五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

祝!弥次さん喜多さん、駿州の旅 日本遺産認定④~鞠子宿編~

 8月になりました。この記事を書いている1日は朝から快晴で、東海地方もようやく長かった梅雨が明けました。8月になってからの梅雨明けは2009年以来11年ぶりで、これで鬱陶しい天気から解放され、いよいよ季節は夏本番を迎えます。そういえば、今朝は早くから待ってましたとばかりに一斉にの大合唱が聞こえています。

 鬱陶しいといえば、新型コロナウイルス!!東京都を中心に全国に感染者が拡大しており、東京都では昨日に463人の感染を確認、大阪府では216人、愛知県では193人、福岡県では163人と、兵庫県で62人と昨日1日だけで全国でこれまでで最も多い1581人の新型コロナウイルスの感染者が確認されました。

 ただねえ、最近思うのですが、テレビのニュースやワイドショーを見ていると、不安を煽りすぎているように見受けられます。(私も人のことはいえませんが・・・。)これだけ新型コロナウイルスの感染者数が増えても、死亡率が各段に上昇したわけでもなく、むしろ4月21日の91人をピークにむしろ減少傾向にあり、6月下旬よりは日に5人未満が続いています。静岡県においても累計で273人の感染者がいるにもかかわらず、亡くなられた方は今のところ1名だけです。

 ここからは素人考えになってしまって申し訳ないのですが、(もちろんのことですが、科学的根拠はありません)季節的なことも関係するかもしれませんが、穿った見方をすると、すでに人間の体内においては新型コロナウイルス弱体化しているのではないのでしょうか?だとすれば、いたずらに怖がらず、また情報に惑わせることなく通常のインフルエンザ対策をより一層強化すればいいのではないかと、素人ながらに思います。

 そもそもこれほど巷に新型コロナウイルスが蔓延した状況を見ると、ウイルス撲滅は不可能だし、むしろウイルスと共存する道を選択するしかないと私は考えます。そもそもウイルス自体が人間の体を宿主としているので、毒性が強すぎて宿主が死亡すれば、ウイルスも死滅するので、ウイルスも進化していくのではないかと思います。致死率の高いエボラウイルスSARSウイルスが世界中に蔓延しなかったのは、そうしたことも関係があったのではないかと思います。

 ですので、今まで通りのマスクの着用手洗いの励行アルコ―ル除菌の徹底はもちろんのことながら、致死率が高い高年齢層や持病のある方はある程度の間外出を控えることが推奨されます。各自治体が行っているアルコールを扱う飲食店での営業時間の短縮や度を越したイベントの自粛、感染者が出た場合の店舗の閉鎖などはやめるべきだと思いますし、節度のある行動と感染者が出た場合はインフルエンザと同じような対策でも十分なような気がします。

 ただ再三言っていますが、これはあくまでも私個人の意見であり、科学的な根拠もありません。ですので、私としては今まで通りにマスクの着用や手洗いの励行など自分にできることをこれからも粛々とやっていくばかりです。

 

◆◆ この記事の目次 ◆◆

はじめに

 

 またまた前置きが長くなりましたが、今回は「祝!弥次さん喜多さん、駿州の旅 日本遺産認定」の第4弾、鞠子宿編となります。

 おさらいとして、ストーリーを構成する文化財一覧を再度掲載します。今回の解説するのは14~23となります。 

  構成文化財の名称 ジャンル 五十三次宿
1 蒲原宿 史跡 蒲原
2 旧和泉屋(お休み処) 史跡 蒲原
3 志田家住宅主屋 史跡 蒲原
4 由比宿 史跡 由比
5 静岡市東海道広重美術館 所蔵の浮世絵 美術工芸品 由比
6 間の宿西倉沢 史跡 由比
7 東海道の名主の館(小池家住宅) 史跡 由比
8 薩埵峠 名勝 由比
9 清見 史跡 興津
10 三保松原 名勝 江尻
11 江尻宿名物 追分羊羹 名産 江尻
12 府中宿(駿府九十六ヶ町) 史跡 府中
13 府中宿名物 安倍川餅 名産 府中
14 丸子宿名物 とろろ汁 名物 鞠子
15 丁子屋 史跡・名物 鞠子
16 慶龍寺 史跡 鞠子
17 間の宿宇津ノ谷 史跡 鞠子
18 十団子 文化・風習 鞠子
19 東海道宇津ノ谷峠越 史跡 鞠子
20 明治宇津ノ谷隧道 史跡 鞠子
21 蔦の細道 史跡・名勝 鞠子
22 坂下地蔵堂 史跡 鞠子
23 蘿径記碑 史跡 鞠子
24 十石坂観音堂 史跡 岡部
25 岡部宿大旅籠柏屋 史跡 岡部
26 岡部宿本陣址 史跡 岡部
27 東海道松並木(内谷地区) 史跡・名勝 岡部
28 史跡田中城下屋敷 史跡 藤枝
29 大慶寺 久遠の松 史跡・名勝 藤枝
30 飽波神社大祭の奉納踊り 文化・風習 藤枝
31 瀬戸の染飯 名産 藤枝
32 東海道松並木(上青島地区) 史跡・名勝 藤枝

 

鞠子宿とは

 

 鞠子宿(まりこしゅく と読みます)は東海道20番目の宿場町で、丸子とも書きます。東海道で最も小さな宿場で、旅籠数は24軒ですが、続く宇津ノ谷峠は交通の要所とされたことから古くから宿町として栄え、源頼朝が奥州平定の功績により、地元駿河の国の手越平太家継という武士にこの付近一帯を与えて駅家を設けたのが鞠子宿の始まりとされています。江戸時代に入り、1601年の東海道伝馬制の制定により、東海道の宿場町になりました。

 

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歌川広重 東海道五十三次 丸子宿

  

14.丸子宿名物 とろろ汁

 

  「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」と松尾芭蕉が詠み、「東海道中膝栗毛」にも名物としてとろろ汁の話が出てくるように、鞠子宿の名物は「とろろ汁」でした。

 昔から鞠子宿のある静岡市駿河区丸子地区はとろろ汁の原料である‘自然薯’の栽培が盛んで、室町時代連歌師で丸子宿の近くの吐月峰柴屋寺(とげつほうさいおくじ)に庵を結んだ柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)は「年の暮れ茶炭薪と山の芋 ねてのよるよるむつ事にして」と丸子の自然薯の美味しさを讃えています。

 

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吐月峰柴屋寺

 とろろ汁が名物になったのは、自然薯が取れる時期に、旅人にとろろ汁を出したことが始まりだそうで、鞠子宿と次の岡部宿のあいだにある宇津ノ谷峠東海道の難所としても知られており、峠越えをする前にとろろを食べて、を付ける意味もあったのではないかとも言われています。

 

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15.丁子屋

 

 丁子屋(ちょうじや と読みます)はとろろ汁の老舗で創業は1596年とされています。以来400年間、ずっと場所を変えずに営業をしています。江戸時代の浮世絵師である歌川広重の「東海道五十三次 丸子宿」の中にも丁子屋が描かれています。ちなみに丁字とは、当時貴重品であった香辛料のクローブのことだそうです。

 

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丁子屋

 

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 「丁子屋」の玄関前に十返舎一九の碑が建てられています。碑には「けんかする 夫婦は口を とがらせて 鳶とろろに すべりこそすれ」と記されています。物語は、丸子宿で名物のとろろ汁を食べようと店に入った弥次さん・喜多さんですが、途中で店主の夫婦喧嘩に巻き込まれ、とろろ汁をこぼしてしまい、結局食べずじまいに終わってしまったという結末でした。
 

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丁子屋 十辺舎一九の碑

 

 丸子宿名物 とろろ汁と丁子屋については過去の記事にも取り上げています。

kitajskaya.hatenablog.com

 

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16.慶龍寺

 

  慶龍寺(けいりゅうじ と読みます)は、1578年に歓昌院第四世宗旭和尚が開山した曹洞宗のお寺で、境内には慶龍寺の鎮守で弘法大師が作ったとされる延命地蔵と本尊である十一面観世音菩薩が祀らわれています。延命地蔵尊は宇津ノ谷峠を越える旅人が、鬼に会わないようにお参りしたとされています。これは延命地蔵尊が旅僧に変身して、宇津ノ谷峠に出没したを退治した伝説によるものです。

 

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慶龍寺

  延命地蔵尊の鬼退治にちなむ十団子(とおだんご と読みます)が、8月23、24日に催される縁日に境内で売り出されます。

 

17.間の宿宇津ノ谷

 

  間の宿宇津ノ谷(あいのしゅくうつのや と読みます。)は宇津ノ谷峠の東の麓にあり、東海道の難所である宇津ノ谷峠越えを目指した場所です。間の宿とは宿場と宿場の距離が長かったり、峠越え等の難所である場合など、宿場と宿場の間に興り、発展した休憩用の施設を言います。間の宿は宿場としては非公認であったため、旅人の宿泊は原則禁止されていました。

 

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宇津ノ谷集落

  宇津ノ谷地区は、静岡市藤枝市の境界、旧東海道で言えば鞠子宿と岡部宿の間に位置し、街道を往来する旅人が休憩した静かな山あいにある戸数40戸ほどの小さな集落です。この地区には街道の面影が随所に残っており、周辺にも伊勢物語でも歌われた蔦の細道やレンガ造りの明治のトンネルなど数多くの名所旧跡があります。

 先日この宇津ノ谷地区を8年ぶりに訪れましたが、当時と同じように家々が立ち並んではいますが、辺りには誰も住んでいないような怖いくらいの静寂さが感じられました。集落の中にあるお羽織屋(おはおりや)は1590年豊臣秀吉が北条征伐の帰りにこの地を訪問し、羽織を与えたことからこの名がつけられ、後に徳川家康も茶碗を贈っています。お羽織屋は現在でも宇津ノ谷集落に残っており、見学も可能ですが、現在は見学を中止しています。

 

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お羽織屋



 この歴史的な街道の面影を残すまちなみを保存するため、宇津ノ谷地区では2000年に地元住民が中心となって「美しいまちづくり協議会」を設立し、積極的に歴史や街道の面影を継承していく活動をしています。また静岡市でも、街道の面影が残るまちなみを保存するため、この地区を都市景観条例に基づき、「美しいまちづくり推進地区」に指定しています。

 こうした取り組みが評価され、2005年には国土交通省による都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の美しいまちなみ優秀賞を受賞しました。

 

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宇津ノ谷集落

 

18.十団子

 

 十団子(とおだんご と読みます)とは、慶龍寺で8月の23、24日の縁日に配られる厄除けの縁起物で、豆粒大の小さな10個の団子を一連にし、それを9連束ねたものだそうです。宇津ノ谷地区ではこれを軒先に吊るします。江戸時代には、峠越えの山道の途中にある茶屋で売られ、街道名物でした。

 この10個の団子については、旅の僧に姿を変えた地蔵尊が、鬼を打ち砕いて10個の粒に変えて退治した伝説に由来します。

 先ほど紹介した慶龍寺の境内に十団子の由来について説明した看板がありましたので、ここに記載します。

 昔、宇津ノ谷峠に旅人を食べてしまうが現れるため、諸人の難を救おうと在原業平の祈願によって地蔵菩薩旅僧に姿を変えて、宇津ノ谷峠で鬼と対決した。

 旅僧は人間の姿に化けて現われた鬼に「すみやかに本体を現せ」と言うと、たちまち6㍍の鬼の姿に変身した。「なるほど、おまえの通力はたいしたものだ。今度は、できるだけ小さくなってわしの手のひらにのってみよ。」鬼は「よし」と答えて小さな玉となって旅僧の手のひらにぴょんと飛び乗った。

 旅僧はいち早く手に持った杖で、その玉を砕き「お前はこれで仏になった。これから旅人を苦しめてはならぬぞ。」と悟し、砕かれて10粒になった鬼を飲み込んでしまった。

 その後、鬼の災いもなくなり、道中守護のために、お団子珠数の形にして「十団子」を作り、魔除けにした。

                              静岡市 宇津山慶龍寺 看板より引用

 この十団子ですが、実物をブログ記事で紹介したく探しましたが、見つけることはできませんでした。 先ほど紹介した丁子屋さんで2年くらい売られてはいましたが、まだ8月の後半ではないので、店頭で目にすることはできませんでした。

 今年は新型コロナウイルスの感染拡大で、慶龍寺の縁日が開かれるかどうかはわかりませんが、もし開かれるようであれば、買ってこようかと思っています。

 

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慶龍寺 十団子由来

 

19.東海道宇津ノ谷峠越

 

  旧東海道は1590年豊臣秀吉小田原遠征に際し、従来あったつたの細道では大軍が進軍できなかったために築かれたとされています。江戸時代になり参勤交代制度の創設のため東海道は整備されました。街道沿いには宿場町が発展し、宇津ノ谷峠周辺でも鞠子宿、岡部宿が置かれました。

 

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旧東海道 宇津ノ谷峠入り口(藤枝市側)

 

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東海道峠越え 鞠子宿側入り口

 

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旧東海道

 

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旧東海道

 

  この道を参勤交代をはじめとしての数多くの行列が行き来をしていたそうです。確かにつたの細道と比べ道幅は広く勾配も緩やかではありますが、道幅が3㍍くらい、緩やかとはいえ、やはり山道なので道の片側の斜面は崖となっていて、滑落や崩落の危険性が大きかったのではないかと考えられます。実際にこの道を歩いてみましたが、参勤交代の行列が通るにはかなりきつかったんじゃないかと思いました。

 

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髭題目碑

 道中には髭題目碑(ひげだいもくひ)と呼ばれる石碑が立っていました。髭題目とは、日蓮宗でお題目の「南無妙法蓮華経」の七字のうち、「法」以外の六字の端の部分を長く髭のように伸ばして書いたもので、法の光を受けて万物が真理の活動に入る姿を表したものだとされています。この石碑は日蓮宗の宗徒が旅の安全と世の平和を願って建立したとされています。

 旧東海道 と宇津ノ谷峠に関しても以前の記事でも取り上げています。 

kitajskaya.hatenablog.com

 

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20.明治宇津ノ谷隧道

 

  明治宇津ノ谷隧道(めいじうつのやずいどう)、通称‟明治のトンネル“は旧東海道の宇津ノ谷峠にあるトンネルです。その名前が示すように明治のトンネルは明治時代の1876年に日本初の有料トンネルとして開通しました。

 

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明治のトンネル 宇津ノ谷側入り口

  完成当時はかなりお粗末な代物だったようで、静岡側、岡部側双方の出入り口の工法が違っていたり、中央付近でちょうど「くの字」に曲がっていて入口から出口が見えなかったそうです。当時この地を訪問された明治天皇も中央付近はあまりに危険なので下馬されたという記録も残っています。

 

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 そのためトンネルの入り口には太陽の光をトンネルに採り入れる反射鏡を設置し、トンネル内部には50以上のカンテラが吊るされていましたが、それでも中央付近に行くと顔を伺うことができないほど暗かったそうです。

 1896年にこのカンテラが原因で火災により焼失しますが、1904年に入口出口が一直線になり、また内壁が赤煉瓦で覆われた美しいトンネルに変貌しました。

 

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明治のトンネル 岡部側入り口

  8年前は台風の影響により、岡部側の入口より先はところどころに木々が倒れており先に進めませんでしたが、今回は道も国道1号線藤枝バイパスの岡部側の歩道橋に接続する「明治の道」になっており8年かけてやっと通過しました。

 宇津ノ谷峠には明治のトンネルのほかに、「大正のトンネル」「昭和のトンネル」「平成のトンネル」と時代が異なる3つのトンネルがあります。

 大正のトンネルは、1930年に完成し、正式名称が「宇津ノ谷隧道(昭和第一トンネル)」と言いますが、大正時代に計画がスタートしたことや後々に作られた「新宇津ノ谷隧道」と区別するため、一般的には「大正のトンネル」と呼ばれています。大正のトンネルは現在でも大型車の通行が可能です。

 

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大正のトンネル

  昭和のトンネルは、正式名称が「新宇津ノ谷隧道(昭和第二トンネル)」と言い、交通量の増大に対処するために1959年に完成したトンネルです。昭和のトンネルは現在でも国道1号線藤枝バイパスの上り線専用のトンネルとして活躍しています。

 

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昭和のトンネル

  平成のトンネルは、正式には「平成宇津ノ谷トンネル」といい、静岡市の発展や生活・文化圏の拡大に伴い、増加の一途をたどる交通量に対処するため、1995年に昭和のトンネルと並行する形で開通しました。これにより対面通行だった昭和のトンネルが上り線専用となり、新しくできた平成のトンネルは下り線専用のトンネルとなりました。

 

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平成のトンネル

 

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現在の宇津ノ谷峠 (国道1号線静清バイパス 道の駅宇津ノ谷峠付近)

 

 明治のトンネルについても、以前に記事にしています。

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21.蔦の細道

 

 蔦の細道(つたのほそみち と読みます)は、静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町の境にある宇津ノ谷峠を越える道では最も古く、平安時代から豊臣秀吉旧東海道を開くまで約700年にわたり、官道として利用されてきました。

 

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蔦の細道 岡部側入り口

 

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蔦の細道

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  蔦の細道の歴史は古く、奈良時代にまで遡るとされています。蔦の細道が知られるようになったのは、平安初期の歌人在原業平伊勢物語の中で「駿河なるうつの山のうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり」と詠ったことによるもので、当時の道が蔦やカエデなどが生い茂って覆われており、薄暗くて寂しい様子をうまく表現しています。

  蔦の細道は現在でもウォーキング・コースとして整備されており、現在でも通行することが出来ます。通常の人であれば1時間ちょっとで走破できます。以下の写真は8年前に岡部側から蔦の細道を歩き、宇津ノ谷峠を越えて静岡市側に出た時のものです。現在私は57歳、階段を上り下りをするのに息がゼエゼエします。ですのでもう宇津ノ谷峠越えは無理ですねえ・・・!?

 8年前は岡部側入り口から鞠子側までの全線を、今回は途中まで歩きましたが、在原業平が体感したように、現在でも蔦や雑草が生い茂り、行きかう人もほとんどいなかったため、通り抜けるのは正直怖かったのが私の感想です。

 

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宇津ノ谷峠 頂上

 

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 宇津ノ谷峠の頂上で標高は約210㍍、天気がいい日にはここから富士山を眺めることが出来ます。上の写真の石碑には在原業平の歌が刻まれていました。

 

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  蔦の細道も以前の記事で紹介しています。

blog.goo.ne.jp

 

22.坂下地蔵堂

 

  坂下地蔵堂(さかしたじぞうどう と読みます)は旧東海道宇津ノ谷峠越えの岡部宿側の入口にある地蔵堂です。堂内には地蔵菩薩像が安置されており、創建年は不明ですが、古くから峠を越す旅人の安全や村人の暮らしを守る存在として信仰されてきました。

 坂下地蔵堂ではお地蔵様が、牛の鼻に付いた手綱を引いて歩かなくなってしまった牛を動かした「鼻取地蔵」、稲刈りをして困っていた百姓を手助けした「稲刈地蔵」の伝説が残っています。祈願成就のお礼としてを奉納する風習があり、お堂の中には鎌や農具が残されています。

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坂下地蔵堂

 

23.蘿径記碑

 

 蘿径記碑(らけいきひ  と読みます)の「蘿径」とは「蔦の道」のことをさします。この石碑は、江戸時代後期の儒学者駿府の代官であった羽倉簡堂(はくらかんどう)が、東海道が整備されたことで、かつての文学の古道であった蔦の細道が廃れていったことを嘆き、その消滅を恐れて1830年に宇津ノ谷の入口に建てたものです。

 碑文は蔦の細道がいかに古典文学にゆかりの深い、風雅な地であることを分かりやすく伝えております。現在では坂下地蔵堂の裏に移設されています。

 

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蘿径記碑

 

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おわりに

 

  今回の記事も前回同様に以前書いた記事を使い回しという手抜きの編集スタイルとなりました。ただ前回と違って、まだ実際に行ったことがなかった場所や知らない風習があったため、前回より時間がかかってしまい、いつもの編集時間とそう変わりはしませんでした。

 この記事を書くにあたって、8年ぶりに宇津ノ谷峠と蔦の細道そして宇津ノ谷集落を訪問しました。前回は平日の昼過ぎに訪問したことあり、静かすぎるほど静かでした。今回は土日に行きましたが、新型コロナウイルスの影響か、8年前以上に静かで、人の気配を感じられず、まるで建物を残して人がどこかへ消え去ってしまったようでした。せっかく日本遺産に認定されたので、一日も早く新型コロナの騒動が沈静化し、かつてのような賑わいを復活できることを心より願っています。

 次回は江尻宿府中宿の構成文化財について記述したいと思います。今回と同様に東海道の史跡に興味がある方は読んで頂けたら幸いです。

 

参照:Wikipedia:鞠子宿、宇津ノ谷峠、間の宿、蔦の細道

   しずおか東海道まちあるき 丁子屋、慶龍寺

   ふじえだ東海道まちあるき 蔦の細道、東海道宇津ノ谷峠越、明治トンネル

        蘿径記碑、坂下地蔵堂

   Omairi 慶龍寺

   藤枝市 郷土博物館・文学館 食人鬼供養の十団子

   静岡市 宇津ノ谷地区

   わが街ウオッチング 美しいまちづくり推進地区 静岡市宇津ノ谷地区

   静岡市観光ガイド 宇津ノ谷峠、明治のトンネル

   webiio ひげだいもく

   岡部のむかし話 食人鬼供養の十団子 旧岡部町教育委員会

 写真:無料写真素材 写真AC とろろ 月船

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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