ここ数日のニュースは日本列島の大寒波の事を報道している。何でも到る所で観測史上最も寒いとか、最も多いとかを記録しており、また日本のみならず世界中でも冷えに冷えまくっているようだ。あるバラエティ番組で何処かの大学教授が言っていたが、何でもここ数年太陽の黒点の数が減少しており、明日にでも氷河期が来てもおかしくない様で、地球は温暖化ならぬ氷河期に向かって邁進しているような感がある。その大学の先生によると世界の人口は10億人に減少し、陸地の大半は凍土に被われ、日本は辛うじて難を逃れるようだが、それでも酷寒の世界になることには変わりがなく、今の寒波より更にハードなスーパー寒波を体験することになるだろうとのこと。あくまでもその先生の意見だが、数日前には雪の降らない藤枝市でも粉雪が舞い、連日車のフロントガラスも凍結している。怖い事だが、氷河期到来はあながち現実になるかもしれない。
前置きは長くなってしまったが、今日は立春、暦の上では春である。この時期を唄った唱歌に「早春賦」がある。
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
この歌の歌詞は、東京音楽学校の教授だった吉丸一昌が、長野県の安曇野あたりの早春の情景をうたったもので、当時の新進作曲家であった中田章が曲をつけ、1912年(大正2年)に発表されたものである。1979年2月、3月及び1980年2月、3月にNHKの‘みんなの歌’で作曲家の三枝成彰氏の編曲で紹介された。映像は‘赤色エレジー’やロッテの‘小梅ちゃん’のCMで知られる林静一氏のアニメーションが使用された。私は当時高校生だったが、抒情的なメロディと何処となく大正ロマンを彷彿させるタッチに魅了された。学校生活に何の喜びも見いだせず、学園生活や家庭での生活は苦痛の極みだったが、この曲のおかげで随分と心が癒されたものだ。
だが悲しい事に今教科書からこんな名曲を多く含む唱歌の大半が消えているそうだ。何年か前に子供の音楽の教科書を見たが、殆ど知らない曲ばかりで、中には最近の歌謡曲があったのには吃驚した。日本人の心の琴線に響く名曲を次世代を担う子供たちが知らないことは残念なことだ。唱歌や童謡の歌詞には古くからの日本人が持ち合わせていた美徳や価値観が含まれており、それを習い、唄うことは(ちょっとオーバーだが)日本人のDNAを受け継ぐ大事な事だと思う。唱歌を教科書から外す愚挙をしたは、頭の固い文部官僚か日教組、左翼だろうが、日本の将来は全く考えない自分勝手な愚かな行為だ。最近の風潮を見るにつけ、日本人らしさが急速に損なわれ、ここは特ア3国かと見間違えるほどだ。
昨年、一昨年と私たちは未曾有の災害とサヨク政権の無能さ、人でなしさを経験した。これを機に日本人らしさを取り戻し、明るい日本を作らなければならない。そのためにも教育は重要なことだ。日本人のこころを唄った唱歌、童謡が教室から流れてくるのを切望してやまない。
早春賦を挿入します。興味がある方はお聴きください。