良く、日本人だといって差別されることも無く、嫌な思いをすることはありませんでした。

    そういうこともあって、ほとんど九州から出たことない私の両親は割とスムーズに台湾の環境に入っていけたと思います。旅行中に特に体調を崩すこともなく、意思疎通ができなくて不愉快な思いをすることはありませんでした。何と言っても嫁のお父さんからの超V.I.P待遇ということもあって、旅行中は終始ご機嫌でした。

 台湾での食事ですが、よく台湾の料理は日本人に口に合うと言われていますが、私は好き嫌いが多いいせいか、あまり口には合いませんでした。それは私の母親も同じで、ただ嫁と私の父親は特に問題なく食べていたと思います。下の写真は火鍋です。当時の写真が無かったので、ネットで似たような写真を探しました。ただ実際に台湾で食べたのは写真の左側の部分がもっと赤く、何か動物の血を豆腐状に固めたものを入れていたように思います。食わず嫌いの傾向が強い私は、さすがに気持ちが悪く、一口箸をつけただけで、速攻でOUT!!見た目もそうですが、中華料理に使われているような似た香辛料の臭いも強烈で、その点もダメでした。

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火鍋

     台湾では私はあまり食が進まなかったとお思います。そんな私が台湾の食事で一番おいしいと感じたのが、ホテルの朝食で出るお粥でした。これはあっさりとして美味でした。朝食のお粥だけ何倍もお代わりをしてるのを、普段は朝食を食べない私を知っている嫁や私の母親は呆れ顔でした。

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台湾のお粥


 台湾ではまず日月潭(にちげつたん)に行きました。日月潭は台湾で最も大きな湖で、台湾で有数の人気の観光スポットになっています。Wikipediaによると、日月潭から見る秋の夕日は特に美しいと言われ、台湾八景のひとつに数えられています。元々日月潭の湖面の面積は今より狭かったのですが、日本統治時代に台湾の電力不足を解消するために台湾最大の河川である濁水渓から水を引き入れ、大規模な水力発電所を作り湖面の面積も約1.5倍になりました。この水力発電所の発電量は現在でも台湾の水力発電所の発電量の半分を占めるそうです。

 ネットで写真を見つけましたが、もう20年以上の前のことで、日月潭に行ったことは覚えてましたが、そこがどんな風景だかはすっかり忘れていました。そんな事ですから、ここでの思い出は全く思い出すことができません。

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日月潭

 台湾観光の日程は忘れましたが、台中から台北に移動して、台北をまる1日観光したと思います。故宮博物館中正紀念堂忠列祠行天宮といった台北の観光名所に行きました。それ以外にも行ったと思いますが、忘れてしまいました。

 故宮博物館では専属のガイドさんが付きました。この方は元教員で、教員を引退してからガイドをされていると言っていました。日本統治時代に教育を受けていたようで日本語はぺらぺらで、しかも見た目も普通の日本人と全く変わりませんでした。

 当時の台湾は政治的な過渡期で、国民党の独裁政権が終了し、台湾初の国民党総統の直接選挙が実施され、李登輝さんが選出されました。長く続いた国民党の圧政から解放されたこともあり、ガイドさんは日本贔屓で、国民党政権のことはぼろ糞に言っていました。また私たちのお抱えの運転手さんとガイドさんは車で台湾語で会話をしていましたが、本人たちは普通に喋っているつもりも、言葉が分からない私たち夫婦や私の両親には喧嘩をしているようにしか見えず、結構ビビりました。

 故宮博物館では結構時間をかけて回りましたが、美術に興味がない私には退屈そのものでした。

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故宮博物館

 中正紀念堂の“中正”とは1975年に亡くなった当時の国民党総統で台湾の最高権力者であった蒋介石の本名で、中正紀念堂は亡くなった蒋介石に哀悼の意を込めて建てられました。本堂には巨大な蒋介石銅像が鎮座しています。ただ私は個人的に蒋介石にはいい印象はないので、ここを訪れたときは少々複雑な気分でした。 

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中正紀念堂

 忠列祠、行天宮は無料写真ACさんに写真がありませんでした。 忠列祠は中華民国の建国や日中戦争で戦没した英霊を祀る祠です。ここでは衛兵交代のセレモニーで有名です。1時間交代で衛兵が交代しますが、そのセレモニーを見た記憶はかすかにあります。

 行天宮は、三国志に出てくる関羽を祀る廟です。関羽は商売の神様として奉られていて、台湾でも人気の高い観光地とされています。ここでは願いが叶うと言われたのでお参りをしましたが、何を願ったのかは覚えていません。

 あと台湾で強烈な記憶があるのは、夜店で働く怪しげな檳榔売りのお姉さん。セクシーな下着姿は外国映画に出てきそうなアジア系の風俗嬢そのものでした。檳榔(びんろう)とは一種の咬み煙草のようなもので、檳榔を咬むことで人は軽い酩酊状態や興奮状態になるそうです。檳榔には興味はありませんが、檳榔売りのお姉さんに興味が湧き、お姉さんの妖艶な写真を撮りたかったのですが、嫁と私の母親ら女性陣の強烈な視線には耐えることができず、泣く泣く撮影を断念しました。

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台湾の夜

 台湾旅行は無事終わり、大分に帰った両親は旅行が楽しかったのか、特に父は近所の人たちに台湾の思い出を嬉しそうに何度も何度も繰り返し話していたそうです。私の両親が楽しそうだったので、台湾にいた嫁の両親は2年後に再度台湾へ来ないかと誘いました。しかし1999年9月に起きた台湾大震災とその時期に私の父が体調を崩して入院したため、再び台湾へ行くことはありませんでした。21世紀になり、嫁のお父さんの定年に伴い、嫁の両親は台湾から日本へ戻ってきました。

 私たち夫婦も台湾旅行が楽しかったので、日本に帰ってきた嫁の両親に何かしらお礼をしよう、できたら旅行に誘おうとずっと思っていました。ただ21世紀になってから私も職種変更になり、住むところも東京から静岡、静岡から福島と何年か毎に代わりました。また田舎暮らしは車が必需品で、通勤のためにどうしても軽乗用車を買わざるを得なくなりました。そのためお金がなかなか貯まらず、結局嫁の両親をお返しの旅行に連れて行けたのは2009年になってからで、台湾旅行から12年もの月日が流れていました。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 

 ◆台湾のお土産です。

 

①パイナップル・ケーキ

 パイナップル・ケーキは台湾語鳳梨酥(オンライソー)と呼ばれ、パイナップルジャムとバターで作った餡をクッキーの生地の皮で包んで焼いたものです。台湾のお土産で最も人気が高く定番と言えます。昨年息子が修学旅行で台湾に行き、お土産に頼みました。20年ぶりにパイナップル・ケーキを食べましたが、美味しかった!!

 

②太陽餅

 太陽餅(タイヤンピン)は嫁の両親が当時住んでいた台中の特産品です。何層にも重ねられたサクサクとした皮の中に甘すぎない餡を包んだ丸っこいお菓子です。

 

③ドライフルーツ

 台湾ではドライフルーツが有名で、数多くの種類のドライフルーツが売られています。

 

参照:Wikipedia 鳳梨酥、太陽餅、日月潭中正紀念堂、国民革命忠列祠、ビンロウ

   九州と台湾の比較 泉水谷慶應彦のブログ

写真:無料写真素材 写真AC 火鍋 MEE

               台湾のお粥 s*******************w

               台湾 故宮博物館 Diamonndtears

               中正紀念堂 photoB

               台湾-南投 日月潭 ひかのすけ

               台湾の夜 Masa105

              無料イラスト素材 イラストAC 台湾地図 ちゅん

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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