五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

身延への道

 梅雨も中休みということでしょうか?ここ当地、静岡県藤枝市では昨日・今日と晴れ間が覗いています。ネットなどの情報だと今年の梅雨は短期間で、雨量は平年並かやや多いようで、6月下旬から7月中旬にかけて大雨の恐れがあるようです。特に今年は新型コロナウイルスの問題があるので、早々と各自治体は対策を進めているようです。大きな災害が発生しないことを祈るばかりです。

 さて先日の記事で、アフターコロナに出かけたい場所として身延山をあげました。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 この記事で「静岡県山梨県が‟新型コロナウイルス感染対策を講じた上で両県民の交流を強化”する」とあり、6月に入ってからの山梨県新型コロナウイルスの感染状況も1日あたり3人以下とごく少数なので、思い切って先々週の土曜日、6月6日に身延山に行ってきました。

 身延山に行く目的として、来年大学受験を控えている息子の合格祈願のためのお札を貰って御祈祷をしてもらうことなのですが、実はそれ以外にもちょっと切羽詰まった事情がありました。それは今年の2月下旬からの学校現場の臨時休校に伴う自宅待機で、息子が軽い鬱状態になってしまったことです。何とか今月からの学校再開時には当校は出来ましたが、それでも気分がすぐれなかったのか、何日かは休まざるえませんでした。だから気休めかもしれませんが、困った時の神頼みならぬ‟困った時の仏頼み”で、身延山にお参りして厄を払おうと思った次第です。

 新型コロナウイルスが落ち着きを見せているとは言え、やはり他県への移動は心配だったので、以下の点を考慮して出かけました。

  • 一人で行く
  • 「三密」になる乗り物には乗らない
  • 必ずマスクを着用する(御祈祷の時は除く)
  • 現地の衛生ルールに従う
  • 観光客と距離を保つ

 

  私の自宅がある藤枝市から身延山に行くにはまず藤枝岡部IC東名高速に乗り、新清水JC中部横断自動車道に乗り換えます。中部地方を南北に縦断(?)するこの中部横断自動車道、私はてっきり甲府―新清水間は全線開通しているとばかり思っていましたが、去年降りた富沢ICの先にある南部ICまでしか延長しておらず、身延山がある未開通の南部ICから下部温泉早川ICは今年中に開通予定だそうです。それでも何年か前までは国1バイパスと国道52号線を使っていた時期は2時間以上かかったいたのが、今では1時間ちょっとで行けるので、雲泥の差があります。便利になったものですねえ!?

  身延山にはお昼前に出かけ、午後の1時くらいに着きました。ただ‟外出自粛明け”とは言え、境内には参拝客はまばらでした。身延山中腹にある駐車場に車を止め、本来ならば駐車場のすぐそばにある斜行エレベーターに乗って本堂に向かうのですが、今年はこの斜行エレベーターが「三密」の恐れがあるので使わずに、駐車場の脇にある階段を上って本堂へと向かいました。

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斜行エレベーター

 

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本堂

 

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五重塔

 本堂でお参りをして、本来の目的である合格祈願のお札を貰いに(正確には買いに)に事務局がある報恩閣に向かいます。   

 

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報恩閣


 報恩閣でお札を貰い、御祈祷を受けようと思いましたが、御祈祷までの時間が1時間半あったので、周りを散策することにしました。私が訪問した日は身延山山頂に向かうロープウェイは営業していましたが、やはり「三密」を考えて辞退。下の写真は昨年のものです。

 

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ロープウェイ乗り場

 身延山は標高1153㍍あり、山頂までは通常はロープウェイで片道7分で行けますが、2つの登山道があり、歩いても行けます。ただ両方とも片道2時間以上かかり、またかなり急勾配の場所もあります。さすが年齢が年齢だけあって、また時間もないので山頂までは行きませんでした。ですが、時間があったので登山道の途中まで歩いてみることにしました。

 

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本地堂


 途中にあった社です。本地堂(ほんじどう)と言って、日蓮上人が説いた本地上行菩薩が祀られています。

 本地堂を過ぎて、しばらく行くとお寺の境内なのにどういう訳か神社が出現しました。

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身延山上ノ山八幡神社

 この神社は上ノ山八幡神社(うえのやまはちまんじんじゃ)と言って、もともとは日蓮上人の庇護者である南部六郎実長の鎮守であり、かつては甲斐の国の波木井(はきり)というところにあったそうです。ただこの神社、あまりにも霊力がすさまじく、不逞な行為をするとたちまち天罰が下ったので、周りの人から恐れられ、場所を転々とし、17世紀中頃にようやく身延山が安住の地となりました。

 

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左 鬼子母神堂   右 十如坊

 上ノ山八幡神社を過ぎ、しばらく行くと上のような石碑が現れました。私が方向音痴なのかもしれませんが、目的の建物を見つけることが出来ませんでした。ちなみに十如坊はお坊さんの宿舎、鬼子母神は安産や育児の神様である鬼子母神を祀っているそうです。そして私の散策もここで終了しました。

 御祈祷に時間が迫ってきたので、仏殿に向かいました。ここで御祈祷をあげてもらいました。この日、私以外にも御祈祷をあげてもらいにきた人が何人かいました。内容としては、やはり何回忌から御祈祷が多かったですが、やはりこのご時世を反映してか、商売繁盛が多かったように見受けられました。御祈祷を終えると、即座に藤枝へと帰りを急ぎました。

 

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仏殿

 こうして無事に身延参りは終わりました。あれ以来息子の方も何とか休まずに学校に行っています。今は少しは仏さまのご加護があったのかと感謝している次第です。

 さて貰ったお札ですが、これは娘の時と同様に床の間にある簡易式の仏壇に飾って、日課である読経の時に一緒にお祈りしています。息子が志望する大学受験まではあと9か月あります。これを長いとするか短いとするか、これは息子の捉え方次第ですが、息子が頑張って、来春の栄冠を取ってもらい、また来年、今度は息子と2人で身延山にお礼参りに行けることを切に願っております。

 

参照:Wikipedia 中部横断自動車道南部実長久遠寺

   身延山ロープウェイ 奥之院参道

   奥之院 思恩閣 登坂案内 表参道 本地堂

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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