前回の記事の続きです。
瀬戸川の花見を終えて、次に出雲大社に向かいました。出雲大社といっても島根県に行ったわけではありません。何と藤枝市にも出雲大社があるんです。
この「出雲大社」、正式名を「出雲大社北島国造館 出雲教藤枝分院」といい、出雲大社に祀られている大国主大神(おおくにぬしのみこと)の教えを伝道する目的で1882年出雲大社に創設された出雲教の分院で、藤枝の出雲大社は1889年に開設されたとのことです。出雲教の分院は全国に7か所ほどありますが、東日本ではここ当地藤枝市しかないそうです。
せっかく来たのでお参りをすることに、藤枝の出雲大社は本家同様“縁結び”の神様のようです。50過ぎた私には縁結びはもう関係ありませんが、せっかく来たのでお参りをすることにしました。
出雲大社をでてしばらく行くと変わった名前の神社がありました。月見里神社、これ何と読むかわかりますか?つきみさとじんじゃ?、つきみりじんじゃ?、普通の読みではそうなりますが、正解は「やまなしじんじゃ」、名前の由来は周囲に山がなく月がよく見えることでその名が付けられたそうです。
月見里神社
ここでもせっかくだからとお参りをしました。月見里神社をでて旧東海道に向かいました。以前から行ってみたかった松の巨木で有名な大慶寺へ。「久遠の松」と呼ばれるこの松は1253年に比叡山での修行を終えた日蓮宗の開祖“日蓮上人”が故郷の安房国に帰る途中、この地に植えたそうです。高さ25m、枝張り27m、根回り7mもあるこの久遠の松は静岡県の天然記念物に指定されており、日本名松百選 にも入っています。「久遠の松」という名前の由来は、法華経の「久遠劫」という言葉からきており、未来永久に仏の教えが栄えるように祈念したことからだとされています。
大慶寺
久遠の松
大慶寺を後に次に向かうのが成田山です。といっても向かうのは千葉県ではありません。何と藤枝市にも成田山があるのです。
成田山、正式には「成田山新護寺」といい、藤枝市で最も多くの参拝者で賑う寺だそうです。この成田山、800年以上の歴史があり、名前も宗派も数回改変されています。最初は「照光院」と呼ばれていましたが、1252年、後嵯峨天皇の第一皇子宗尊新王が第六代の鎌倉幕府の将軍職に就任することになり、京都から鎌倉へ御幸中、ここ藤枝の地で御所車の左側の車輪が壊れてしまい、そこで車の修理が終るまで、照光院で休息しました。それで照光院を「左車山休息寺」と名前を改め、ここの地名も「左車」と呼ぶようになりました。その後、戦国時代には相次ぐ戦で寺は全焼 。廃寺になりかけていた休息寺は1656年に再興されますが、ついに1856年に廃寺となります。この廃寺となった休息寺は1868年に鈴木法憧と市川幾太郎の尽力で成田山新勝寺の分霊を拝受し、不動明王を御本尊として新たに成田山新護寺として開創することになります。
成田山新護寺
成田山新護寺は交通安全・家内安全・商売繁盛・安産祈願・開運厄除・学業成就・合格祈願など、様々な御利益があるとされていますが、境内に面白いものを見つけました。
ボケ除の像
この像がいつ建立されたか定かではありませんが、ボケ封じの願いと幸福に老いて欲しいという願いが込められているそうです。仲睦まじそうなおじいさんとおばあさんの像、おじいさんの膝にはカボチャが抱えられていますが、カボチャを食べるとボケないという古くからの言い伝えがあるそうです。最近ボケ気味で困っている私は何回も何回もおじいさん、おばあさん、カボチャをナデナデしました。
蓮華寺池公園―瀬戸川―出雲大社―月見里神社―大慶寺―成田山とだいたい5,6キロのまち巡りを終え、帰途につきました。途中小腹がすいたので、フォンティーヌ府中屋さんに寄って、藤枝名物の「サッカーエース最中」を買いました。行程2時間余りとはいえさすがに寄る年波には勝てず、結構疲れてしまいました。疲れた時に甘いものはいいですね!!
おまけの音楽:この曲は15年位前に飛行機で大分に帰省中に機内のオーディオできた曲です。当初は「バンゲルディア旅行団」と間違えて覚えていました。そういったこともありなかなかこの曲を見つけることができませんでした。
ちなみに「バンディリア」とはこの曲の作者である平沢進さんの造語で、平沢さんによると、バンド(集合体)+フィリア(愛好者)=集合体愛好者を意味するそうです。ネットの情報によるとアメリカ合衆国のニューメキシコ州のバンデリア遺跡を参照にしたとのでは言われています。
藤枝宿 大慶寺、成田山新護寺
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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