五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

あかまんまの歌

 中野重治の詩に「歌」というものがあります。    

おまえは歌うな

おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな

風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな

すべてのひよわなもの

すべてのうそうそとしたもの

すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ

すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ

もっぱら正直のところを

腹の足しになるところを

胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え

たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を

恥辱の底から勇気をくみ来る歌を

それらの歌々を

咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ

それらの歌々を

行く行く人々の胸郭にたたきこめ

  中野重治(1902~1979)はプロレタリア文学の作家と知られており、金沢にある四高時代に窪川鶴次郎を知り、短歌や詩や小説を発表するようになります。またこの時期に室生犀星を知り以後師事します。東京帝国大学入学後にマルクス主義に傾倒し、プロレタリア文学運動に参加するようになります。

 この「歌」は中野がマルクス主義に走り始めたころの作品です。“おまえ”は中野自身とされ、“おまえは歌うな”と強い否定で始まり、“歌い上げよ”と相反する形で終わるこの詩は、中野の今までの抒情的な気持ちを排斥し、社会主義活動に邁進する並々ならぬ決意を感じさせます。結局は日本共産党に入党するも数年後に転向。戦後は共産党に再入党し、国会議員にまでなりましたが、その後党の路線を廻り日本共産党から除名処分を受けます。その後も一貫して日本の左翼運動に活躍しました。 

 さて私はこの詩の中に出てくる“赤まんま”の花というのがどんな花だか今まで分からずにいました。そんな中、産経新聞に連載されている漫画「ひなちゃんの日常」に赤まんまの花の事が取り上げられおり、長年の疑問が解けました。赤まんまはイヌダテと呼ばれるそうで、Wikipediaには以下のように説明されています。

イヌダテ(犬蓼)は、タデ科イヌダテ属の一年草。道端に普通に見られる雑草である。

和名はヤナギダテに対し、葉に辛味がなくて役に立たないために「イヌタデ」と名付けられた。赤い小さな果実を赤飯に見立て、アカマンマとも呼ばれる。                    イヌダテ-Wikipediaより引用

 イヌダテ=赤まんまの写真です。(無料写真ACより)

f:id:Kitajskaya:20151004213425j:plain イヌダテ

  このイヌダテは日本の国内種ではなく、米の伝来と同じころに日本に来たとされています。1935年に東京日日新聞(今の毎日新聞の前身)は時の著名人によって「新・秋の七草」を選出しましたが、このイヌダテは俳人高浜虚子が選んでいます。

 私が中野重治という詩人を知ったのは、もう35年近く前の頃、大岡信さんの「詩への架け橋」という本の中に挙げられていた「たんぼの女(ひと)」という作品からです。

そうです
なんというおだやかな日和でしよう
空はすつかり晴れあがつて黒いつぐみが渡つて来る
そしてたんぼに 稲の苅株にはひこばえが生じ
そこにあなた方は坐つている
あなた方は三人 ちいさなむしろの上で話をしている
そして通りすがりの私に向かつていかにもなつかしげに言葉をかけて来る

たんぼに坐つている三人のやさしい女の人
わたしもそこへまじりに行きたい
そこへ行つてそこに坐つて
その特別な話が聞いてみたい
けれどもあなた方
あなた方は遊女でわたしは生徒です
えええ ほんとに穏かな日和ですよ
ここわなわて路です あなた方の街の裏の細い一本のたんぼ径です
わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです
それなのにわたしは帰らねばならぬのです

さよなら たんぼの女の人
わたしはほほ笑みを一つ返します
たんと日光をお吸いなさい
たんときれいな空気をお吸いなさい
わたしはもう帰ります
さようなら たんぼの人 たんぼの三人のあなた方

  当時は北九州にある予備校に通っていて、2畳半の下宿住まい。机があったので部屋には布団はが敷けず、押入れに突っ込んで布団を敷いていました。来る日も来る日も勉強三昧の日々の中、息抜きに読んだこの詩に19歳だった私は衝撃を受けました。この本の中で大岡さんは「こういう詩は、若い頃でなければ、書けない。(うろ覚えですが・・・)」と述べていたことが印象的でした。
 この詩の中で、中野は
わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです
それなのにわたしは帰らねばならぬのです
と言っています。全国試験で首席を取るくらいに抜群に頭が良かった中野、とはいってもまだまだ人間的には未熟者で、女性体験もなかったのではと思います。本当は遊女というか娼婦に関心があり色々と聞きたいのだけど、プライドが邪魔して聞けない、好奇心は旺盛だけど生真面目でな性格が邪魔をしてしまう、こうした思春期特有な心情が当時同じくらいの年齢だった私には理解でき、中野に妙に親近感を覚えました。それで10日くらい晩御飯を我慢して、中野の詩集を買いました。
 当時の小倉の街にもソフトな風俗店が出始めていた頃で、佐賀県出身の同じ下宿の人からその店へ「行こう、行こう」と誘われたことがありました。私はお金が無い事を理由に頑なに拒んでいました。そして軽蔑的な眼差詩しを彼に対して向けていました。本心では行きたいのにね・・・。また当時同じクラスの女の子に淡い恋心を感じており、好きなのに声もかけられない情けなさと今は恋など不要で真摯に勉学に勤しむべきという相反する心情が心の中で葛藤していました。そんな時、中野の詩は切ない気持ちを癒してくれる一服の清涼剤のようなものでした。好きな子のことを考えて眠れなかったときや勉強に行き詰ったとき、中野の詩は私を大いに助けてくれました。
 この詩に出合ったことで人生が大きく変わったという事はありませんでしたが、中野重治をはじめ、中原中也三好達治堀口大学などの詩人に憧れ、文学、特に詩歌について勉強しようと文学部を受験しましたが、希望する大学にはことごとく失敗。結局法学部に行きましたが、その後の人生を考えると、前に「」がついたみたいですね・・・。
 
中野重治詩集 (岩波文庫)

中野重治詩集 (岩波文庫)

 
詩への架橋 (岩波新書 黄版 12)

詩への架橋 (岩波新書 黄版 12)

 

 

過去の記事からです。

kitajskaya.hatenablog.com

参照:中野重治詩集 岩波文庫 中野重治

   詩への架け橋 岩波新書 大岡 信 

   Wikipedia 中野重治、イヌダテ

   産経新聞 2015年10月1日付 ひなちゃんの日常 南ひろこ

   天来書院 みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

写真:無料写真AC イヌダテ Masa

 

 お詫び

 こ の記事は10月8日の23時30分に予約投稿する予定でしたが、10月7日の23時30分に投稿されており、なおかつどういう訳かその時に投稿したものが 消えていました。何名かの方にスターを付けて戴きましたが、それも消えています。ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

 

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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