五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

祝!弥次さん喜多さん、駿州の旅 日本遺産認定⑥~蒲原宿・由比宿・興津宿編~

 8月も中盤を迎え、連日の猛暑日、というか酷暑日が続いています。これを記述している8月16日も藤枝市では朝から30℃を超え、また今日も暑い一日となるでしょうね!!

 さてお盆休みも今日でお終いとなりました。普段なら実家のある大分県に家族総出で帰省するのですが、今年の夏は新型コロナウイルスの感染拡大のために、実家の両親から「帰ってこないで!!」と嘆願されたため、帰省を断念しました。

 それにしてもこの新型コロナウイルスですが、最近では有名人の感染や学校などのクラスターのニュースがマスメディアから報道されています。新型コロナウイルスの感染者も5万人を超え、死亡された方もここ数日は10人を超えています。

 ただ死亡者は本当に新型コロナウイルスが原因なのかは疑問符(?)が付きます。連日のように猛暑が続いているので、熱中症とごちゃまぜになっているような気がします。また有名人の感染状況を踏まえると、私の何の科学的根拠のない発言で申し訳なのですが、すでに国民の大多数は新型コロナウイルスに感染しているのではないかと思うのですが・・・。如何なものでしょうか?

 私は専門家ではないので、無責任な発言になってしまい申し訳ないのですが、このブログでも述べていますが、新型コロナウイルスを徒に怖がらず、むしろ共存する形で対策を考えるべきだと思います。もちろん感染防止のために今まで通りのマスクの着用手洗いの励行、そしてアルコ―ル除菌の徹底は当然の事として継続すべきですが、このブログでも再三述べているように、度を越した外出自粛やイベントの中止、感染者が発生した施設の閉鎖は即刻止めるべきだと思います。

  またマスメディアの方も不安を煽るような報道の仕方は止めて、例えば新型コロナウイルスに感染しながらも完治した著名人のインタビューをするとか、新型コロナウイルス対策の啓蒙運動のような取り上げてもらいたいです。ともあれ秋口には今の状況が少しでもいい方向に改善でき、お正月には皆が大手を振って故郷に帰省できることを切に願っております。

 

 ◆◆ この記事の目次 ◆◆

 

はじめに

 

 またまた前置きが長くなりましたが、7月の下旬から続いていた「祝!弥次さん喜多さん、駿州の旅 日本遺産認定」も今回の記事で最終回を迎えます。という訳で、今回は蒲原宿由比宿そして興津宿の構成文化財について述べてみます。

 おさらいとして、ストーリーを構成する文化財一覧を再度掲載します。今回の解説するのは1~9となります。 

  構成文化財の名称 ジャンル 五十三次宿
1 蒲原宿 史跡 蒲原
2 旧和泉屋(お休み処) 史跡 蒲原
3 志田家住宅主屋 史跡 蒲原
4 由比宿 史跡 由比
5 静岡市東海道広重美術館 所蔵の浮世絵 美術工芸品 由比
6 間の宿西倉沢 史跡 由比
7 東海道の名主の館(小池家住宅) 史跡 由比
8 薩埵峠 名勝 由比
9 清見 史跡 興津
10 三保松原 名勝 江尻
11 江尻宿名物 追分羊羹 名産 江尻
12 府中宿(駿府九十六ヶ町) 史跡 府中
13 府中宿名物 安倍川餅 名産 府中
14 丸子宿名物 とろろ汁 名物 鞠子
15 丁子屋 史跡・名物 鞠子
16 慶龍寺 史跡 鞠子
17 間の宿宇津ノ谷 史跡 鞠子
18 十団子 文化・風習 鞠子
19 東海道宇津ノ谷峠越 史跡 鞠子
20 明治宇津ノ谷隧道 史跡 鞠子
21 蔦の細道 史跡・名勝 鞠子
22 坂下地蔵堂 史跡 鞠子
23 蘿径記碑 史跡 鞠子
24 十石坂観音堂 史跡 岡部
25 岡部宿大旅籠柏屋 史跡 岡部
26 岡部宿本陣址 史跡 岡部
27 東海道松並木(内谷地区) 史跡・名勝 岡部
28 史跡田中城下屋敷 史跡 藤枝
29 大慶寺 久遠の松 史跡・名勝 藤枝
30 飽波神社大祭の奉納踊り 文化・風習 藤枝
31 瀬戸の染飯 名産 藤枝
32 東海道松並木(上青島地区) 史跡・名勝 藤枝

 

1.蒲原宿

 

  蒲原宿(かんばらしゅく と読みます。)は東海道15番目の宿場町で、旅籠数42、旧庵原郡蒲原町、現在の静岡市清水区のJR新蒲原駅の付近にありました。蒲原宿の歴史は古く、宿場の創設は奈良時代とされており、また古くから富士川駿河湾の水害に悩まされており、1699年には津波により、街道を山よりに移設されています。蒲原宿は富士川の川止めにより大いに賑わったとされています。

 

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蒲原宿 本陣跡

 

 蒲原宿は県内でも唯一歴史国道として認定された宿場町で、なまこ壁や塗り家造りといった趣のある建物が連なっています。

 

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なまこ壁と塗り家造りの住宅 佐藤家(左) 吉田家(右)

 

 蒲原宿と言えば、歌川広重東海道五十三次蒲原夜之雪」の浮世絵で有名ですが、もともとこの地方では雪が滅多に降ることはなく、しかもこの浮世絵が描かれたのが夏であることから、歌川広重の最大の謎となっています。

 

2.旧和泉屋(お休み処)

 

  旧和泉屋(お休み処)(きゅういずみや おやすみどころ と読みます。)は、天保年間(1830年~1844年)に建てられた旅籠で、江戸時代の雰囲気を感じさせる建物です。 1854年安政の大地震でも倒壊しませんでした。

 旧和泉屋(お休み処)は2006年に国の登録有形文化財に指定されており、現在でも建物の一部がお休み処として公開しています。

 

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旧和泉屋(お休み処)

 

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3.志田家住宅主屋

 

  志田家住宅主屋(しだけじゅうたくおもや と読みます。)は安政の大地震後の1855年頃に再建された商家で、奥まで土間が通じ、これに沿って部屋が続く、典型的な江戸期の町屋の造りを残しています。志田家は醬油の醸造をしており、当時の建物や道具類がそのまま残っています。

 志田家住宅主屋は2001年に国の登録有形文化財に指定されており、現在では東海道町民生活歴史館として、志田邸で使用されてきた江戸〜昭和前期までの生活用品が展示されています。

 

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志田家住宅主屋

 

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 この志田家住宅主屋はかつてブログの記事でも取り上げたことがありました。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 

4.由比宿

 

  由比宿(ゆいしゅく と読みます。)は東海道16番目の宿、旅籠数は32と比較的小規模な宿場町で、東海道の難所の一つとされる薩埵峠の峠越を目指す宿場町でした。現在のJR蒲原駅とJR由比駅の中間に位置しています。

 

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由比本陣公園

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由比本陣公園 内部

 由比宿の本陣跡は現在は由比本陣公園となっており、参勤交代の大名や幕府役人が宿泊した由比本陣跡を整備復元するとともに、公園として庭園を整備したり、浮世絵を展示する静岡市東海道広重美術館も設置しました。さらに2005年には公園内に由比宿の歴史を学べる東海道由比宿交流館も建設されました。

 

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東海道由比宿交流館

 由比本陣公園の正面には江戸初期から400年続いている染物屋の建物があります。この建物は正雪紺屋(しょうせつこうや)と呼ばれており、江戸時代初期に慶安の変由比正雪の乱)を企てた由比正雪の生家だと謂われています。

 

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正雪紺屋

 

5.静岡市東海道広重美術館 所蔵の浮世絵

 

  静岡市東海道広重美術館は1994年に由比本陣公園内に開館した美術館で、歌川広重の名作など約1400点を収蔵した浮世絵専門の美術館です。静岡市東海道広重美術館では浮世絵芸術の素晴らしさを伝えるため、所蔵品を中心にバラエティーに富んだ企画展を開催しており、また版画刷り体験も行っています。

 

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静岡市東海道広重美術館

 

tokaido-hiroshige.jp

 

6.間の宿西倉沢

 

  間の宿西倉沢(あいのしゅくにしくらさわ と読みます。)は 由比宿と興津宿の間にあり、薩埵峠の東側の登り口にあたります。往時には10軒ばかりの茶店があり、ここで峠越えの疲れを癒したり、富士山の眺めを愛でたそうです。

 

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間の宿西倉沢

 

7.東海道の名主の館(小池家住宅)

 

  東海道の名主の館(小池家住宅)は、由比宿から薩埵峠へ向かう街道沿いの寺尾地区で代々村の名主だった小池家の分家住宅です。明治時代の初期に建造されましたが、建築様式は江戸時代のもので、1998年には国の登録有形文化財に指定されています。

 

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東海道の名主の館(小池家住宅)

 

8.薩埵峠

 

  薩埵峠(さったとうげ と読みます。)は、静岡市清水区にある峠で、東海道五十三次の由比宿と興津宿の間にあり、東海道の難所のひとつとされていました。現在でもこの付近は東名高速国道1号線東海道本線が並走する交通の要衝となっています。

 薩埵峠は富士山と駿河湾が望める絶景スポットとされており、多くの観光客や写真家がここを訪れており、薩埵峠の展望台には通信設備が備えられており、24時間365日、富士山と道路状況をライブ配信しています。

 

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薩埵峠からの東名高速国道1号線東海道本線

  薩埵峠は万葉の歌人である山部赤人の「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける」の歌の舞台となったことで知られており、歌川広重東海道五十三次の由比宿を描いた浮世絵にも薩埵峠が登場しています。

 ただこのような景観とは裏腹に、由比宿と興津宿の間は、薩埵山が海へと突き出す地形となっており、古くから交通の難所として知られていました。由比から興津へ、興津から由比に抜けるには、海岸線沿いの道を波間を縫いながら、波にさらわれないように通らなければならず、親子であっても振り返る余裕すらないので、「親知らず子知らず」と揶揄されるほど危険でした。

 この薩埵峠を行く道が出来たのは1655年のことで、朝鮮通信使を迎えるために幕府の威信をかけて峠道が作られました。それでも何㌔も険しい山道が続く難所には変わりはありませんでした。

 

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薩埵峠 展望台

  テレビや雑誌で薩埵峠の景観を見ていたので、私は是非とも薩埵峠には行ってみたいと思い、お盆休みを利用して出かけました。行くにあたって迷ったのは、展望台までで行くか歩きで行くかどうか?でした。情報誌によると展望台の駐車場までの道は狭く、道幅は軽自動車2台分の広さしかないこと・・・。結局、運転テクニックには自信がないので、興津駅からバス🚌で途中の薩埵峠入り口まで行き、そこから歩くことにしました。

 でもこのプランにして成功、展望台駐車場の道は予想以上に狭く、軽でもすれ違うのはやっと!!恐らく対向車が来たら私は慌てふためいて、ひょっとしたら事故を起こしたかもしれません。結局往復で3時間くらいかかりましたが、何とかここから見える富士山と駿河湾の景観を堪能できました。

 展望台から由比宿に抜ける道もありましたが、距離が約4㌔ほどあり、徒歩では1時間以上掛かるので、さすがに体力が持たないと思い、これは断念しました。ただ後で聞くとこの道は現在は土砂崩れのために通行止めになっていたようです。

 ただやはり三保松原の時にも記述しましたが、やはり富士山🗻をバックに景観を楽しむには夏ではなく冬ですね!!夏の富士山は見えるには見えますが、やはり雪がないので残念ながらインパクトに欠けます。

 あとやはり炎天下のハイキング熱中症と隣り合わせなので、できれば控えた方がいいですね。ちなみに私は2㍑のペットボトルをもって峠道を歩きましたが、それでも往復する間にペットは空になりました。人より体が頑丈にできているので、この歳になっても何とか走破できましたが、やはりこれは無謀なことだったと反省しています。

興津宿とは?

 

  興津宿(おきつしゅく と読みます。)は東海道17番目の宿場町で、旅籠数は34、現在のJR興津駅あたりにありました。興津宿は東海道の難所である薩埵峠への休憩地点として賑わいを見せており、清見寺下の清見(きよみがせき)は、関東の蝦夷への備えの役割を果たしてきました。また興津宿は甲州へ続く身延街道の起点でもあり、交通の要衝として発展しました。

 明治時代になり鉄道が開通すると、風光明媚な景色に魅かれて、伊藤博文西園寺公望といった明治の元勲たちの別荘地となり、避寒地として全国的にも知られるようになりました。

 

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9.清見

 

  清見(せいげんじ と読みます)は、奈良時代に創建された東海道屈指の名刹で、興津宿の西側にあります。かつて関東の蝦夷に備えるために清見関が置かれましたが、その傍らに関所の鎮護として仏堂が建立されました。その仏堂が清見寺の始めだと伝えられています。

 

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清見寺 仏殿

 清見寺は足利尊氏今川義元の帰依を受けて、鎌倉時代から室町時代にかけて勢力を誇りました。徳川家康も幼少期に今川家の人質だった頃、当時の清見寺の住職だった太原雪斎の教えを受けていました。江戸時代にも幕府の庇護を受けたほか、東海道が目の前にあることから、朝鮮通信使琉球使の接待がここで行われました。

 駿河湾を見渡せる風光明媚な高台にあるので、夏目漱石島崎藤村高山樗牛与謝野晶子等多くの文化人がここを訪れています。

 

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清見寺 総門

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清見寺 山門

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清見寺 大玄関

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清見寺 鐘楼

 

おわりに

 

  7月の後半から始まった「祝!弥次さん喜多さん、駿州の旅 日本遺産認定」もようやく6回目の今回をもって終了します。以前の記事にも書きましたが、当初は1,2回くらいでお茶を濁そうと思っていましたが、ブログ記事の記事数アップと構成文化財が32ヶ所とそれほど多くないので、どうせなら全部みて記事にしようという思いが勝り、このような連載を取る形になってしました。

 「弥次さん喜多さん、駿州の旅」の構成文化遺産のうち、6の間の宿西倉沢、32の東海道松並木(上青島地区)は今回の取材ではどうしても場所が特定できず、18の十団子については実物を見ることが出来ませんでした。もし機会があれば再度訪問して、写真を掲載したいと思っています。

 今回の取材を通して思ったのは、観光資源のインフラが十分に整っておらず、せっかくの観光資源を活かしきれていない印象を持ちました。これは静岡市藤枝市も同様です。日本遺産というブランドを使って、観光地としての集客力アップと地方活性化を図るには重要のことであるので、是非ともそこに住んでいる住民と共に一丸となって積極的に取り組んでもらいたいと思います。

 本来ならば2020年は東京オリンピックが開催され、「観光立国」として多くの観光客が国内外を問わず、国内の観光地を訪問し、大いに賑わっているはずでした。それが新型コロナウイルスという‟悪‬魔”が世界中に席巻し、今や世界は危機に瀕しています。この危機を脱するため、各国はワクチンの開発や身近にできることとして世界中がマスクの着用や手洗いやアルコール消毒を励行し、新型コロナウイルスの終息のために日夜努力をしています。

 今はただ新型コロナウイルスの感染防止のため、世界の人たちが今やっているが報われ、一日も早く、当たり前のことが当たり前のようにできた日々が返ってくることを祈るばかりです。

 

参照:Wikipedia:興津、清見

   歩く東海道53次 興津宿、由比宿、蒲原宿

   駿河歩人 興津宿、薩埵峠、由比宿、蒲原宿、薩埵峠

   臨在宗妙心寺清見寺 公式ホームページ お寺の由来

   しずおか東海道まち歩き 蒲原宿、旧和泉屋お休み処、由比本陣公園、

     静岡市東海道広重美術館、正雪紺屋、東海道名主の館 小池邸

     志田邸・東海道町民生活歴史館、由比宿、

   静岡市観光ガイド 薩埵峠、東海道名主の館 小池邸、

                 東海道広重美術館、由比本陣公園

   JAPAN WEB MAGAZINE 由比の町並み、薩埵峠とネコと桜海老

 

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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