五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

おおいたの地震2~別府湾に消えた島~

 前回の続きという事で、今回は地震津波によって一夜にして別府湾に沈んでしまった“瓜生島(うりゅうじま)”の話をします。

 大分県の人は誰しも瓜生島の伝説のことは一度は聞いたことがあると思います。言い伝えによれば、昔、別府湾には瓜生島、大久光島、小久光島、東住吉島、松島などの島々が浮かんでいました。その中で瓜生島は最も大きな島で、東西約4キロ、南北約2キロ、周囲約11キロ、12の村で1000世帯以上が暮らし、人口は約5000人くらい居たとされています。瓜生島は戦国時代に入り南蛮貿易で栄え、豊後(ぶんご 大分県旧国名)一の貿易港として日本各地から船で賑っていました。伝承によると、安土桃山時代に島にあった恵比寿像の顔を何者かが赤く塗ったため、大きな地震津波が発生し、島が祟りで他の島々共々別府湾の海底に沈んでしまったとされており、一夜にして沈んだことから日本のアトランティスとも呼ばれています。

 上記の地図は別府湾周辺の地図(Google Mapから)です。Aの標しを付けた所が瓜生島のあったところとされています。(位置はちょっと微妙です)

 瓜生島の伝説はTBSのテレビ番組「まんが日本昔ばなし」でも放送されました。(1983年9月10日)以下はそのあらすじです。

 昔、九州別府の湾には、瓜生島というきれいな島が浮かんでいたそうだ。

  瓜生島には、島の守り神として恵比寿さまが祀られており、この恵比寿さまには不思議な言い伝えがあった。恵比寿さまの顔が赤くなったら、島は沈んで しまうというものだった。反対に、恵比寿さまを大事にしていればご利益もあり、魚もたくさんとれるということだった。そのため島の人々は、毎日交代でお供 え物をし、恵比寿さまを大事にしていた。

 ところが、どの村にも人を困らせては、それを喜ぶ者もいるもんだが。瓜生島にも、悪太郎(あく たろう)と島中から呼ばれ、つまはじきにされているわ んぱくな若者がいた。悪太郎は、毎日働きもせずブラブラしては次々に悪さをして、島の人々が怖がったり、驚く姿を見て喜んでいるのだった。

  ある日悪太郎は、島の人が恵比寿さまにお供えした団子を横取りしているところを、島の人に見つかり袋叩きにされ酷い目にあわされた。怒った悪太郎 は、仕返しをすることにした。その夜、悪太郎はこっそり恵比寿さまの顔に紅がらを塗りつけ真っ赤にした。塗り終わると、突然グラグラと地面が揺れ、地響き が起こり、恵比寿さまが大岩もろとも、地上高くに突き出した。だが悪太郎は、これを単なる地震のせいとしか思わなかった。

 次の日の朝。島の人々は腰をぬかさんばかりに驚いた。
 「ややや、恵比寿さまのお顔が真っ赤じゃ」
 「こんなに岩が盛り上がって。きっと悪い知らせじゃ」
 さあ大変。島中大騒ぎになった。島の人たちは先を争うように、船を出して逃げ出した。

  不思議なことに、悪太郎が恵比寿さまにいたずらをしたその日から、毎日地鳴りが起こり、島全体が揺れ始めた。そのため、瓜生島に愛着があり、最後ま で残っていた人たちも恐ろしくなり、島を抜け出した。そうして残ったのは、悪太郎ただ一人となった。「臆病もんの慌てもんが。わしが紅がらを塗ったとも知 らんで逃げ出したぞ。島が沈んだりするもんか。2、3日もすればまた恐る恐る島に戻るじゃろうて」悪太郎はそう思っていた。

 その時、今 までになく大きく島全体が揺れ始めた。島の向こう岸の別府の浜にある、高崎山、それに続く、鶴見岳、由布の山々が一斉に火を噴き、火の柱 が空を焦がした。その夜はさすがの悪太郎も不安になり、家の中で小さくなっていた。「こりゃあひょっとして、本当に島が・・・」

 真夜中のことだ。海の水がみるみるうちに黒々として、その上を白い三角波が走り去った。
 大津波が島を襲ったのだ。「ああ・・許してくれ、わしが悪かった。許してくれ・・・」瓜生島は別府の海の底へ呑まれていった。津波が引いた後には、ドロドロと濁った海が広がっているだけだった。

        出典:まんが日本昔ばなし~データベース~No.0652 瓜生島とえびすさまより

 瓜生島の伝説には様々なバージョンがあり、恵比寿像の顔を赤く塗ったのは、島の医者加藤良斎という説や近所の悪餓鬼という説、赤く塗られたのは恵比寿様ではなく地蔵様という説もあります。また地震が来たときどこからともなく白馬に乗った老人が現れて島からの避難を説くという話、天から竹が伸びてきて人々を助けるといった荒唐無稽なものもあります。ただ何れの説でも共通しているのは、

  •  像が赤くなると島は沈むという言い伝えがある。
  •  誰かがわざと像を赤く塗る
  •  言い伝え通りに島は沈んでしまう

 の3点で、長崎県五島列島高麗島鹿児島県甑島列島(こしきしまれっとう)の万里ヶ島でも瓜生島とほとんど同じ沈没伝説が伝えられています。

 YOU TUBEカボスひろしさんという大分県ローカルタレントの方が朗読された動画がありましたので貼っておきます。ここでは恵比寿様が地蔵様、地蔵様の顔を赤く塗ったのが近所の子供になっています。


瓜生島とじぞうさま - YouTube

  さてこの瓜生島の言い伝えですが、実際に瓜生島が別府湾に存在したかどうかは疑問符が付いています。瓜生島という地名が最初に使われたのは、府内藩の藩士である戸倉貞則によって1699年に編纂された「豊府聞書」で、それによると瓜生島は1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)の地震慶長豊後地震)によって沈んだとされています。この地震についてはポルトガル人宣教師のルイス・フロイスの報告書にその惨状が詳しく記されています。

 大波(津波)は激しい勢いで反レグア(2.8Km)まで陸地に入込み、何回も陸地の奥まで達しました。津波が押し寄せたとき、沖の浜の村には何一つ残りませんでした。・・・(中略)・・・あの地獄の壷(桶)はすべてを飲み込んで、男も女も子供も老人も、牡牛や雌牛、家々や財産も一緒に持って行ってしまいました。一切が深い海に変わってしまいましたが、あたかもそこには村が何もなかったかのようです。

                     おおいたの地震津波-歴史が鳴らす警鐘-より

  フロイスの報告書に“瓜生島”は出てきません。瓜生島が言い伝え通りに繁栄した島であれば、当時の記憶に残っていないという事はとても不自然なことです。フロイスの報告書には“瓜生島”の代わりに“沖の浜”という地名が出てきます。また同じ時期に岡藩の船奉行だった柴山勘兵衛は慶長豊後地震に遭遇し「柴山勘兵衛記」を記しますが、その中で“沖の浜”の壊滅的な状況を記録しています。

 岡藩の舟奉行であった柴山勘兵衛重成とその妻、養父の柴山両賀は沖の浜に住んでいました。慶長元年7月、突然大地震が起き、大津波が押し寄せ、屋敷は海中に沈んでしまいました。勘兵衛は屋根の上に出るために刀で屋根を切り破って上に出ました。そこへ大きな船板が流れてきたので、乗り移りましたが、引き潮で沖に流される危険な目にあいました。しかし、波がおさまって船に助けられて今津留(いまずる 大分)に着くことができました。ところが今津留も津波に襲われていて、人の家も見えないという悲惨な状況でした。

                     おおいたの地震津波-歴史が鳴らす警鐘-より

  沖の浜は中世の多くの資料に出てきており、安土桃山時代にはキリシタン大名大友宗麟の庇護のもと国際貿易港として栄華を極めていました。この事から沖の浜が瓜生島ではないかという説が有力です。70年代から始まった学術調査により、別府湾に注ぐ大分川の西岸から沖合1キロのところに大量の土砂が積って出来上がった島がありそれが砂州で陸と繋がっていた、この島こそが“沖の浜”=”瓜生島”で、もともと軟弱だった地盤だったため、慶長豊後地震の揺れと津波で島の地盤が液状化し、地盤沈下が起き、島自体が崩壊、海底に沈没したのではないかと言われています。この説を裏付けるように別府湾沖合では大規模な地滑りの跡が発見されています。

 ここで想定されている“沖の浜”=”瓜生島”は伝説の“瓜生島”の4分の1程度の大きさで、島ではなく実際は半島です。瓜生島の伝説のようにいつの間にか話が大きくなるのは今の世も変わりはありませんが、過去の大惨事が起きたことは事実です。いつ何時、東日本大震災並みの災害が私たちの住んでる街を襲うやもしれません。そのためにも過去の災害の歴史を学び、その教訓を生かして、来るべき災害に備えなければならないと、このテーマを書きながら切に思いました。

 

 瓜生島を題材にした作品です。

幻の瓜生島伝説 (角川文庫 (6195))

幻の瓜生島伝説 (角川文庫 (6195))

 
大分・瓜生島伝説殺人事件 (徳間文庫)

大分・瓜生島伝説殺人事件 (徳間文庫)

 

 

参照:Wikipedia 瓜生島、フロイス日本史

   新・地震学セミナーからの学び 12.瓜生島沈没―日本のアトランティス物語

   幻想諸島航海記/瓜生島 “沈んだ島”の虚像と実像

   まんが日本昔ばなし~データベース~No.0652 瓜生島とえびすさま

   You Tube 瓜生島とじぞうさま

   朝日新聞 2012年10月7日 「日本のアトランティス液状化で沈む?大分瓜生島

   加藤知弘 府内沖の浜港と「瓜生島」伝説

写真:無料写真素材AC 温泉卵 海地獄

 

f:id:Kitajskaya:20150720115647j:plain 別府海地獄

 

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 お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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