五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

死ぬかと思った思い出

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

 あれは会社に入って2年目のことですから、今から35年くらい前の話になります。当時の私は販売職をしていて、入社1年目で業績も好調だった都内中央線沿線のある店舗からその隣町の業績も人間関係も最悪の店舗に転勤となり、また同じ頃に当時付き合っていた(正確にはそれに近い状態でしたが・・・。)2つ年下の女性にまさかの浮気(そう思っていたのは私だけで、彼女はそうは受け取っていなかったように今は思います)の告白をされ、しかも相手は身内のような人だったので、彼女とはすぐさま破局を迎え、それもあってか精神はボロボロの状態でした。おそらくこの時点で私の心は少し病んでいたと思います。

 転勤先のことはあまり書きたくありませんが、私の未熟さと不可抗力的なこともあり、公私とも最悪な状態となりました。結局ストレスを🍶とカラオケ🎤で紛らわすことしかできず、店舗が閉店してから、前の店舗で知り合った兄貴分のような人と毎晩のように飲み歩き終電🚃で帰宅、終電がなくなったり、休日の前の日には近くのサウナに泊まり、次の日はそこから出勤したり、朝帰りをするなどしていました。そのため店舗のバックヤードには常にクリーニング済みのYシャツネクタイ👔を用意していたと思います。

 当時の私はこのほかに「自分はではないか?」と思い込んでいて、微熱と異常な倦怠感に悩まされていました。今考えれば生活習慣がおかしいのだからそうなって当然なのですが、若い頃の私にはそんな考えは微塵もありませんでした。病院🏥に行っても異常なしとのこと、「そんなはずはない」と病院を変えても検査を受けても同じことの繰り返しでした。それでも諦めきれずに、私は休みの日が来るたびに病院での検査を繰り返し受けていました。

 私には今でも親しい友人はいませんが、当時もほとんどいませんでした。ただ飲み友達の兄貴分の人、年齢は私より5,6歳上でしたが、私のことをよく気遣ってくれる唯一の人でした。ただその兄貴分にも体調の悪さについて話すと、何だか彼が私から離れていくような気がして、それが怖くて黙っていました。今にしてみればそれが誤りだったかもしれません。

 当時の私は会社の寮に住んでいて、そこには寮母さんがいて、朝夕の食事を用意してくれていました。寮母さんとの関係は良好で、よく相談事も聞いてくれましたし、私は販売職だったので、平日が休みのため、休みの日には寮母さんの身の回りのこともよく手伝っていました。ただ転勤となってからは私の口からは愚痴恨み言ばかり。そんなことを繰り返すのだから、次第に寮母さんは私から距離を置くようになっていったと思います。

 あれは3月末の寒い朝でした。前日は相変わらず終電で帰宅し、目が覚めると吐き気がして、寮のトイレ🚻で吐きました。こんなことは日常茶飯事でしたが、その日はいつもと様子が違い吐き気がいつまで経っても収まりませんでした。そしてよく見ると吐瀉物がどす黒い液体で、それがいつまで出てきます。まるで永遠に続くかのように・・・。

 しばらくして私は気付きます。「これはではないか!!」と。怖くなった私は部屋にいた寮母さんを呼び、何とか状況を説明、その間も吐き気が止まらなかったので、近くにあったバケツに吐血しました。それをみて青ざめた様子の寮母さんはすぐさま救急車🚑を呼び、私のほうも何とか吐き気が小康状態となりました。ただ途端に異常な寒気が私の体を襲い、救急車の中ではブルブルと震えていたことを覚えています。

 病院🏥に着くとすぐさま点滴を受けました。点滴を受けるのはこれが生まれて初めての経験で、今までテレビドラマでしか点滴を知らず、これが点滴なんだと改めて感心していました。

 ただ病院に着くやいなや、これは記憶が曖昧なのですが、体が熱くなり、おまけに異常に怠さを感じました。体温を測ると何と41℃でした。これは今まで生きてきた中で最も高い体温であり、後にも先にも40℃を超える体温になったことはありません。

 当然のことながら私は意識朦朧状態となりました。この頃には寮母さんが会社に連絡し、都内に住んでいる身元保証の叔母のところに連絡が行き、叔母は会社を早退し、私の見舞いにやってきました。叔母は病院の先生に私の病状を尋ねていましたが、薄らいでいく意識の中で、私は病院の先生が話す言葉に愕然としました。

   「この人は今晩が峠だ。

 その言葉を聞いた私は、

   「そうか、俺は死ぬのか。

と思いました。ただ不思議と恐怖心は感じはしませんでした。その時は「あの汚い部屋を見たら寮母さんはへいこうするだろうなあ!?」とか「最後にFさん(私の兄貴分の人)に挨拶したかったなあ。」「多分俺の葬儀は惨めなものになるなあ・・・。」とか俗物的な考えしか頭に思い浮かびませんでした。

 次に目が覚めた時は、ベッドの上でした。多分昼前だったのではないかと思います。

   「まだ生きているんだ。

と起き抜け一番に感じましたが、あまり感慨深いものではなかったと思います。

 午後になってから叔母から知らせを受けた両親が九州から上京しました。実は大学卒業時🏫に両親と就職先を巡り激しく口論し、それからほぼ絶縁に近い状況でした。ただ息子が倒れたと聞き、慌てて上京したようでした。

 そんなこともあり、両親とは会話はさほど弾まず、終始無言に近い状態で、病室の中は気まずい雰囲気が漂っていたと思います。ただその時、私の病状を気遣ってか、寮の同期の子2人がお見舞いに来てくれ、何とか両親と会話をしてくれ、異様な雰囲気はひとまず収まりました。

 その日の午後遅く、名古屋に住んでいる弟がお見舞いに来たので、私のことを弟に一任して両親はその日のうちにさっさと九州に帰りました。弟はその次の日まで東京に滞在し、私の安否状況を確認してから名古屋に帰りました。

 私はそれから1週間入院し、点滴による治療を受けました。その間は固定食は一切食べませんでした。固定食を口にしたのは退院してからで、退院して始めた食べたのは何も入っていない塩で味付けをしたシンプルなお粥でしたが、お粥がこんなにおいしいものだと感激したことを覚えています。

 入院をしている間は勤めている店舗のパートさんがお見舞いに来た程度でそれ以外のお見舞いはなく、病院のほうも若いのに人間関係が疎遠な人だと怪訝そうな顔をされていたようです。入院中は何もすることはなく、退屈しのぎに弟から差し入れられた書籍を読む程度でした。やることもなく、かといって話し相手もいない、これほど孤独が苦痛なのかとあの時は嫌というほど痛感させられました。

 その年1988年4月上旬は異常に寒く、何十年かぶりに4月に東京でが降りました。病室の窓から降り積む雪をどことなく悲しげな気持ちで眺めていたことを覚えています。あとセンバツ甲子園大会で愛媛の宇和島東初出場・初優勝した年でした。これはラジオか病院のロビーにあったテレビ📺を見たかは定かではありませんが、初出場・初優勝ということだけは鮮明に記憶に残っています。

 私の吐血の原因は食道に約10㌢の亀裂ができたのが原因で、不摂生ストレスが主な原因でした。病院の先生によると、絶え間なく続いていた微熱は食道が傷ついていたことによるものだろうと、明言されました。

 退院がしばらくして職場に復帰しましたが、復帰早々に兄貴分のところに挨拶に行ったところ、兄貴分からは「いきなり連絡が途絶えたこと」と「入院していたこと」について、こっぴどく怒られましたが、私の体調が悪いのに振り回したことは「すまなかった」と謝罪されました。私も兄貴分があんなことがあっても、昔と変わらずに付き合ってくれたことに感謝しましたが、2人でしばらくは酒とカラオケは控えました。

 それからすぐに私は埼玉にある大型店の方に転勤となりました。私には入院して会社に迷惑をかけたのだからという殊勝な気持ちもあって、いろいろとハードルは高かったのですが、何とか実績を残すことが出きました。それを皮切りに何年かごとに神奈川や東京の大型店へと転勤を繰り返すようになり、それに比例すように以前と比べて仕事の方も忙しくなってきました。

 そういう状況なので、兄貴分との関係は次第に疎遠になっていきました。それでも埼玉の店舗に居た時は年に数回、中央線の街を訪れて旧交を温めたりしていましたが、次第にそれも時間の経過とともになくなってしまいました。

 それから何年かして、私も結婚💒することになり、兄貴分に結婚の報告をするために久しぶりにその街を訪れましたが、兄貴分の勤めていたお店も、よく2人で遅くなるまで飲み歩いたりカラオケをしていたスナックや小料理屋も無くなっていました。残念ながら兄貴分の消息も分からずじまいになってしまいました。

 兄貴分、Fさんは今は65歳くらいではないかと思います。彼は私が社会人になってから初めて心を許すことが出来た友達でした。会ってからもう36年くらいになりますが、今でも時々、Fさんの人懐っこいダミ声が脳裏をよぎります。そして時折見せた背中を丸めてどことなく寂し気な表情で日本酒🍶をちびちびやる姿が瞼の奥に浮かび、過ぎ去った昔の楽しかった思い出が鮮やかに蘇ってくるのです。

 


イラスト:無料イラスト素材 イラストAC 走る救急車 サカティー

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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