五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

私は本当に自立できているのだろうか?

今週のお題【自立って何だろう?】

  10月になりました。週末にかけて台風25号が日本に上陸するかもしれないとのことでしたが、今回は予想進路と大きく違い、朝鮮半島南部に上陸し、その後日本海を北東に進み、7日未明には温帯低気圧に変わったようです。この台風に向かって吹く南風の影響で、暖かい空気が引き込まれ。日本列島各地で猛暑日となっています。特に新潟県では軒並みに季節外れの猛暑日となり、一昨日は10月の国内最高気温の記録も更新しました。私の住んでいる静岡県藤枝市でも6日の夜は寝苦しく、エアコンを点けっ放しにして寝ました。昨日も朝から暑く、またエアコンを使わざるを得ませんでした。今朝は暑さも和らぎ、エアコンの必要はないようです。

 さて、今回の【お題】は私の自立。 タイトルが抽象的で私にとってはちょっと記事を書くのには難しいような気がしますが、なんとか頑張って書いてみたいと思います。

     記事を書くに当たり、私の頭の中に2つの疑問がわきました。それは、

  そもそも「自立」って何なんだろう?

     さらに、私は自立しているのだろうか?  この2点。

 「自立」という言葉をネットで調べると、

【自立】 自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。

 と、あります。この解釈に沿うと、自立には3つのパターンが考えられます。それは物理的な自立、経済的な自立、そして精神的な自立。

     私は高校を卒業と同時に大分の両親の元を離れました。一人暮らしに憧れたこともありますが、実際は一刻も早く田舎を離れたかったのです。そのため大学卒業と同時に現在勤めている会社に就職しましたが、首都圏の勤務を希望し実家に戻ることはありませんでした。今は静岡県藤枝市に妻と子ども2人と暮らしています。定年まであと僅かですが、歳を取るにつれ、田舎への嫌悪は薄れつつあります。そして定年後は田舎に戻り両親の面倒を見るつもりでいます。(ある程度は葛藤もありますが・・・。)

 私の暮らし向きですが、何だかんだ言っても、食べるには困っておらず、持ち家はありませんが、何とか子供2人を大学に進学させるくらいの余裕はあります。贅沢さえしなけば今の生活を維持することは出来ます。先ほどの「自立」のうち「物理的な」ものと「経済的な」ものはすでに達成できていると思います。(ただ親元へ仕送りとかは送っていません。この点からすれば両親は子供から経済的に自立していると思いますね!?)表向きはどこにでもある平凡な一般家庭といえるでしょう。(老後は多少不安ですけどね!?)

 ただ自分自身が最後の「精神的な自立」しているのか?となると、どうだろう?と思います。現実問題として、両親からの庇護は無く生活をしていますし、これといった借金はありません。また世間から後ろ指を指されるようなことはしていませんし、これからも恐らくすることはないと思います。

 法例を順守し、経済的な支援を受けないことは世間から見て自立していると思うでしょう。ただ何となくすっきりこない。実際には「自立」ではなく「独立」といった方がいいのではないのか?というのも、恥ずかしながら50を過ぎても、私は周りからは何となく軽く扱われることもあり、自分自身が到底「自立」しているとは思えないからです。ですので、自分の思い描く自立とは一体どういうものなんだろうとこの記事を通して改めて考えてみることにしました。

 ここで参考としたのは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローの「欲求5段階説」です。マズローの「欲求5段階説」はいくつかのブログでも取り上げられており、恐らくこの「お題」でも他のブログで参考にされていると思います。二番煎じ、三番煎じの感は否めませんが、あらためて説明しますと、「欲求5段階説」とは1943年にマズローが発表した論文「人間の動機づけに関する理論」の中で唱えられています。

  

人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ

人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ

 
マズローの欲求階層説

マズローの欲求階層説

 

 

 それによると、マズロー

人間は自己実現に向かって絶えず成長する

と仮定し、

人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されており、低階層の欲求がある程度満たされると、1階層上の高次の欲求を欲する。

と提唱しています。

 では5段階の欲求とは何でしょうか?それは以下の通りです。①~⑤まで、数字が上がるたび欲求が高度のものになります。

①衣食住や睡眠などの生理的欲求

②自分自身の身体や生活の安全などの安全・安心の欲求

③集団や仲間などの帰属したいという社会的欲求

④達成感や尊敬を受けたいという承認(尊重)の欲求

⑤自分自身の能力を発揮したいという自己実現の欲求

 

     これを図にしたものが下の図です。

 

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マズローの欲求5段階説



 このマズローの理論のことは随分前の記事、ブログを始めた頃に取り上げています。私がマズローを知ったのは、大学生の頃でした。大学での専攻は政治学でしたが、私はあまり政治学には興味が湧かず、一般教養として履修していた産業社会学に面白味を憶え、社会学の講義は履修のあるなしを問わず欠かさず聴講していました。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 少し話が脱線しましたが、結論から言いますと、5段階目の「自己実現の欲求を満たした人が精神的に自立した人」だと私は思います。この「自己実現の欲求を満たしたであろう人を見てみると、老若男女を問わず輝いて見えますし、何をするのにも組織の中心にいます。何かにつけても一目置かれた人物と言っていいでしょう。

 自分自身を振り返ってみると、私は3段回目の「社会的欲求」と4段階目の「承認(尊重)の欲求」で躓いており、そこから何とか上に這い上がろうと踠き苦しんでいるように思います。「自己実現」などは到底無理です。ですので、広義の意味で私自身は「自立できていない」と思います。もっとも職場でも家庭でもあるいは実家でも私は「頼りない」存在で、昔から私を頭越しに物事が進むことが多々あり、その都度怒ってみても、相手から軽くあしらわれてしまうので、そういった意味でも私は「自立」とはほど遠い存在かもしれません。

 最後になりましたが、私自身の「自立」ですが、恐らく私はこのまま「自立」できないまま一生を終えるような気がします。もう定年まであと僅か、自己実現できるようなものはないだろうし、悲しい哉、このままうだつの上がらないおっさんとして会社員人生を全うするでしょうね。

 ただ私の2人の子どもには私のような「自立」できない人生で一生を終えさせたくはありません。そのためにも私自身を反面教師にして、今後の人生を「経済的」にも「物理的」にもそして自分のやりたいことを見つけそれに向かって努力し、最後の「精神的」に自立するように促しているところです。そして彼らが晴れて社会人となり、私たち夫婦から巣立ち、独立した家庭を築き、自分の夢を叶えさせることができたとき、真の意味で私は「自立できた」といえると思います。


 ウダウダと書いてみましたが、これはあくまでも私の見解ですし、一種の暴論だと思います。ですので、批判や反論があったとしても、このような馬鹿な考えを持っている人がいると一笑に付していただけたら幸いです。

 

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参照:Wikipedia アブラハム・マズロー自己実現理論

   Google検索 自立

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       マズローの欲求5段階説とは?ストリーを使ってわかりやすく解説

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お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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