五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

とある著名人となった「同級生」

今週のお題「同級生」

 

 また先週のお題となってしまいましたが・・・。

 私は子供の頃から人付き合いが苦手で、特に上京する前の同級生たちとは付き合いがありません。ですので、小・中・高の同窓会なるものは、もう40年以上も前に高校生の時に1回だけ中学校の同窓会に出席したことがあるだけ、それ以降は一度も行ったことがありません。

 特に高校の時は、いまでいうボッチ状態だったので、続く成人式も、その頃は大学でフランス語の試験か何かがあったこともあり、当たり前ですが出席しませんでした。今思うと不思議なのですが、両親も成人式に参加しろとは言ってきませんでした。私の娘の成人式には着物👘を作ってくれるなど援助してくれたのにね!?

 だからたまに田舎に帰省しても自宅以外はどこも行くところはなく、手持ち無沙汰を感じます。また結婚💒に際して、田舎ならではの同級生が集まって何日も結婚を祝うどんちゃん騒ぎという経験もありません。実際のところ結婚式💒とは別に、両親がメンツで田舎で私の結婚の報告会をしてくれましたが、これはホントに嫌で嫌でしかたがありませんでした。もちろん報告会には同級生は一人も参加しませんでしたが・・・。

 ですので、同級生といってもこれといって、対人関係が希薄な私にとっては話題になるものはありません。小・中・高の同級生たちがつるんでいる姿を見て羨ましいなあと思ったことは、若い頃はありましたが、齢をとるにつれ、だんだんと一人の方が楽でいいやと思うようになっています。

 ただ大学、社会人になってからは、田舎ならではしがらみや束縛が強い両親からの解放感などがあって、同窓会というものにも出席していますし、相手からも誘われることもあります。まあこれもこれで楽しいですし、最近では今月の後半に会社の同期との同窓会があるので、日常の嫌なことを忘れて楽んできたいと思います。

 さて私は1962年生まれですが、私の同級生、即ち1962年4月2日から1963年4月1日までに生まれた中で、どれくらいまたどのようなジャンルの著名人がいるのか興味が湧いてきたので調べてみました。本来ならそれを表にして、ここに貼り付けてお終いにしようとしたのですが、完成間近で突然パソコン💻がフリーズしてしまい、手抜き記事の掲載は頓挫することとなってしまいました。

 私の同級生の中で著名人とされる人、だいたい300人くらいはいましたが、で私の知り合いはいるのか見てみると、当たり前ですがほとんどが私の知らない人でした。ただ同じ大学出身の人が2,3人いたので、全く面識はありませんが、ひょっとしたらキャンパスですれ違っていたかもしれません。また著名人同士の意外な交流もあり、読んでいて新たな発見ができて面白いなあと思いました。尤も私にはあずかり知らぬ世界のお話なのですが・・・。

 そんな中、ひょっとして小・中・高の同級生だったのではという1人の人物に目が行きました。大分県出身の漫画家であるその人物、名前はおそらくペンネームだと思われますが、名前にどことなく実際の名前の一部が残されていたことと、出身大学と生年月日の類似性から、彼ではないのかと思っています。ただ実際に田舎に帰って彼のことを詳しく調べたわけではないので、100%の確証はありませんが・・・。

 小・中・高の同級生だった彼はとにかく頭がよかった印象があります。小学校・中学校では常に学級委員長を務めており、現役でかなりのハイレベルの国立大学の工学部に進学しています。彼はどちらかといえば天才肌のタイプで、特に勉強しないでも成績は常にというかほとんどトップだったと思います。

 また彼はの才能がずば抜けており、小学校高学年で玄人はだしの技法を駆使して水彩画を描いており、児童図書の挿絵(ジュール・ヴェルヌの海底2万マイルだったと思います)を模倣した作品は現物よりも上手かったことに衝撃を受けたことを憶えています。実際に彼が描いた絵は私が今まで見てきた中で最も印象に残っている絵で、この絵より凄いと思った絵は有名な画家を含めていまだかつてお目にかかったことはありません。

 今思えば、中学校の美術の先生よりも、中学生にして彼の方が絵の力量ではるかに先生を凌駕していたと思いますし、一流の芸術家たる素質や才能があったではないでしょうか。それは工作でも同様に素晴らしい作品を作っていたと記憶しています。

 彼とは友達と呼べる存在ではありませんでしたが、私の孤独な高校生活の中で数少ない会話ができる存在でした。ただ高校3年間のうち同じクラスになったのは高校2年生の時の1回だけで、クラスが違ってからはすっかり疎遠になってしまいました。

 もう20年以上前だ思いますが、田舎で両親から彼が漫画家になったようなことを聞かされたことがあり、気になって調べてみたのですが、漫画家に彼の名前はなく、両親がてっきり出まかせを言っているのだと思っていました。今思うとその頃はペンネームを使っているという発想が私にはなかったので、名前を見つけられなかったことは仕方がなかったかもしれません。

 大分県出身の漫画家であるその人物、私は漫画には詳しくはありませんが、彼の作品はアニメ化されたものがないので知名度は低いものの、絵の上手さとストーリーの面白さで、玄人筋ではかなり評価されていたようです。

 実際に作品を見てみると絵の緻密さとか上手さが際立っているように思います。特に最近の漫画、こんなことを言っては失礼になるのですが、絵自体が上手いとは思えず漫画を読むことを辞めたので、彼が作った漫画は安心して(?)最後まで読み切れる作品でした。またストーリーもなかなか凝ったものに仕上がっています。何となくSFが好きだった同級生の面影が残るものでした。

 ただ残念なことに大分県出身の漫画家であるその人物は2018年に脳溢血で、東京八王子の自宅で亡くなっていました。まだ55歳という若さ、晩年の仔細は分かりませんが、まだまだこれからと言う時に亡くなられたのは残念でなりません。時間が経ってしまいましたが、故人様のご冥福を謹んでお祈りいたします。

 彼が私の同級生だった確証はありませんが、もしその人物が漫画ではなく別の道を進んでいたならば、どうなったんだろうかと。様々なケースが考えられますが、彼の能力の高さからおそらくエリートの研究職としての才能を存分に発揮し、企業の重鎮まで上り詰めていたのではないかと思います。

 まあ他人の人生をとかく言う資格は私にはありませんし、私自身の人生も褒められるべきもではありませんが、一人の著名な漫画家を通して、改めて人生について感慨深く思う一日となりました。

 

 

写真:無料写真素材 写真AC 大学生の男女 arancione

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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