9月になりました。まだ日中は蒸し暑さが続きますが、さすがに朝晩はエアコンを点けると肌寒く感じます。季節は秋なんですね。昔から「秋の日は釣瓶落とし」といいますが、そういえば日が暮れるのが随分と早くなってきましたね。
さて9月の第三月曜日は敬老の日ですが、私もあと少しで還暦まじかになり、世間一般に言われる老人の仲間入りとなります。自分としては気持ちとしてはまだ若いつもりではいるし、老人としての実感はないのですが、ただここ数年は体の衰えを顕著に感じ、改めてもう若くないんだという悲しい現実を直視せざるを得ません。
老いを感じるようになったのは、まず物忘れが酷くなったこと。これはひょっとしてボケの始まりかもしれませんが、普段よく使う言葉が思い出せなくなったことに端を発し、最近では部下の名前、業務で使う用語などをなかなか思い出せず、業務に支障きたすほどではないにしても、事あるごとに歯がゆい思いを感じてはいます。そのせいか怒りっぽくなったみたいで、自分の言動に後で気づき反省することしきりです。
目の衰えも最近では酷くなってきています。いわゆる老眼というやつですが、最近では単行本や新聞の文字も老眼鏡を付けていなければ読むことが非常に困難になってきています。私は視力検査では左1.5・右1.0と比較的に視力はいいほうなので、日常生活に深刻な影響を及ぼすことはありませんが、読み物をする時に老眼鏡を手放せなくなったことには、鬱陶しく感じます。というのも老眼鏡をかけると近くのものは鮮明に見えますが、逆に遠くのものはぼやけてしまいますし、何より嫌なのは、長く老眼鏡をかけていると、接触しているところが不快に感じてしまうことです。
さらに体力の衰えもここ数年は顕著に表れてきています。これは50を過ぎてすぐの時で、以前のブログ記事にも書きましたが、近くの蓮華寺池公園の西側の標高110㍍ほどの山に登った時にかなりの息切れを感じてしまいました。ここからは駿河湾や晴れた日には富士山を望むことができる見晴らしいい場所で、初日の出を拝むにも最高のスポットなのですが、体力の限界を感じて最近では上るのを躊躇っています。
私は工場勤務をしている関係で、肉体労働が主で、私は小柄な割には割と力があるほうなのでしたが、昔は軽々と持ち上げることができた荷物を最近ではようやく持ち上げることができる状態で、力が出せなくなったことに落胆を隠しきれません。
そういえば、疲れやすくなったことも事実で、割と体力に自信があり、何日も徹夜したり、業務上の勤務時間のシフトの変更も苦にはならなかったのですが、最近では無理が出来なくなっています。またマイカー通勤で通勤時間が長いのですが、昔は勤務時間が長くなってもさほど疲れを感じず、まっすぐに帰宅することができたのですが、最近では途中コンビニに寄って少し休憩しないと、通常の勤務時間でも体が疲れ切ってしまって、運転がヤバくなってしまいます。
私の手相では生命線が長く、これまで命にかかわるような大病を経験したこともなく、加えて両親、特に父親の家系は長寿だったことから勝手に長生きできると思っていました。ただその考えも実は甘いものだったかもと近頃は実感しています。
ただ願わくば、娘が結婚し、できれば孫の顔を見てみたいし、また息子が社会人として生きていけるようになるまでは死にきれないという思いがあります。人の人生などは先行きはどうなるかはわかりませんが、これから健康に留意して、子供たちの将来を見極めるまでは何とか長く生きようと思っています。
写真:無料写真素材 写真AC 孤独な高齢者 craftbeermania
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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