五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

そういえば、中学校の時バレーボール🏐部だったよなあ!?

今週のお題「わたし○○部でした」

 小さい頃から運動神経が悪く、小学生の時はかけっこをしてもビリかビリから2番目、跳び箱がうまく飛べず、男子で1人だけ女子と同じ班に入れられたり、散々嫌な思いをしてきました。運動神経が悪いことでいじめを受けることはありませんでしたが、運動会とかで私が同じ班になると、男子の中では露骨に嫌な顔をする子が何人かいて、子どもながら居た堪れない思いをしました。

 中学校に上がり、あれほど運動神経のなさを痛感していたのに、何を勘違いしたのか、一念発起し私は運動部にいろうと思いました。いわゆる‟中学生デビュー”というやつで、最初はバスケットボール🥎部に入っていましたが、人数が多いことと入部希望者のスキルが髙かったことで、約1週間で挫折し、あまり人がはいっていないバレーボール🏐部に再度入部することにしました。

 入部当初、最上級の3年生は怖い人が多かったのですが、新1年生にはあまり関心がないのか、必要最小限ことをしておけば、怒られることはなく、実際に怒られたことはありませんでした。それと3年生が現役で活動できるのは8月に行われる県大会出場を賭けた6月の市内予選までだったので、3年生の人たちと一緒だったのは2か月弱だったのか、3年生の人達との思い出はほとんど記憶にありません。

 1個上の2年生の人たちも優しい人が多く、部活にありがちないじめしごきなどを経験したことありません。ただ一部の2年生から私の運動神経の悪さを言葉で指摘されたことがあるくらいで、当時はそれでも少しはキツイと思っていましたが、今思えば結構楽な部活だったのかなあと思います。

 特に新しくキャプテンになったSさんは、私がSさんにため口を言おうが、悪態を付こうが全く気にすることなく、接してくれていました。これが他の部活だったら、恐らく速攻で二度と減らず口が効けないよう。袋叩きにあっていたと思います。

 私が所属していたバレーボール部は、3年生の代。2年生の代までは市内4チームのうちで2位をキープしていました。市内のチームでT中学がずば抜けており、詳しくはわからなかったのですが、ユニホームに「大分〇〇」と書かれていたこともあって、県代表として何回か全国大会に出場したこともあったようです。

 ただ私たちの代になってからは各段に弱くなり、市内の大会でもかつて3位以下になったことがなかったのに、秋の新人戦でまさかの最下位、それも全試合1セットも取れないという惨敗でした。しかもその試合中、私は腸捻転で倒れ、病院🏥に運ばれるというアクシデントもありましたが・・・。

 原因としてはやはり私の運動神経が悪く、そこを狙われていることもありました。また私は背が低く、ジャンプしてもネットを越すことが出来ず、その為か私はアタックを打つことを禁止され、ずっとレシーブ専門、今でいうリベロでした。今の戦術ではどうこうなったかもしれませんが、昔では私が前衛のポジションに入っているときは常にアタッカーは2人と攻撃面でハンデがあったのではないかと思います。

 またレギュラーになった私の同級生は入部して僅か3か月でしたが、背が高いという理由で選ばれました。彼はもともと目が悪いという言うこともあり、試合で挙げられたトスを空振りするという珍事もありました。また練習の際に、同じ中学で運動神経がいい生徒の混成チームにも惨敗したこともあって、私たちの代は「史上最弱・最低」と事あるたびに口の悪い同級生たちに馬鹿にされる始末でした。

 それから練習試合も含め、負けが続き、なかなか初勝利を挙げることが出来ませんでした。そんな中、私が3年生になった5月くらいだったと思います。私の住んでいる郡市を含め、大分県北部の大会がありました。

 その大会で隣町の山奥にある生徒数の少ない中学校相手に、2-1の接戦でしたが、初めて勝利しました。初めての勝利でしたが、皆嬉しいという感情よりも「うちより弱いチームがあったんだ!!」という驚きの方が強かったと思います。

 そして迎えた3年生最後の市内予選、市内最強のT中学には秋には1セットはおろか、試合中に合計3点しか取れませんでしたが、この時には惨敗には変わりはありませんでしたが、それでも試合で10点以上は取った思います。負けが続くチームにとってはこれが少し励みになったのではと思います。

 次の市内2位のチームとの試合、このチームにも秋には1セットも取れませんでしたが、この試合では念願である1セットを取ることができ、試合も終盤は1点を争うシーソーゲームのような状況となり、結局敗れはしたものの、試合は結構拮抗したものになりました。

 私が中学での最終試合となったの市内3位のチームとの試合、前試合で燃え尽きたのか、エースとサブの調子が今一つ、何とか1セットは返したものの、第三セットで12-2(だったと思います・・・。)と大きく点差が開いていました。そんな中で私にサーブ権が移りました。

 この状況下、チームメイトも指導していた顧問の先生も私には全く期待していなかったと思います。顧問の先生何かは早々に片付けをしていましたから・・・。この時私はどうせ期待していないなら少し突飛なことをやろうと考え、当時はボールを横から打つサイドハンドサーブが主流で、私も試合ではほとんどこれを使っていましたが、この時はアンダーハンドサーブで、それもできるだけ高い位置に上げ、前衛の位置に落下するようにようと考えました。

 実際にやってみたところ、これが面白いように決まり、相手は誰が受けるのかお互いに顔を見合わせてボールが床に落ち当たり、落下する憶測を間違えたりで、うまく相手を翻弄することができました。最後は私のサーブミスで終わりましたが、10点以上あった得点差は1点差までに縮んだと思います。結局試合は負けてしまいましたが、これまで運動面で迷惑ばかりかけており、自慢することが皆無だった私にとって、これが唯一の運動面で貢献した出来事でした。

 高校に入ってからは部活動に参加することはなく、また大学では民族音楽系のサークルと特撮映画のサークルに入ったので、運動部の経験は中学校しかありませんし、後の広告の体育祭とかはありましたが、マスゲームやダンスくらいしか記憶になく、全く活躍していないと思います。

 昨日、何気なくAMAZON PRIMEを見ていると、10年以上も前に映画になった綾瀬はるかさん主演の「おっぱいバレー」を見かけました。あの映画の中に出てくるバレー部も一度も勝ったことないチームで、中学校の頃に私がチームと一緒だなあと、懐かしく思い、筆を執った次第です。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 

 

 

写真:無料写真素材写真 写真AC 中学校バレーボール部 まるう

 

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