4月も後半、あと少しでGWですね。今月は熊本で大地震が発生しました。私は大分県出身ですが、まさか熊本で大きな地震があるなんて思ってもおらず、それは会社にいる九州出身者も同様でした。今では余震が少なくなり、インフラの復興も少しずつではありますが回復しているようです。月並みな言葉で申し訳ないのですが、被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早くもとの平穏な暮らしが取り戻されますことを心よりお祈りいたします。
さて娘はこの春、第一志望の県立高校に合格しましたが、大分に住んでいる母が合格祈願として、1月に山梨にある身延山にお参りに行った際、合格祈願としてお札を頂いてきました。お札には神式と仏式で祀る位置が違うようですが、母が言うには一心不乱に祈ることが大事ということで、普段は信心深くない娘も朝晩はお札に向かってのお参りを欠かせませんでした。(ちなみに私は一日の終わりにお経を唱えております。普段は何事でも長続きはしませんが、これだけは彼此25年くらいは欠かさずに続けております。ただ熱心な信徒ではないことは確かなようで、そのことで田舎の両親、特に母親からは説教を受けています。)
その甲斐があったのか、合格の可能性は極めて低かったのですが、何とか志望する高校に合格できました。今回はそのお礼をかねて、家族で先々週の日曜日に身延山に出かけました。
久遠寺本堂
身延山は山梨県の南部にある標高1153mの山で日蓮宗の総本山である久遠寺(正式名は身延山妙法華院久遠寺)の別名でもあります。日蓮宗の開祖である日蓮上人は、疫病や天災が相次ぐ中、再三にわたり当時の鎌倉幕府に諫言を行いましたが、聞き入れられることはなく、失意の中、信者であった甲斐の国の地頭の南部実長(なんぶさねなが)の招きにより、1274年5月に身延山に入山します。これよりおよそ9年間にわたりこの身延の地で法華経の読誦と弟子や信徒の教導、及び当時猛威を振るった蒙古軍の退散を祈念します。1282年9月、日蓮上人は病身治療と、両親の墓参のため、常陸の国の湯治場に向かいましたが、同年10月に旅の途上、武蔵の国池上にて死去しました。「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」、これは日蓮上人の遺言ですが、遺言通りにご遺骨は身延山に祀られました。
身延山までは藤枝の自宅から新東名高速を使って約1時間半くらい、当日は花見と重なって身延山の山門に着いてから中腹にある駐車場までかなり時間が掛かってしまいました。何でも身延山久遠寺周辺は、日本さくらの名所100選に選ばれ、全国でも有数の桜の名所でもあるようです。身延山久遠寺のしだれ桜は樹齢400年で全国しだれ桜10選のひとつだそうです。
しだれ桜
本堂にお参りし、お札を返納し、時間があったので食事をしてロープウェイで山頂にある奥之院思恩閣へ。ロープウェイでは約7分で山頂に着きますが、本堂から奥之院まで山道を登ると2時間半くらい時間が掛かるそうです。日蓮上人はこの奥之院まで折にふれては山道を登り、安房の国小湊の両親や師である鴨川の清澄寺の道善房を偲んだそうです。境内には日蓮上人自らが植樹した4本の杉が今でもあるそうです。
思恩閣
日蓮上人の像がありました。故郷である安房の国に向けて祈りを捧げているのでしょうか?
日蓮上人像
久遠寺本堂では気温が21℃あり、ちょっと蒸し暑かったのですが、標高差700mの思恩閣では気温が11℃でした。曇り空だったせいか、ここでは長袖1枚では多少肌寒く感じました。そんな中、何とか富士山を見ることができました。この場所は春と秋にダイアモンド富士が望める場所としても知られているようです。
富士山
実は身延山には5年前にも行ったことがあります。その時の記事です。
私のセカンド・ブログである「ぶらりフォト日記」、元来の筆不精のためか、もう1年以上も更新していません。投稿する内容はかなりあるのでまとめたいと思ってはいるのですが、なかなか・・・。
身延山へのお出かけ、帰省以外に家族全員で行った旅行としては、2013年の夏に浜松にある楽器博物館に入って以来でした。子供たちもティーンエイジャーとなり、もう親と出掛けるのが嫌になり、今では誘ってもおいそれとは付いてきません。だから、ひょっとしたらこれが最後の家族旅行かもしれませんね。
おまけの音楽:娘と息子が嵌っているテレビアニメ「ジョジョの奇妙な冒険 Part3 スターダストクルセイダース」のエンディングソングです。バングルズが演奏しています。
Bangles - Walk like an Egyptian
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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