◆◆◆この記事の目次◆◆◆
- ◆◆◆この記事の目次◆◆◆
- はじめに
- 途中下車の旅 9-1 ~ 新清水駅:エスパルスドリームプラザ
- 途中下車の旅 9-2 ~ 新清水駅:清水港
- 途中下車の旅 9-3 ~ 新清水駅:駿河湾フェリー
- 途中下車の旅 9-4 ~ 新清水駅:フェルケール博物館
- 途中下車の旅 9-5 ~ 新清水駅:清水次郎長
- おわりに
はじめに
2月も後半を過ぎ、ようやく冬も終わろうかとしています。今年の冬、静岡ではさほど寒くはなく、どちらかと言えば、過ごしやすかった方でしたが、北日本を中心に日本各地で大雪の情報が入ってきています。特に年末年始にかけて、関越自動車道や北陸自動車道で1500台~2000台が立ち往生する緊急事態が発生しています。
また今月中旬には発達した低気圧の影響で、北海道や東北では数年に一度の大荒れの天気となり、北海道の襟裳岬では最大瞬間風速が44.9m、同じく十勝地方の広尾町でも最大瞬間風速が37.9mと、いずれも2月としては最高値を記録しました。
北日本では風雨は現在では幾分は収まっているようですが、一方で今日(21日)は都心で春のような陽気となっているようで、気温が20℃を超えるようです。何はともあれ春はもう少し、気候も含めてあらゆることが穏やかになってくることを切に願っています。
途中下車の旅 9-1 ~ 新清水駅:エスパルスドリームプラザ
今回は前回の記事の続きで、静岡鉄道静岡清水線下りの終点、新清水駅を紹介します。そして今回が「静岡途中下車の旅 ~ 静岡鉄道編」の最後となります。新清水駅の1日の平均乗降客数は新静岡駅、草薙駅に次ぐ3位で、約6400人ほどがこの駅を利用しています。
新清水駅付近の名所といえば、やはりエスパルスドリームプラザでしょうねえ!!エスパルスドリームプラザは新清水駅から歩いて15分くらいの距離があります。
エスパルスドリームプラザは清水港開港100周年の節目にあたる1999年10月にオープンした複合商業施設で、1984年に廃止線になった静岡鉄道清水港線の跡地に作られました。エスパルスドリームプラザは清水港発祥の地である日の出地区に「にぎわいを創出しよう」をキーワードに、官民共同によるウォーターフロント再開発計画の目玉のひとつとして誕生しました。
施設名の「エスパルスドリームプラザ」はその名前でも分かるように、Jリーグチーム清水エスパルスの運営母体である静岡市の企業・鈴与の関連会社「ドリームプラザ」が運営しており、清水エスパルスの応援拠点として、多くの皆さまに集っていただきたいという思いから命名されたそうです。
エスパルスドリームプラザには様々な施設があり、一日いても飽きることはありませんが、中でも私が気に入ったものを紹介します。
観覧車 ドリームスカイ
エスパルスドリームプラザの外観で目を惹くのは観覧車のドリームスカイ、最高位は地上高は52mで、1周を約13分で遊覧できます。駿河湾や三保の松原、伊豆半島はもちろん、特に空気の澄んだこの季節は晴れた日には富士山が綺麗に見ることができます。私も当日(2月2日)一人寂しく観覧車のゴンドラに乗りましたが、ゴンドラから景観は最高でした。
観覧車ドリームスカイは2019年10月に日本夜景遺産に登録されており、静岡市ではこの他に日本平、梶原山公園が登録されています。
清水ラムネ博物館
清水ラムネ博物館は2014年10月に島田市の飲料メーカー木村飲料とエスパルスドリームプラザが共同開設した国内初のラムネ・サイダーの専門施設です。館内(?)にはラムネ・サイダーを製造販売する木村飲料の商品がずらりと並ぶほか、大正から昭和初期にかけて使用されていた貴重なラムネの瓶をはじめ、当時使用されていたラムネを瓶に入れて蓋をする、昭和43年当時の清涼飲料水の価格表などが展示されています。日本のラムネ販売の歴史も年表形式で紹介されていました。
清水ラムネ博物館については1年半前に日刊ゲンダイで面白い記事があったので、ここで紹介します。実はこの時、今週のお題「残暑を乗り切る」というテーマで記事を書こうとも思ったのですが、残暑を乗り切ることができずに頓挫しました。
「辛子めんたいコーラ」と聞いて、すっと手が出る人がどれくらいいるだろう?
しかし、実はこれが「また買いたくなる」とファンをがっつり掴んでいる。実際飲むと、のど越しは辛口。魚介の風味が漂うが、生臭さはない。うまい。
これ以外にも、「カレーパンサイダー」「うなぎコーラ」など、「え!?」と思わず二度見してしまうサイダーがずらり。
そこは、静岡市・エスパルスドリームプラザ内の「清水ラムネ博物館」。50種以上のラムネ、サイダーを購入できる人気スポットだ。
すべての商品は、静岡県唯一の老舗ラムネメーカー・木村飲料のもの。戦後、全国に2000社以上あったラムネメーカーは時代とともに淘汰され、現在は100社ほどに激減。そんな中、同社は2005年に発売した「必勝合格ダルマサイダー」が約1ゕ月で50万本の売り上げを記録。その後もユニークな戦略性でコンスタントに年間平均15億~20億円の売り上げをはじき出している。
「中小企業の商品は、大量生産が可能な大手のように、いつでもどこでも買えるとは限りません。我々の競合相手は大手飲料メーカーではない」
そう話すのは同社の3代目社長、木村英文氏。商品展開を、観光客が購入するだろう道の駅やサービスエリアなどに絞ることで差別化。競合相手は土産商品と説明する。
「賞味期限約半年のペットボトルと違い、瓶は2~3年ほど持ちます。冷蔵保存する必要もないため、お店も取り扱ってくれやすい。また、辛子めんたいコーラであれば福岡空港、カレーパンサイダーであればパン屋という具合に、各サイダーとマッチングする施設や店舗があります。新規顧客獲得の販路拡大につながっている」(木村英文氏)
もちろん、売り上げが伸びないサイダーもある。そのため、木村飲料では製造の約半分を大手メーカーの下請けに回すことでバランス化を図っているという。
「安定があるからこそインパクトのある“ご当地サイダー”をつくることができます。ターゲットを絞ることで、大手メーカーの生産ラインでは不可能な最小ロット1万本でも採算が合う。売れたら増産、伸びなければ撤退といった判断も、中小企業だからこそスピーディーにできます」(木村英文氏)
奇抜に見えて、実は“気が抜けない”しっかりとしたアイデア。そのインパクト、お試しあれ。
日刊ゲンダイ 2019年7月31日付 年間売上20億!老舗ラムネメーカーが勝ち続けるワケ より引用
ちなみにラムネとサイダーの違いって何だか分かりますか?実はラムネとサイダーの違いは‟入っている容器の違い”だけなんだそうです。ビー玉が入った瓶に入っているのが「ラムネ」、それ以外の容器に入っているのは「サイダー」で、中味には違いはありません。何だか拍子抜けしたような気がしますね・・・。
ちびまる子ちゃんランド
ちびまる子ちゃんランドはアニメ「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこさんの出身地である静岡市清水区(旧清水市)に因み、エスパルスドリームプラザ開設と同時に開館した日本唯一の「ちびまる子ちゃん」の常設ミュージアムです。
ちびまる子ちゃんランドは昨年7月にリニューアルオープンしており、さくら家や学校などの風景を再現し、まるちゃんの1日を楽しめる「まる子の日常」ゾーン、アニメのオープニングの世界観を体験できる「夢いっぱい」ゾーン、「まる子の夢の遊園地」ゾーンがあり、アニメの世界に飛び込んだように気分になれます。
新しく、なおかつ懐かしい気持ちになるちびまる子ちゃんランドは、見どころいっぱいで大人も子供も十分に楽しむことが出来ます。私も子供が小さい頃に連れて行けばよかったと今更ながら後悔しています。
この他にもエスパルスドリームプラザにはグルメスポットとして、清水すし横丁、清水かんづめ市場(静岡市清水区はツナ缶の製造が日本一だそうです)など、魅力的なスポットが満載です。
途中下車の旅 9-2 ~ 新清水駅:清水港
静岡市清水区のランドマークともいわれる清水港は、富士山を仰ぎ、三保松原に囲まれた美しい港で、長崎・神戸とともに日本三大美港の一つに数えられています。
清水港の歴史は古く、史書に出てきたのは663年と言われ、白村江の戦いに向かうため清水湊から百済に出港したことが記されています。戦国時代には、武田氏の水軍基地となり、その後、徳川家康も水軍の拠点としました。
江戸時代に入ると、駿河をはじめ甲斐や信濃からの年貢米の江戸への輸送拠点となり、また赤穂の塩などの西国からの江戸へ輸送される物資の中継拠点として栄えました。
明治時代に入り、一旦は寂れますが、1899年に開港場に指定されると、茶を扱う外国商社が多く置かれ、第二次世界大戦前は茶の主要輸出港として栄えました。この関係か、現在は紅茶の輸入量が日本一だそうです。
戦後になり、1952年に特定重要港湾(現・国際拠点港湾)の指定を受けると、静岡県の産業発展を背景に清水港も規模を拡大し、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類などの国内有数の輸出港として、またポーキサイトや液化天然ガス等の輸入港として、県内及び中部日本圏経済を支え、高度経済成長期の日本で重要な役割を果たしてきました。
近年では景観を活かして「市民の憩いの場」、および「観光の場」として公園やヨットハーバー及び大型観光商業施設等の施設整備、さらに「みなと色彩計画」により、富士山など周囲の景観に調和する青を基調とした港湾整備も進められており、貿易一辺倒の港から観光港としての比重が高まっているようです。
途中下車の旅 9-3 ~ 新清水駅:駿河湾フェリー
駿河湾フェリーは清水港と西伊豆の土肥港を約70分で結ぶカーフェリーで、2002年4月にそれまでの富士市の田子の浦港から土肥港からの航路が利用者減少による業績不振のため、航路を変更する形で就航しました。また観光振興を目的に2013年4月には、この航路が静岡県道223号清水港土肥線となりました。
ただ道路状況の改善やフェリーの運航が天候に左右されること、さらに燃料費の高騰から2019年3月末をもって運営会社であるエスパルスドリームフェリーが駿河湾フェリーから撤退すると発表し、一時は駿河湾フェリーの存続が危ぶまれました。
その後、エスパルスドリームフェリーは静岡県にフェリーと船舶発着所、桟橋などを無償で譲渡すると発表し、駿河湾フェリーは間一髪のところで撤退を逃れました。現在では静岡県、静岡市、下田市、伊豆市、西伊豆町、松崎町、南伊豆町が設立した一般社団法人にフェリーの運営を移管し、同時にエスパルスドリームフェリーへ運航が委託される形で、駿河湾フェリーは存続しています。ただ現状は厳しいようで、天候不順や新型コロナウイルス感染拡大の影響で、採算がとれるとされる年間利用客20万人には程遠いようです。
しかし駿河湾フェリーには定期船のフェリーにない魅力が満載です。まずは景観。晴れた日には雄大な富士山や駿河湾、三保松原さらには伊豆半島の景観を堪能できます。車も乗船できるので、交通事情があまりよくないとされる西伊豆から首都圏へのアクセスも渋滞知らずで行くこともできます。
またフェリーは横揺れ防止装置付きで揺れにくい構造をしており、船酔いの心配も少なく、またシートもゆったりとして乗り心地は快適のようです。
私は駿河湾フェリーにはまだ乗ったことはありませんが、新型コロナの騒動がひと段落したら是非とも乗船したいと思います。
途中下車の旅 9-4 ~ 新清水駅:フェルケール博物館
フェルケール博物館は、「港と船の博物館」として、港湾の生い立ち、地域の歴史との関わり、そして、清水港を核とした地域の未来までを展望できる、新しいスタイルの「港の博物館」を目指して1993年5月に開館しました。館内には清水港に関係する船の模型や、航海に必要な船舶関連品、港湾労働者が使用していた荷役道具などで港の歴史や役割を紹介しています。
また博物館奥にある缶詰記念館では、1929年にわが国で初めてまぐろ油漬缶詰を製造し、アメリカに輸出した清水食品株式会社の創立当時の本社社屋を移転、補修したもので、実際に使用されていた昭和時代の缶や缶詰ラベル、初期のツナ缶詰製造道具を展示・紹介しています。
なお愛称となっている「フェルケール」はドイツ語で「交通」を意味するそうです。
途中下車の旅 9-5 ~ 新清水駅:清水次郎長
突然ですが、静岡市清水区出身の有名人というと誰を思い浮かべるでしょうか?清水はサッカーの街ですので、名門清水東高でフォワードとして活躍され以来Jリーグで選手、監督として活躍された長谷川健太さん。長谷川さんの小学校時代の同級生で前述したさくらももこさん。野球界でいえば慶応のプリンスと言われ大洋ホエールズでは守備の名手として活躍された山下大輔さん。笑点の司会者で静岡市や静岡県の観光大使を務め、昨年還暦前に結婚されて話題になった落語家の春風亭翔太さん。最近では女優の広瀬アリスさん、すずさん姉妹も清水区出身ですね。ただこれらの有名人でも知名度の点では清水次郎長には到底敵わないと思います。
清水次郎長とは?
では一体清水次郎長とはどのような人物だったのでしょうか?一般的にはやくざの親分、侠客あるいは博徒とされています。最近では若い人を中心に次郎長が架空の人物とも思われているような節もあるようです。実際私も昔の浪曲で謡われたイメージしか清水次郎長のことはなく、どのような人物だったか、どのような業績を残したのか、その詳細は知りません。ですので、次郎長のことを知るためWikpediaを始め、ネットで次郎長のことを調べてまとめてみました。
清水次郎長は本名を山本長五郎といい、1820年2月、駿河国清水町の廻船業・高木三右衛門の次男として生まれました。幼い頃、母方の叔父の米穀商甲田屋の主・山本次郎八には子供がいなかったため、次郎八の養子となります。清水次郎長の呼び名の「次郎長」は「次郎八のところの長五郎」が縮まったとされています。
養父の死後、若くして甲田屋の主となった次郎長でしたが、博打をめぐる争いで傷害事件を起こして出奔し、博徒の世界に身を投じます。1859年、尾張から三河に大きな勢力を張っていた博徒の大物で、前年に次郎長の女房おちょうを手にかけた保下田久六を殺害したことで名を上げ、故郷の清水湊に次郎長一家を構えます。大政、小政、森の石松など、後に「清水二十八人衆」といわれた屈強で個性的な子分衆を使いこなし、幕末までに周辺の敵対勢力を圧倒し、「海道一の大親分」として知られるようになります。
1868年5月、新政府(東征総督府)から東海道筋から清水港周辺の警備を命じられます。同年9月、清水港内で旧幕府と新政府の軍艦が交戦し、幕府側全員が交戦によって死亡しますが(咸臨丸事件)、新政府の威光を恐れて、戦死者の遺体はそのまま放置されました。これを見かねた次郎長が船を出し遺体を収容し、これを手厚く葬ります。新政府はこれを咎めますが、次郎長は「死ねばみな仏にござる。仏に官軍も賊軍もない。」と啖呵を切り、その翌年には「壮士墓」を建立します。
明治維新後は富士山麓の開墾など正業に従事しますが、1884年2月に「賭博犯処分規則」により逮捕され、井宮監獄に服役します。翌年静岡県令の関口隆吉の尽力により刑期の満了を待たずに釈放されました。釈放後は清水港で船宿を経営しましたが、1893年6月に風邪をこじらせて、74歳で死去しました。
次郎長宅跡
次郎長宅跡はエスパルスドリームプラザの敷地内にありました。この碑から数分のところに、次郎長が1886年に開業した船宿「末廣」があります。今回の途中下車の旅では残念ながらそこを見落としてしまい、この記事を書く時に、そこが観光名所だとわかった次第です。建物とか展示物については下記にリンクを貼っておきましたので、興味がある方はそちらをご覧ください。
次郎長生家
次郎長生家はその名の通りの「次郎長通り」という商店街の一角にあり、清水次郎長や大政、小政の写真、次郎長が使った道具類、資料などが展示されています。居間なども当時のままに保存されています。次郎長生家は2018年3月に国の登録有形文化財に登録されました。
次郎長生家から歩いて5分くらいの距離のところに梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)という室町時代に創建された臨済宗のお寺があります。このお寺の中に清水次郎長の墓、次郎長の銅像が設置されています。また境内には次郎長の資料を集めた次郎長博物館があります。残念ながら私が訪れた2月2日はあいにくと休館日でした。先ほどの船宿の件といい、こと次郎長に関しては準備不足が否めず、残念な結果となってしまいました。近いうちにもう一度取材をしたいと思っています。
おわりに
昨年の11月から計6回にわたった静岡途中下車の旅~静岡鉄道編、如何だったでしょうか?このブログ記事を見て、静岡鉄道を利用したい、途中下車して名所を見てみたいと思われた方は皆無でしょうが、取材をした私にとっては隣町の静岡市を再発見したようでとても感激しています。そして今回取材をしたところに機会があれば是非再び訪れてみたいと思っていますし、新型コロナの感染拡大が収まった時に、数少ない私の東京の友人がここ静岡県を訪ねてきたら、ブログで紹介した場所へ連れていってみたいと思います。そして近いうちにその日がやってくることを信じて待っています。
参照:Wikipedia エスパルスドリームプラザ、木村飲料、清水港、
富士山清水港クルーズ、清水次郎長
tenki.jp 「冬の嵐」北・東日本は猛吹雪 西日本で積雪も 警戒いつまで
エスパルスドリームプラザ フロアガイド、施設案内
日刊ゲンダイ 2019年7月31日付
年間売上20億!老舗ラムネメーカーが勝ち続けるワケ
静岡新聞 SBS エスパルスドリームプラザ 清水ラムネ博物館
気になる!清水ラムネ博物館で、ご当地ラムネ・サイダーを徹底リサーチ
サントリーお客様センター サイダーとラムネの違いはなんですか。
清水港 清水港の概要 清水港の歩み
フェルケール博物館 ご利用案内 博物館理念
「海道一の大親分」は、ほんとうはどんな人物だったのか?
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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