五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

赤ん坊が生まれた日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

  7月もはや終盤を迎えています。新型コロナウイルスの感染拡大で延期となっていた東京オリンピックもあと数時間で開催されます。オリンピック開催には慎重論などいろいろと意見がありましたが、何とか開催に漕ぎ着けたことは喜ばしいことだと私は思います。ただもう少し事がスムーズに運ばなかったのかは疑問が残ることだし、開催直前に起きたいじめやヘイトでの関係者の更迭は何ともいただけないことです。まだまだ猛威を振るっている新型コロナウイルスですが、オリンピック開催中は十分に感染拡大防止に留意し、是非ともこのオリンピックが平穏無事に終了することを陰ながら応援いたしております。

  さて今回の記事は【今週のお題】から。私の「記憶に残っている、あの日」といえば、月並みになりますが、やはり子供が生まれた日になりますね。私には2人の子供がいて、上は女の子で下は男の子。ちょっと意味あいは違うかもしれませんが、いわゆる一姫二太郎になります。誕生した月は上の子が男の子の節句がある5月、下の子は女の子がある3月生まれです。誕生月により上の子が男の子ぽかったり、下の子が女の子ぽかったりはしませんでしたが、両親がインドア派だったので、必然的に子供たちはインドア派になりました。

 では本題の「記憶に残っている、あの日」、まず娘の方が産まれた日は5月下旬、もうすぐ6月になろうかという時期で、少し夏めいた晴れたすがすがしい一日でした。当時私は埼玉県の某ショッピングセンター内のインナーショップの店長をしていました。

 嫁のお母さんから陣痛が始まったとの連絡があり、とりあえず早退し、嫁が入院していた神奈川県の病院に行きました。多分出産には間に合わないだろうと思いましたが、その通りで、実はお母さんは病院に着き、嫁を産室に入れた後、私に電話したのですが、実はその間に産まれた様で、陣痛が始まってから約1時間半というスピード出産でした。

 息子が産まれた日は3月の中旬、暦の上では春ですが、まだまだ冬の寒さが残る曇りの日でした。その頃は静岡の工場に交替勤務をしており、娘と時と同様に嫁のお母さんから電話がかかったのは夜の10時過ぎで、ちょうど事務所にいた同僚が電話を取りました。当時は車の免許は持っていましたが、ペーパー・ドライバーで、おまけに車も持っておらず、息子と対面したのは、翌朝の始発の新幹線で嫁が入院している病院を訪ねた時でした。

 朝、病院で息子を産んだ嫁に聞いたところ、娘の時と同様に陣痛から2時間ちょっとで出産したそうで、息子と感動の対面した後、その日の午後には勤務先の静岡に戻り、交替勤務をしました。

 初めて赤ちゃんである私の子供を見た時、なんだかサルのようで正直グロテスクな印象を受けたのですが、嫁の方は愛おしくてしょうがない様子で、そこの母性というのはこういうものだと改めて実感しました。最初はグロテスクな印象を受けていたのですが、それは一瞬で終わり、これは息子の時もそうですが、かわいいとか愛おしく思え、以後ずっと子供優先の生活が続いています。

 そんな子供たちですが、大きな大病とかトラブルを起こすこともなく、2人とも何とか大学生になることができ、今ではバイトやサークルに何かと忙しい中でも、授業優先でほぼ毎日大学に通っています。子供達の将来に不安がないとは言えませんが、そろそろ巣立ちの日が近づいています。それまでは親バカと言われようが、子供たちと残り少ない家族水入らずの生活を満喫していこうと思っています。

 

 

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写真:無料写真素材 写真AC 赤ちゃん 手 早介 

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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