中野重治の詩に「歌」というものがあります。
おまえは歌うな
おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸郭にたたきこめ
中野重治(1902~1979)はプロレタリア文学の作家と知られており、金沢にある四高時代に窪川鶴次郎を知り、短歌や詩や小説を発表するようになります。またこの時期に室生犀星を知り以後師事します。東京帝国大学入学後にマルクス主義に傾倒し、プロレタリア文学運動に参加するようになります。
この「歌」は中野がマルクス主義に走り始めたころの作品です。“おまえ”は中野自身とされ、“おまえは歌うな”と強い否定で始まり、“歌い上げよ”と相反する形で終わるこの詩は、中野の今までの抒情的な気持ちを排斥し、社会主義活動に邁進する並々ならぬ決意を感じさせます。結局は日本共産党に入党するも数年後に転向。戦後は共産党に再入党し、国会議員にまでなりましたが、その後党の路線を廻り日本共産党から除名処分を受けます。その後も一貫して日本の左翼運動に活躍しました。
さて私はこの詩の中に出てくる“赤まんま”の花というのがどんな花だか今まで分からずにいました。そんな中、産経新聞に連載されている漫画「ひなちゃんの日常」に赤まんまの花の事が取り上げられおり、長年の疑問が解けました。赤まんまはイヌダテと呼ばれるそうで、Wikipediaには以下のように説明されています。
イヌダテ(犬蓼)は、タデ科イヌダテ属の一年草。道端に普通に見られる雑草である。
和名はヤナギダテに対し、葉に辛味がなくて役に立たないために「イヌタデ」と名付けられた。赤い小さな果実を赤飯に見立て、アカマンマとも呼ばれる。 イヌダテ-Wikipediaより引用
イヌダテ=赤まんまの写真です。(無料写真ACより)
イヌダテ
このイヌダテは日本の国内種ではなく、米の伝来と同じころに日本に来たとされています。1935年に東京日日新聞(今の毎日新聞の前身)は時の著名人によって「新・秋の七草」を選出しましたが、このイヌダテは俳人の高浜虚子が選んでいます。
そうです
なんというおだやかな日和でしよう
空はすつかり晴れあがつて黒いつぐみが渡つて来る
そしてたんぼに 稲の苅株にはひこばえが生じ
そこにあなた方は坐つている
あなた方は三人 ちいさなむしろの上で話をしている
そして通りすがりの私に向かつていかにもなつかしげに言葉をかけて来る
たんぼに坐つている三人のやさしい女の人
わたしもそこへまじりに行きたい
そこへ行つてそこに坐つて
その特別な話が聞いてみたい
けれどもあなた方
あなた方は遊女でわたしは生徒です
えええ ほんとに穏かな日和ですよ
ここわなわて路です あなた方の街の裏の細い一本のたんぼ径です
わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです
それなのにわたしは帰らねばならぬのです
さよなら たんぼの女の人
わたしはほほ笑みを一つ返します
たんと日光をお吸いなさい
たんときれいな空気をお吸いなさい
わたしはもう帰ります
さようなら たんぼの人 たんぼの三人のあなた方
わたしもそこに気さくにまじりに行きたいのです
それなのにわたしは帰らねばならぬのです
過去の記事からです。
詩への架け橋 岩波新書 大岡 信
産経新聞 2015年10月1日付 ひなちゃんの日常 南ひろこ
天来書院 みやと探す・作品に書きたい四季の言葉
写真:無料写真AC イヌダテ Masa
お詫び
こ の記事は10月8日の23時30分に予約投稿する予定でしたが、10月7日の23時30分に投稿されており、なおかつどういう訳かその時に投稿したものが 消えていました。何名かの方にスターを付けて戴きましたが、それも消えています。ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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