五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

娘が巣立つ日

 先々週、娘が通っていた大学を卒業し、晴れて社会人となりました。と同時に家🏠を出て、新たに一人暮らしをすることになりました。娘の一人暮らしについては、どこか暗黙の了解のようなものがあって、大学を卒業したら一人暮らしになるのではないかと私は思っていたし、娘の方も早く一人立ちがしたかったようです。もっとも母親である嫁は若干反対のようなものはしましたが、いつの間にか立ち消えになり、特に揉めることはなく、すんなりと娘の一人暮らしは決まりました。

 先々週から先週にかけて引っ越し🚛を行いました。といっても娘の荷物はさほど多くなく、新たに使用する家具や家電などはホームセンターや家電店からじかに直配すればいいので、引っ越し業者を頼まず、我が家にあった娘の荷物を私と嫁が娘の住む街へ何回かに分けて運びました。

 昨日何とか引っ越しも終わり、あとは通勤用のイカ🚘と新社会人としてのスタートを待つだけとなりました。自宅にいるときは片付けが得意ではなかった娘ですが、余り荷物がないこともあり、今のところはきれいに整理整頓を出来ています。恐らくはもう娘の住む部屋にはほとんど訪れることはないと思いますので、この状態が長く続ければと、老婆心ながら願っています。

 思えば娘と過ごした22年余りは、私にとってはいい思い出しかないように思えます。娘が誕生した東京の調布での生活は僅か1年余りでしたが、お隣さんや管理人さん、挙句には管理会社の人からも可愛がられていました。

 娘が1歳になる時に、静岡の方に転勤となりました。そこでは慣れない仕事に苦悩し、私は精神的に参っていましたが、帰宅してから幼い娘と一緒に遊んだり、風呂に入れたりすることで、随分と心が癒されました。またこの地で息子が誕生🎂しましたが、赤ちゃん帰りすることなく、私たちに常に明るく接してきました。それは次の赴任地である福島でもそうでした。

 そういえば、いきなり静岡から福島へ引っ越した最初の頃、一緒に風呂に入っているときに慣れない生活から一度だけ「静岡に帰りたい」と弱音を漏らしたことがありました。ただそれもしばらくするうちに幼稚園にも慣れ、仲のいい友達とかできたせいで、すぐに以前のような明るさが戻ってきました。

 この頃は仕事が終わって自宅に帰ると待ち構えたように「遊ぼう!!遊ぼう!!」と寄ってきました。疲れた身には少々堪えましたが、それでも娘の笑顔に敵わづ、部屋や外で遊んだものでした。ただ後で聞いた話だと、この頃娘は幼稚園の先生とあまりうまくいっておらず、幼稚園での寂しさを隠すため、また私たちにそのことを知られないようにわざと家で明るくしていたようです。後日その話を聞いて、改めて娘の人間性に感服したものです。

 その後、再び静岡に転勤となり、最初の1年間はちょうど息子が小学校に上がることと重なり、私のみ単身となりました。ただ月に1、2回は必ず福島に戻り、子どもたちと過ごしました。単独新幹線🚅に乗る時、娘の寂しそうな顔は今でも忘れることはありません。

 1年が経ち、今の住まいである藤枝に引っ越しました。娘は地元藤枝の小学校・中学校・高校と進み、大学は静岡市になりましたが、つい先日まで今の藤枝の住まいから各学校に通っていました。この間思春期特有の親と距離を置くこともありましたが、親子断絶といった物騒なものはなく、特に反抗期もなく今まで育ってきました。 

 また娘にとって、藤枝で過ごした12年間は貴重な時間だったと思います。生涯付き合える友達もできたし、部活動やサークル活動など、人間関係で揉まれながら、人生のスキルを学ぶことで、彼女なりに人間的にいろいろと成長したのではないでしょうか。考え方はちゃらんぽらんに生きてきた私をはるかに凌駕しているのではと感じます。

 娘が家をでてから数日が経ちますが、今でも仕事から帰ると「娘は?」と嫁に声をかけてしまいます。数秒経って、「ああ、いないんだと」と気づきます。今はまだ娘が居なくなった寂しさなど、さほど感じてはいませんが、しばらく経ったらどうしようもなく寂しさを感じてしまうかもしれませんね。

 

 

 

写真:無料写真素材 写真AC NEW LIFE チョコラテ

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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