大分から帰省する際、大分空港で自宅用に大分名物のだんご汁と辛子明太子を買った。辛子明太子のほうは、福島に帰ったその日に食べた。だんご汁のほうは、昨日娘と一緒に作った。名物といっても大分にいたときは、家庭で食べたことはなく、だんご汁という名称も知らなかった。子供の頃は、だんご汁という名前ではなくて「ほうちょう汁」という名前で、給食よく出されていた。娘と一緒に作っただんご汁、実家から送られきた椎茸の出汁がきいていて、美味かった。好き嫌いの激しい息子もお替りをした。でも嫁の反応はいまいちだった。
だんご汁のだんごは、小麦粉をよくこねて小さなだんごを作り、しばらく寝かせ、ひとつずつ指で細長く伸ばしたもので、山梨県の名物の「ほうとう」のようなものである。これを牛蒡や里芋、人参、椎茸といった季節の野菜で味噌味で煮ていただく。大分特産のカボスをかければ、いっそう「故郷」らしさがでる。「ほうちょう汁」も同じようなものだと思うが、これは昔、豊後の国の領主大友宗麟がたいそう鮑の腸が好きで、これがないときの代用品「鮑腸(ほうちょう)」として供されたのが起源だといわれている。
だんご汁のだんごを茹でて、黄な粉と砂糖をまぶしたものが「やせうま」である。平安の昔、都から豊後の国に下向した幼い貴族いた。この子には京都の八瀬出身の乳母がいて、この乳母は小麦粉を捏ね、麺のように長く伸ばしこれに黄な粉をまぶして幼い貴族に食べさせていた。幼い貴族がこれが欲しいとき「八瀬、うま(食べ物の幼児語)」とせがみ、これがやせうまの語源になったといわれている。(ウィキペディアフリー百科事典より)やせうまは、子供のころよく給食にでていて、毎週のように食べていたような気がする。
大分県のほうも市町村合併で、いつの間にか市も増えていた。国東町も国東市になっていた。私の実家の隣町の太田村は杵築市に合併していた。
明日は仕事、お正月気分も今日までにして、仕事に精進していこうと思う。
大分空港
写真:無料写真素材 写真AC だんご汁 Takacchi