社会人となってから15年ほど販売の仕事をしていました。当時はショッピングセンターンの中のインナーショップの店長をしていました。だいたい2~3年ごとに店舗を移動するのですが、元来の社交性のなさと要領の悪さで、たいした業績などを上げることは叶いませんでしたが、それでも長く店にいるとそんな私でもそれなりの固定客はつくもので、それは店舗が変わっても同様でした。
新入社員の頃、近隣のお店にKさんというパートさんがいて、当時は60歳をとうに越えていた思います。話す言葉も訛りがきつく、何をしゃべっているのかわからないこともしばしばでした。それでもKさんがいるといないでは売り上げがかなり違い、老若男女を問わずにKさん目当てのお客さんがかなりの数はいました。
Kさんの接客技術を学ぼうと秘かに観察をしていましたが、「いらっしゃいませ」(これは「いらっしゃいますえ」とかなり訛りがありました)から始まり、世間話からあっという間にお客さんが商品を購入していく様は、何だかマジックを見ているようで、社会人としての経験も浅かったのでこれはとても太刀打ちできないと観念したことを覚えています。
10年くらいしてその店舗に行きましたが、当時のパートさんは健在で、もう一人いたパートさんは私のことをすっかり忘れていて、結局思い出してはくれませんでしたが、Kさんは私のことをしいかりと覚えていてくれおり、懐かしい思い出話で盛り上がったことを昨日のように思い出します。
入社後、しばらくして大型店舗を任された折、そこにTさんというパートさんがいました。その店舗は西武ライオンズの地元で、ご多分にもれずTさんは西武ライオンズの大ファン。試合のチケットが手にいるとすぐさま応援に駆け付ける筋金入りの西武ファンでした。
そんな大の西武ファンだったTさんでしたが、実は西武の一部の選手からも‟肝っ玉母さん“のような存在で、根強いファンもいました。ある時、Tさんがキーテナントのレジに向かった手を振っているので、何かと思えば、当時レギュラーだった選手が満身の笑顔でこちらに手を振っており、買い物が終えてこちらに来て、奥さんとともに世間話を長々としていました。助っ人の外国人選手とも英語が話せなかったので身振り手振りでコミュニケーションをとっていました。
また一部の主力選手とはそのご家族とも仲良しで、ある時私が用事で席を外し、店舗に戻ると、年配のお婆さんが店先に腰かけており、後で聞くとその方は当時のスター選手のお母さんだということ、何でも選手の活躍と孫の顔を見るために遠くから上京してくるそうで、一度いつも良くしてしてもらっているから、店舗にメロンか何かを差し入れしてくれたことがありました。
まだ個人情報にはナーバスではなかった時代だったので、そのスター選手のご自宅にお礼の電話☎をかけなければということになり、代表で店長である私がということになりましたが、さすがに恐れ多いことのでTさんにお礼の電話をかけてもらいました。
あれからもう30年以上の月日が経ってしまい、今ではKさんやTさんは80~90歳くらいになっておられると思います。順風満帆とはいかなかった社会人生活でしたが、それでも定年を過ぎ、今でも何とか働いていけるのはKさんやTさんをはじめ、周りにいた女性スタッフの方々の励ましだったと今は思っており、感謝の念に堪えません。今はもう東京に行くことはありませんが、懐かしい思い出として心に刻みつけています。
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イラスト:無料イラスト素材 イラストAC 店員さん Tossan
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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