五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

祝!!プロ野球開幕、私のご贔屓チーム

お題「#応援しているチーム

 6月も終盤となり、だんだんと蒸し暑くなってきました。今年は例年と比べてあまり蒸し暑さを感じなかったのですが、最近では日中の気温上昇とともに、夜もだんだんと蒸し暑くなり、ここ2,3日はエアコンを点けっぱなしで寝ています。もっとも遅出出勤で帰宅が午前3時以降になるので、寝るのが家族が起きてくる6時以降になるので、1時間のタイマーを掛けるだけで済んではいます。

 今年は新型コロナウイルスの影響もあり、一時期と比べ、外出される方が増えたとはいえ、巣籠りをされる方も少ないと思います。ただ多くのエアコンは換気が出来ないため、部屋を閉めきった状態でエアコンを使っていると、却って感染を広げるリスクが高くなるといいます。ですので、エアコンを点けていてもコマメな換気が必要であり、エアコンを消さずに、1時間で5分程度、窓を開けるのが効率的なようです。

 いずれにせよ、当たり前ことが当たり前のようにできたコロナ以前の社会に早く戻れることができるように祈るばかりです。

 さて相変わらず、前置きが長くなりましたが、今回も【今週のお題】から記事を書いてみたいと思います。

 先週の金曜日、プロ野球が約3か月遅れで開幕しました。ただ開幕したといっても、無観客鳴り物入りの応援団なしという静かなスタートでした。試合をテレビでちらっと見ましたが、ホームランを打っても、歓声もなく、またガラガラのスタンドが映し出されおり、TVでの野球中継を見慣れている身としては、随分と違和感がある光景でした。

 学生だった頃、新聞勧誘の人から脅されて新聞を取らされた見返りに、野球観戦のチケットを貰い、東京ドームの前身である後楽園球場に、日本ハムVSロッテ(南海だったかな?)の試合を見に行ったことがあります。あの試合、公式には1500人と観客数が発表されていましたが、実際にはどう見ても150人~200人しかおらず、スタンドは閑古鳥が鳴いていました。それでも1塁側や3塁側には熱心なファンがいて、少ないなりにもファンの熱い息吹きが感じられはしました。

 今回の無観客の試合を見ていて、やはり‟お客さんがいてこそプロ野球”だということを実感しました。たとえTVの画面からでも大勢のお客さんがいれば躍動感が画面からひしひしと伝わってくるし、何よりも試合をしている選手のモチベーションが違ってくると思います。

 この無観客試合ですが、早ければ7月10日にスタンドにお客さんを入れて試合を行う可能性があるそうです。新型コロナウイルスの感染対策で大変でしょうが、一日も早くプロ野球が観客が入った‟正常なスタイル”で運営できることを心待ちにしています。

 このブログの記事には野球に関するものが10数点ほどありますが、その大半が学生野球や高校野球に関するもので、プロ野球に関するものはあまりなく、プロ野球への関心も高いとは言えません。ただ私はかつては大の付くほどの巨人ファン、それも王貞治選手、後の監督の大ファンでした。

 私が巨人ファンになったのは阪神ファンだった父親への対抗心から。父は阪神の往年の大スターと学窓だったことが自慢で、巨人を毛嫌いしていました。王さんを好きになったのは、判官贔屓と言いますか、巨人のスーパースター‟長嶋茂雄”選手よりも実績ではるかに上回っているのに、扱いが長嶋さんの次になってしまうことへの同情と、あれほどの偉業を達成しても驕ることがない人間性外国籍なのに日本人以上に日本人らしいこと等々、好きというよりかは尊敬していたといっていいでしょう。

 王さんが巨人の監督に就任されて低迷(とはいってもいずれもAクラスでしたが)が続きましたが、それでもめげずに巨人を応援していました。巨人がなかなか勝てない苛立ちからか、「八百長しても勝たしてあげたい」と暴言を吐き、周囲を呆れさせたこともあり、私は熱狂的な巨人ファンでした。

 それが一夜にしてアンチ巨人となってしまったのが、1988年9月に電撃的に行われた王監督解任劇であり、解任を‟辞任”と装うために行われた同月29日の記者会見場での巨人軍及び親会社の読売新聞社王監督への姿勢でした。

 そもそも球団フロントは前日まで王監督留任で決めていたのに、それを一夜にして読売新聞社側からひっくり返される始末。それに輪をかけて酷かったのは、記者会見の場で王監督本人に辞任の意思もないのに、巨人軍サイドから辞任と言わされ、挙句には次期監督の藤田元司さんを会見に同席させるという始末。

 これはどう考えても王監督にとっては屈辱的なものであり、往年の大スターにこんな酷い仕打ちをする巨人軍という組織に対して、私は激しい怒りと赦しがたい嫌悪感を感じました。その後しばらくは怒りが収まることがなく、巨人という名前を聴くたびに虫唾が走るほどでした。

 その後、プロ野球に全く興味がなくなっていましたが、1995年に王さんが福岡ダイエーホークスの指揮を執ることになって、もともと九州出身ということもあり、私は今度は熱狂的なダイエーファン(今の福岡ソフトバンクホークス)のファンになりました。

 福岡ダイエーファンになってからは、野球観戦に出かけることが多くなりました。思えば巨人ファンだった70年代から80年代は今と違って、ゴールデンタイムには巨人戦の中継が当たり前で、わざわざ球場に出かけなくても、野球は見れたし、またその頃は巨人戦のチケットはプラチナチケットとされ、なかなか手に入れ難く、また一緒に出掛ける友人もいなかったので、専らTVを見ながら「あーだこーだ」とひとりでくだを巻いていました。

 今では人気面においてはセ・リーグと遜色ないパ・リーグですが、私が福岡ダイエーファンになった90年代の後半では、さすがに閑古鳥が鳴くほどではありませんが、あまりお客さんは球場に入っていませんでした。だいたい1万人から多くて2万人くらいでしょうか、ですので熱狂的な応援団が陣取る内野席を除き、外野席にはかなりの余裕がありました。私は運動神経に自信がなく、とっさにボールが来ても避け切れる自信がないので、外野席に奥の奥、福岡ダイエーは関東に本拠地を持っていた3球団のビジターですから、専らレフトスタンドの最上段に席を構えていました。

 私は1995年に結婚し、ようやく一緒に野球を見に行ける人が出来ました。嫁は野球には全く興味がありませんでしたが、それでも嫌な顔をせずに私の道楽に付き合ってくれました。

 

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東京ドーム

  当時日本ハムファイターズが本拠地としていたのは、東京ドーム。ここは交通の便がいいので、一番よく観戦に出かけました。当時ホークスはファイターズに相性が良く、行った試合は6:4の割合でホークスが勝っていたと思います。

 

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西武ドーム

  西武ドーム、今はどうだか知りませんが、ドームと言っても球場にすっぽりと屋根を架けた感じで、壁面がなく吹き抜けとなっています。壁がないので自然の空気を取り入れることが可能なことから、空調設備はなく、夏は暑く、冬は寒いという選手やお客さんにとっては、何とも居心地のよくない球場です。

 当時住んでいた調布市から直線で一番近いところにありましたが、交通のアクセスが悪く、また当時は一時期と比較して弱くなったとはいえ、常にAクラスだったのが西武ドームを本拠地としている西武ライオンズ。勝つ確率が低かったので、東京ドームほどは行きませんでした。勝率は2:8でした。

 

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千葉マリンスタジアム

  千葉マリンスタジアムを本拠地とする千葉ロッテマリーンズの試合を見にはるばる千葉まで行ったことが2回ほどありました。自宅から球場のある海浜幕張駅まではかなり距離があったため、恐らくデイゲームを見に行ったと思います。この球場はとにかくが強く、風速10メートル以上は当たり前という環境なのか、行った試合はいずれもホークスは敗退しています。

 これは子供が出来た後の2002年になってからですが、名古屋に弟が住んでいて、弟が野球観戦のチケットを貰ったので、ナゴヤドームまで見に来ないかと誘われて、名古屋まで福岡ダイエーVS大阪近鉄もしくはオリックスだったかも?知れませんが、野球観戦に行ったこともあります。チームは忘れましたが、この試合でホークスが負けたことだけは覚えています。

 

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ナゴヤドーム

 プロ野球の試合を見に行って感動するのは、7回の表裏に行われる応援歌の演奏です。特に福岡ダイエーホークスの応援歌「いざゆけ若鷹軍団」は躍動感あふれるメロディでホークスの試合観戦中は球場でもTVの前でも、7回が来るのを楽しみしていました。そういえばこの歌をよくカラオケで歌って顰蹙を買っていたなあ!?

 


いざゆけ若鷹軍団(ダイエーver.)

 

 福岡ダイエーホークスの本拠地である福岡ドームには1996年か1997年の冬、大分に帰省するときに一度だけ訪れたことがあります。流石に球場には入ることが出来ませんでしたが、施設内のアンテナショップでホークスのスタジャン、帽子、メガホンなどを購入しました。いずれの品も今も残っており、帽子とスタジャンは時たま着用することがあります。 

 

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福岡ドーム

 

 

 私が購入したのはビジター用のグリーンのスタジャンで、これは結構気に入っています。季節が冬に近づきだんだんと寒くなる頃には、今でもこのスタジャンを着て外出することがあります。結構人目を惹くようです。

 

 

  福岡ダイエーホークスの監督に就任した王さんですが、しばらくは低迷な時期が続き、受難の日々を送ります。特に監督就任2年目の1996年5月9日には大阪の日生球場で行われた対近鉄バファロー戦で2-3で敗れた後、チームのあまりにふがいない負け方に、一部のファンが怒り、暴徒化し、王監督や選手の乗ったバスに向かって「お前ら、それでもプロか」の罵声と共に生卵を投げつける「生卵事件」が起きました。

 こういった状況でも王監督は、

「卵をぶつけられるような野球をやっているのは俺たちなんだ。ああいうファンこそ本物なんだ。ああいうファンは、われわれが優勝したら、いちばん喜んでくれるんだ。われわれが出来ることは、勝って彼らを喜ばすことしかない。」

と語り、選手に奮起を促しています。いかにも王監督の人格が素晴らしいかが伺えるエピソードですねえ。

 私はこの時期は巨人の時と比べ、15年以上の万年Bクラスの弱小チームを再建するには、いかに財力があっても、監督が王さんであっても相当難しいことだろうと、王監督には同情的で、球場に行って応援する楽しさを覚えたのか、暖かい目で見ていたように思います。

 この生卵事件ターニングポイントになったのか、翌97年にはリーグ4位、98年にはオリックスと同率ながら3位と初めてAクラス入りを果たします。そして迎えた99年、この年から就任した尾花高夫ピッチングコーチのもと投手陣が整備され、投打ががっちり絡み、球団創設11年目にして初のリーグ優勝を果たし、その余勢を買って、‟宿敵”星野仙一氏が率いる中日ドラゴンズを圧倒し、王監督初となる悲願の日本一を達成しました。

 続く2000年も優勝し、リーグ連覇を達成、「ON対決」と騒がれた巨人との日本シリーズでは惜しくも敗れはしましたが、2003年には再び星野仙一氏が率いる阪神タイガースを接戦の末に撃破し、王監督自身2度目となる日本一に輝きました。

 ちょうどこの時期、嫁の妊娠と出産のため、球場に足を運ぶことが出来ず、強いホークスを見ることが叶いませんでした。また2001年には静岡に転勤が決まり、結局球場に足を運んだのが、2002年のナゴヤドームが最後となりました。

 福岡ダイエーホークスファンとして、また王監督のファンとして、これで常勝軍団となり、安心して応援できると思ったのが束の間、パ・リーグが新しく導入した制度が順風満帆だった王監督の足元をすくうことになります。

 それは2004年からパ・リーグ導入されたプレーオフ制度、今のクライマックスシリーズと呼ばれているものです。この制度については以前にブログ記事で書いています。

 

kitajskaya.hatenablog.com

  このプレーオフ制度、2004年に導入される時、何となく嫌な予感がしました。王監督は勝てないんじゃないかって・・・。その杞憂は残念なことに当たってしまい、2004年、2005年とリーグ優勝をしながらもプレーオフで敗退したため、年間順位も2位となってしまう始末。これにはさすがの王監督も恨み言を言ったようです。

 前述のブログ記事は書きませんでしたが、そもそもこのプレーオフ制度、私は今でも大反対の立場であり、即刻辞めるべきだと思います。当時中日の監督だった落合博満さんもペナントレースの意義がなくなると大反対しています。確かに消化試合をなくし、興行収入を上げる利点もあるでしょうが、100試合以上戦ってきた選手たちの尊厳を傷つけることになるのでないでしょうか?またせっかくペナントレースを制したのに日本シリーズという晴れの舞台に参加できないことは却って選手たちのモチベーションを下げることになりはしないかと懸念しています。いずれにせよ、この制度は‟百害あって一利なし”の愚かなものだと私は思います。

 2004年のシーズン終了後に、親会社であるダイエーが球団を売却、福岡ダイエーホークス福岡ソフトバンクホークスとして新たに誕生しました。その後もAクラス入りは果たすのですが、主力の相次ぐ移籍や自身の健康不安により、王監督は2008年のシーズンをもって、監督を勇退することを発表し、50年の長きにわたる野球人としての人生に終止符を打っています。

 王監督勇退後は、野球観戦自体に興味を失い、今ではあまりプロ野球を見ることはありません。前に述べましたが、球場へも2002年を最後に行ってはいません。九州出身なので、やはり福岡ソフトバンクホークスを応援しますが、勝ち負けには以前よりもずっと淡白になっています。

 そう考えると、私の中で王監督の存在自体が非常に大きかったのだと今改めて実感しています。巨人にしろ福岡ダイエー福岡ソフトバンクにしろ、王監督の率いるチームが勝ったら、何回もTVのスポーツニュースでハイライトシーンを見ていたり、負けたらその日やその翌日の朝はずっと不機嫌になる、王監督在任中はずっとそんな毎日でした。そのような野球結果に一喜一憂した日々はもう帰ってくることはないでしょうねえ、ちょっと寂しい気はしますが・・・。

 

参照:Yahoo!JAPANニュース

     ‟部屋閉めたままエアコン”はウイルス舞いつづける・・・

      新型コロナ対策の夏に必要な‟換気”のポイントは? 

     産経新聞 2020年6月20日

         プロ野球 無観客で開幕

         開幕後押し 世論にも配慮 球界3・11の経験生かす  

   Wikipedia王貞治福岡ソフトバンクホークス西武ドーム福岡ドーム

         千葉マリンスタジアム、名古屋ドーム、東京ドーム、

         プレーオフ制度、クライマックスシリーズ

   ニッポン放送 ショウアップナイター 

         王貞治氏、 ‟生卵事件”は「ファンが真剣に怒った結果」

写真:無料写真素材 写真AC ナゴヤドーム saruking

                                                  千葉マリンスタジアム Jminv

                                                   東京ドーム るるな

         

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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