五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

街ろまん①~昔住んでいた「街」の想い出

今週のお題「好きな街」

  10月も後半に入り、いよいよ2018年も残すところ2月と10日余りとなってきました。ここ数日ははっきりしない天気が続いていた当地藤枝市ですが、これを書いている10月21日の日曜日の朝は日本晴れのいいお天気で、久しぶりに終日晴れ間が見えるようです。これを逃さず子供たちに昨日から蒲団を干すように言っているのですが、今朝の9時を過ぎましたがまだ起きてはきていません。困ったものです!?

 

◆◆◆この記事の目次◆◆◆

 

はじめに

 さて、今週のお題「好きな街」。今住んでいる静岡県藤枝市はもちろんのことですが、やはり以前住んでいたり、勤務していた東京都多摩東部の三鷹吉祥寺西荻窪調布にはかなり思い入れがあります。Googleの地図で表示しますと、下の地図のあたりになります。この4つの「」は学生の時から社会人にかけてお世話になったもので、私の20代の青春時代を過ごした思い出の場所といえます。

 今回の記事では三鷹、吉祥寺、西荻窪、調布の思い出話を書いてみたいと思います。ただこの記事は私の想い出話なので、読まれる方にはかなり退屈でしんどいと思いますが、悪しからずご了承いただければ幸いです。

 

 

三鷹

  三鷹は大学生3、4年生の頃に住んでいた街です。当時私は都心にある大学に通っており、入学当初は東横線自由が丘駅から歩いて15分くらいの世田谷区深沢にある学生専門の下宿に住んでいました。大学2年生が終わった時、福岡県出身の仲の良かった先輩が就職を期に下宿を離れるということとなり、住むところを探していることと、私自身が大学3年次よりキャンパスが変わり、通学が不便になるという理由で、下宿を離れて引っ越すこととなりました。

     三鷹を選んだのは、当初仲の良かった先輩と一緒に住むこととなり、先輩が八王子に勤務することになったからだったと思います。世田谷から三鷹に引っ越す時、下宿の先輩たちに手伝ってもらって引っ越しましたが、レンタルの自動車の手配が遅れたのか引っ越しの片付けが終わらなかった忘れましたが、どういう訳か引っ越しが深夜になり、夜逃げみたいに三鷹のアパートに転がり込んだことを憶えています。

 三鷹のアパートは三鷹駅南口から歩いて15分くらいのところにあり、間取りは6畳と4畳半の2部屋で台所とトイレ付でした。今のように風呂は無く、銭湯は歩いて5,6分のところに1軒、10分くらいのところにもう1軒ありました。下宿からアパートに引っ越して何よりうれしかったのは、トイレが共同ではなく独立したものがあること。これは昔から胃腸が弱く、すぐにお腹を壊す私には本当に助かることでした。

 

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三鷹駅南口

 無料写真ACさんに三鷹駅南口の写真がありましたので、ブログに貼ってみました。写真では駅ビルになっていますが、私が住んでいる頃にはもちろんそんなものはなく、改札が2Fにあったのは覚えていますが、恐らく階段かエスカレーターで乗降していたともいます。駅前にロータリーがあり、小田急バスが止まり、ロータリーを渡ると富士銀行があり、そこのビルがテナントになっていて食品のテナントが数軒あったような気がします。

 三鷹に住んでいたころの思い出と言えば、真っ先に浮かんでくるのは中華そばの「江ぐち」。「江ぐち」については以前にもブログに書いていますが、昔よく通ったラーメン屋で、今はもうありません。「孤独のグルメ」で有名なマルチタレントの久住昌之さんが以前この「江ぐち」について書かれていますし、以前は三鷹に住んでいて「江ぐち」を知らない人はモグリだと言われていました。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 三鷹は中央特快の停車駅で、総武線地下鉄東西線の終着駅。ですので学生時代は通学に際しては座ることができ、電車内では大概寝ていました。私は閉所恐怖症のところがあり、電車内が混んでいたり、電車で立ったりすることが苦痛だったので、その点は随分と助かりました。そう考えると、私は通勤通学でラッシュというものをあまり経験していないと思います。また私自身は学生時代から群れることは少なかったので、あまり飲み屋に行くことはありませんでした。ですので三鷹はディープな飲み屋街が無く、静かな住宅街であるイメージがする「街」なのでその点も魅力に感じました。

 

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左)総武線 右)東西線

 三鷹には文学的なスポットがありました。当時私が住んでいたアパートから歩いて2,3分のところに太宰治の墓がある禅林寺があります。入水心中を図った太宰が水死体で見つかった6月19日には、毎年ここ禅林寺で太宰を偲ぶ「桜桃忌」が行われており、私も何回か行ったことがあります。ただ私はあまり太宰が好きではなかったので、全て付き添いで行きました。そういえば禅林寺の境内は静かで、夏の暑い日は駅から歩いた疲れをいやすため、よくここで涼んでからアパートに帰ってましたね。

 

www.zenrinji.jp

 

 三鷹市三鷹駅を境に南口が三鷹市、北口は武蔵野市と別れます。これは吉祥寺駅もそうです。私は南口の方に住んでいたので、北口にはほとんど行ったことがありません。当時家庭教師のバイトをしていたので、教え子が三鷹駅北口から自転車で5分くらいのところに住んでいたので半年ほどその子の家に通ったことがありますが、それ以外は北口に行った記憶はありません。

 

吉祥寺

 吉祥寺は学生時代と社会人になってから7年後に調布に住むようになってからかなりの頻度で訪れた思い入れが深い街です。吉祥寺駅には駅ビルの「ロンロン」があり、大概の買い物はここで済ましていました。ロンロンは店内が狭く、ごちゃごちゃした雑貨屋的な感じが好きでしたが、2010年に駅の改装工事を受けて閉店し、新しく「アトレ吉祥寺」として生まれ変わりました。

 

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吉祥寺駅北口

その時の記事がありましたので、ここで紹介します。

kitajskaya.hatenablog.com

 吉祥寺のランドマークといえば「井之頭公園」。学生時代に天気がいい日には最寄りの三鷹ではなく、一駅手前の吉祥寺駅で降りて井之頭公園を散策してから家に帰っていました。当時住んでいたアパートは吉祥寺駅から歩いて20分くらいの距離にあり、休日にはよく井之頭公園へ何するのでもなくぶらついたものです。大学生の頃はフォルクローレという南米の音楽を演奏するサークルに入ったこともあり、ギターを持って公園の何処かで練習したこともありました。

 「井之頭公園のボートにカップルが乗ると別れる」という噂だか都市伝説があります。もっともそれを知ったのは社会人になってからで、学生時代は付き合っている彼女はもちろんのこと、女友達もほとんどいなかったのでそんな噂があること自体知りませんでした。ただ公園で仲睦まじげにボートに乗るカップルを羨望の眼差しで見ていたことは確かです。

 結婚して調布に移り住んでからは、嫁と何度か井之頭公園を訪れました。井之頭公園にはテニスコートが何面かあって、嫁はテニスのサークルに入って度々ここを訪れたようです。また壁打ちもあり私も何度かやってみましたが、上手くなることはありませんでした。

 

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井之頭公園

  吉祥寺にはグルメスポットが沢山あり、結婚したての頃は嫁とグルメ雑誌を見て出かけたものです。井之頭公園のある吉祥寺駅南口には焼き鳥で有名な「いせや」があり、昼過ぎくらいから営業していました。行きたい行きたいと思っていましたが、ついぞ行くことは叶いませんでした。また吉祥寺駅北口にはサンロードという商店街があり、そこはロンロンと同様に終日賑わいを見せていました。このサンロードから脇に入ったところに、名前は忘れましたが、カレーがおいしい喫茶店があり、良くここに通っていました。あの喫茶店はまだあるのかなあ?

 吉祥寺駅北口で思い出しましたが、駅から歩いて数分のところに近鉄百貨店があり、その裏には隠微な雰囲気がするピンクゾーンがありました。まあ所謂風俗街なのですが、それが1990年当時は20軒くらいあり、ピンクのネオンが灯しだされて妖艶な雰囲気を醸し出していました。それが一昨年にここを訪れたときには、見事に1軒も残らず消えていました。私が知らない間に町の浄化キャンペン―か何か行われたようでした。このゾーンは吉祥寺駅のオシャレなイメージとは逆に裏の顔みたいなのがあって、それが吉祥寺という「街」の面白味が醸し出していたのですが・・・。ちょっと残念な気がしました。
 

西荻窪

  西荻窪は社会人になって、初めて正式な赴任地となったところです。当時の私は販売職とし採用されましたが、なかなか一人前扱いされず、7月くらいになって初めて店長として西荻窪のテナントの中にある店舗に赴任しました。店舗自体とても狭く、売り上げも低くて、これは期待されてない感が半端ではありませんでしたが、それでも私はここで学生時代に経験しなかったことを経験したし、社会人の厳しさや大人の世界の裏側も垣間見ることもできました。確かまともな恋愛をしたのもこの「街」だったと思います。数回色恋沙汰がありましたが、結局成就することはなりませんでした。そう思うといわば人間として一皮むけた思い出の「街」と言えます。

 

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西荻窪駅北口


 西荻窪駅南口を下りてすぐのところに焼き鳥で有名な「(えびす)」があります。ここはテナントの人たちに連れてもらって何回か行きましたが、店が狭いのが嫌だったのであまり通うことはせず、飲み行くのはたいていその先にある「養老乃瀧」をよく利用しました。ここのマスターが私の店のお客さんでもあり、その縁で親しくなって週に2,3回は通っていたと思います。

 私は西荻窪駅近くの商店街の人にも顔を憶えられていたようで、駅を降りテナントに出勤する際にもよく声をかけられていました。いつかは駅降りてすぐの風俗店の呼び込みのおじさんにも声をかけられたことがあり、「たまには来てよ!!」という言葉にもさすがに「そのうちに・・・。」という社交辞令的な言葉が言えず困ったことがありました。

    そういえば、テナントに私の兄貴分ともいえるFさんがいて、二人して毎日のようにつるんで飲みに行きました。「養老乃瀧」に行かないときはFさんに地元の荻窪にある行きつけの店に行き、終電ギリギリまで飲みあかし、結局帰れず北口あるサウナに泊まって、そこから出勤ということを月に何回か繰り返しました。あのサウナは今もあるのかなあ? 

 西荻窪は駅前こそ下町風情が残る「街」ですが、駅から離れると北口・南口を問わず高級住宅街が広がり、何処となくハイソな感じがしていました。私はそんな西荻窪「街」が好きでしたし、自分が担当している店舗の方も売り上げは好調で、職場内の人間関係も最高でした。私にとって久しぶりの人生の好機が来たと思い、この傾向がしばらく続くことを願っていました。

 しかし「好事魔が多し」との諺通り、わずか9か月でお払い箱になり、お隣の荻窪に転勤となりました。そこで人生最大級の屈辱を受け、挙句の果てに当時住んでいた寮で血を吐いて倒れ、これも人生初の入院生活を余儀なくされることになりました。 

調布

  調布には1992年の夏くらいから2001年の5月まで暮らしました。当時調布に住んでいた叔母が亡くなり、叔母が住んでいたマンションに住む人がいなくなったため急遽私が住むことになりました。私が住んでいたのは2LDKのマンションで、調布駅北口から徒歩15分のところにあり、近くに電気通信大学が、歩いて20分くらいのところに神代植物公園深大寺がありました。何年か前に調布飛行場を飛び立った小型機が墜落する事故がありましたが、その墜落現場とは目と鼻の先でした。

 

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調布駅北口

 上に写真は調布駅北口の写真です。現在は駅の改修工事で駅舎と線路は地下に移動し、地上にあった駅舎の跡地には駅ビルが建てられています。写真の右側のビルは調布パルコです。ここは休みになると嫁と一緒によくショッピングや食事に出かけました。
 調布はラーメン通にも人気の「街」だったと思います。ラーメン通が通う有名店が何店舗かありました。そのうちの一つが駅北口の百店街にあった(今はあるかどうかわかりませんが)鯛ラーメンのお店「千ひろ」。また調布駅武蔵境駅三鷹駅を結ぶ武蔵境通りには煮干しラーメンの店「たけちゃん」もありました。私がよく食べに行ったのは南口にある喜多方ラーメンの店「坂内」。ここは濃厚なスープが特徴で最初は濃くて閉口しましたが、食べているうちに病みつきなり、月に何回か通うことになりました。「坂内」はチャーシューが沢山あり、他の店のチャーシュー麺のチャーシューの量とここの普通のチャーシューに量が同じかちょっと多めに入って、貧乏な私にはちょっと贅沢なごちそうでした。

 また麺類の話になりますが、調布には全国にもその名を知れた深大寺そばがあります。深大寺そばは江戸時代にこの付近の土地は米作に適さず、小作人が蕎麦を作り、蕎麦粉を深大寺に献上し、その蕎麦粉で深大寺側が蕎麦を打って来客にもてなしたのが始まりとされています。

 

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深大寺参道

 深大寺奈良時代の733年に開創された天台宗の仏教寺院です。深大寺周辺には湧水が多く、境内には今でも複数の湧水源があります。この豊かな水資源があったから深大寺そばも名物として発展してきたと言われています。今では深大寺の境内の参道に20軒ほどのお店が並んでいます。調布に住んでいたころは深大寺そばを食べに嫁と一緒に歩いて出かけたものでした。私たちが行く店は決まっており、参道の一番奥にある「八起(やおき)」というお店でした。ここは店内が広く、2階には座敷があり、ゆったりとした気分で食事ができ、嫁のお気に入りのお店でした。確か蕎麦以外にも野草の天ぷらとがメニューにあったように思います。

  調布に住んでいた頃、勤務地が国分寺になった時、健康とお金の節約を兼ねて自転車に乗って通勤していました。実際には電車やバスを利用しても自転車と通勤にかかる時間はほとんど変わりませんでした。通勤の途中に野川という小さな川が流れており、川沿いは野川公園という公園になっていて、東京都の桜の名所としても知られていました。公園の桜並木が道路の脇を覆いちょうどトンネルのようになっていました。私は満開の桜よりも花びらが散って、深い緑の葉になった5月くらいの桜並木が好きでした。「緑のトンネル」と勝手に名付けて、5月の爽やかな風に吹かれて通勤するのは心地良かったです。

 

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野川公園

 

musashinoparks.com 

 12年前にこの「緑のトンネル」について書かれた記事がありました。

kitajskaya.hatenablog.com 

おわりに

   三鷹・吉祥寺・西荻窪・調布とかつて住んでいたり勤務していた場所のことを書いているうちにあの頃の記憶が走馬灯のように甦り、あんなことやこんなこともあったなあと感慨に耽り、気が付いてみればとんでもなく長文になってしまいました。書いているうちにあの頃も結構つらいことがあったと思いますが、つらい話はあまり思い出すことはありませんでしたし、思い出しても今思えば実は大したことではなかったなあと当時を振り返ってみています。時間というのはあらゆる悩みを解決するのだとブログを書いているうちに気付きました。

   私は21世紀になって、職種が販売職から生産職に代わり、勤務地も東京から静岡になってしまいました。それから福島に転勤になり、また静岡になり、現在は静岡県藤枝市に居を構えています。(と言っても社宅住まいですが・・・。)定年まであと数年を残すところとなり、このまま静岡で職を全うすることとなると思います。東京にはもう戻ることはないと思いますが、 古き良き時代の思い出として心に刻んでおこうと思っています。

   さて次回ですが、この記事のタイトル“街ろまん”の第二弾として、今私が住んでいる静岡県藤枝市について書こうと思います。ただこのブログを購読されている方は、今回は思い出話、次回は藤枝市のPRになるので、いい加減に辟易されると思いますが、ご了承くださいね。

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参照:Wikipedia 深大寺そば

写真:無料写真素材 写真AC 三鷹駅 Walrus Eggman

                東西線 総武線 太陽sun

                紅葉の井之頭公園 t****************************p

                吉祥寺駅調布駅前 エンリケ

                西荻窪駅 とちぎ

                深大寺の茶屋と新緑 fuki41

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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