久しぶりのブログの更新になります。
猛威を振るう新型コロナウイルスも5月に入り、ようやく感染拡大も収まりつつあります。感染者数が最も多い東京都でもここ数日では感染者数が一桁にまで下がっており、先月の7日に発令されていた「緊急事態宣言」も、今月15日にようやく解除になりました。解除となった先週の週末では営業を再開した静岡県内の大型商業施設では多くの買い物客で賑わっており、感染拡大以前の人出が戻りつつあるようです。
ただ先日伊東市で新たな感染者が3週間ぶりに確認されており、これで県内の感染地域は12市6町となりました。静岡県によると、感染された方は女性で、県を訪れた神奈川県からの複数の人と宿泊施設を訪れたようです。他県では隣県の神奈川県のように感染者が多い地域もあり、宣言が解除したからといって油断をすると、一気に感染拡大の恐れがあるようです。普段通りの日常に戻るにはまだまだ時間がかかるようです。
◆◆◆この記事の目次◆◆◆
- はじめに
- 「今川復権」へ、悲願の義元公像のお披露目
- 静岡県内初の「今川義元公」の銅像とは?
- 「今川義元公」の銅像が建立された経緯とは?
- 大河ドラマ出演者からお祝いのメッセージ
- 今川義元公とは?
- 歪められた今川義元公のイメージ
- 「誤った歴史認識を打破したい!!」、そんな熱い思いで「今川さん」は誕生した。
- 「今川さん」の涙の訳
- おわりに
- おまけ
はじめに
以前の記事にも書きましたが、私の場合は新型コロナウイルス感染拡大防止のために世間が‟外出自粛モード”になる以前から、今と変わらない生活をしていました。大概は平日は家と職場の往復で、帰宅途中にコンビニに寄って、そそくさと食べ物を買ってそれを車の中で食べる毎日。休日は家に籠ってゲームやネットを見る毎日で、それは社会人になってからほとんど変わらなかったと思います。そういう意味では外出自粛は私が生きる上で(?)にとってはほとんど影響がなかったといっても過言ではありません。
ただ世間の話題は新型コロナ一色で、新聞のスポーツ欄は縮小され、また地域の話題もその大半が新型コロナに紐づけされているような記事が大半でした。ただでさえ、最近は私の興味をそそる内容が減ってきていることもあり、言い訳になってしまいますが、なかなか記事を更新できない状態が続いていました。
「今川復権」へ、悲願の義元公像のお披露目
そんな悶々(?)としていた時に、久しぶりに私の興味を十分にそそる記事がありました。それがこちら、5月20日の産経新聞朝刊の静岡版の記事です。
静岡ゆかりの戦国武将、今川義元の銅像が19日、JR静岡駅北口にお目見えした。義元の銅像は県内初で、昨年に義元生誕500年を迎え、「今川復権」をアピールしようと銅像設置が企画された。この日の除幕式では勇ましい甲冑姿の義元の銅像に「いい表情している」と歓声が上がった。
義元は旧暦の永禄3(1560)年5月19日、桶狭間の戦いで織田信長に敗北し、命を落とした「軟弱もの」というイメージが令和の時代になっても拭えていない。そのせいか県内に義元の銅像は一つもなく、県内4ヵ所に銅像がある静岡ゆかりの戦国武将で天下人となった徳川家康とは対照的だ。だが、地元は生誕500年に合わせて義元の功績を再評価する「汚名返上」への動きに力を入れる。19日には県内初となる義元の銅像がJR静岡駅前にお目見えし、「義元復権」に活気づいている。
銅像は台座を含めて高さ約2㍍。義元の負のイメージを払拭し、再評価する研究に取り組む「今川義元公生誕五百年祭推進委員会」委員長の小和田哲男・静岡大名誉教授は除幕式で、「夢がかなった。泣くほどうれしい」と歓喜した。今川復権を盛り上げるゆるキャラ「今川さん」も駆けつけ‟うれし涙”を流した。
静岡県内初の「今川義元公」の銅像とは?
産経新聞の記事にあった今川義元公の銅像はJR静岡駅北口に設置されています。JR静岡駅は1日の乗降客数はおよそ6万人、北口は百貨店や大型の商標施設が集積しており、県庁や市役所といった官公庁も近くになることから静岡市の玄関口ともいえます。
県内4か所ある徳川家康公の銅像のうち、2か所は静岡駅北口にあります。これらの像は2007年の徳川家康公の駿府城入場400年の記念事業の一環として、2009年3月に完成しています。
1つは駅前ロータリーから交通量の多い国道362号線への出口のところに威風堂々したお姿で鎮座しています。
もう1つは家康公が幼少期に竹千代と名乗られていた時の銅像で、実は今川義元公像と並んで配置されています。
「今川義元公」の銅像が建立された経緯とは?
そもそも今川義元公の銅像は何故この場所に設置されたのでしょうか?
話は2017年に遡ります。5月19日は今川義元公の命日にあたりますが、この年の命日の際、今川家の菩提寺にあたる臨済寺で、小和田哲男・静岡大名誉教授、酒井公夫・静岡商工会議所会頭、田辺信宏・静岡市長、阿部宗徹・臨済寺住職によって、「今川復権宣言!」を行いました。
今川復権宣言
私たちは、「今川義元公生誕500年」を迎える2019年に向け、京文化に精通し、優れた政治的・軍事的手腕のあった今川義元公の功績を再評価していくことをここに宣言する。
7月には2019年の今川義元公生誕500年に向けて、小和田教授を委員長とする「今川義元公生誕五百年祭推進委員会」が設立されました。
そうして迎えた2019年5月、GW期間中に静岡市葵区の駿府城公園にて「今川義元公生誕五百年祭」のメインイベントである「今川復権まつり」が大々的に開催されました。期間中は駿河の文化・芸術・芸能を楽しめるイベントや地元特産物の物販など盛り沢山で、特に京都から招待された蹴鞠(しゅうきく)保存会が実演した蹴鞠の実演は注目を浴び、約15万人を集客しました。
2019年5月19日に静岡市葵区の臨済寺で執り行われた「今川義元公合同法要」の後、「今川シンポジウム」が開催され、その中で「今川義元公大好き!宣言」が声高々に行われました。
そうした流れの中で、今川義元公の銅像を建立する機運が高まり、静岡市のシンボルとして、静岡市の玄関口であるJR静岡駅北口に、先に建立された幼少期に”人質”として今川義元公の元で英才教育を受けた竹千代君像の隣に設置することが決定されました。銅像設置にあたって、関係者だけで設置したのであれば真の「今川復権」には当たらないとして、多くの人たちから資金を集めるクラウドファンディングの手法で実施することになりました。当初の目標は300万円でしたが、それを大きく上回る517.5万円を集めることが出来ました。
ちなみに銅像の制作者は静岡駅北口に設置された徳川家康公像・竹千代君像を制作した長泉町在住の彫刻家堤直美さん。堤さんは今川義元公像の制作にあたって、「史実から伝わる勇姿と品格を形にして後世に残したい」と語っています。
大河ドラマ出演者からお祝いのメッセージ
今回の今川義元公像の静岡駅北口広場でのお披露目について、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で今川義元公を演じている歌舞伎役者の片岡愛之助さんからお祝いのメッセージが送られています。その中で片岡さんは「銅像が自分に似ている」と発言されていますが、どうでしょうか?今川義元公像のご尊顔をアップした写真を貼っておきましたので、この記事を読まれている方でお時間のある方は比較してみて下さい。
ちなみに「麒麟がくる」の時代考証は前述の小和田哲男・静岡大名誉教授が担当されています。
今川義元公とは?
では今川義元公とはどのような人物だったのでしょうか?ここで少し記述してみます。
今川義元公は戦国時代を代表する大名の一人で、駿河及び遠江さらには三河といった東海道の広大な領域を支配したことから、「海道一の弓取り」の異名を持っています。
義元公を輩出した今川家は、もともとは清和源氏ひとつ河内源氏の流れを汲む足利氏御一家・吉良家の分家にあたります。吉良家は足利将軍家の親族であり、足利宗家の継承権を有しており、今川家はその分家として、代々駿河の守護に任命されていました。
義元公は1519年に今川氏親の四男として生まれ、4歳で仏門に出されますが、相次ぐ兄の死により今川家の当主を継承権を得ました。しかしその後の今川家当主を巡り異母兄の玄広恵探(げんこうえたん)と争うことになり(花蔵の乱)、これを鎮圧し、1536年に今川家11代当主となりました。
今川家の当主となった義元公は内政面・外交面で優れた手腕を発揮しています。内政面においては父である今川氏親が定めた「今川仮名目録」に21条を追加し、室町幕府からの干渉を廃止し、今川家を幕府の権威により領国を統治する守護大名から自らの実力によって領国を統治する戦国大名に転身することに成功しています。
義元公は公家文化に精通しており、荒廃した京都から公家や僧侶らを今川氏の城下町である駿府に呼び寄せ、京都の文化を取り入れ、周防の大内氏、越前の朝倉氏と並ぶ戦国三大文化の一つである今川文化を築いています。
外交面においては、義元公は1554年に甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と攻守軍事協定・相互不可侵協定・領土協定・婚姻の4つの要素からなる甲相駿三国同盟を結んでいます。また1555年に行われた第二次川中島の戦いにおいては、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄との仲介を行い、両者の和睦を成立させました。
1558年に義元公は家督を嫡男氏真に譲り、本格的に西へ進出します。三河を支配下に置くと、1560年5月には2万の兵を率いて隣国尾張への侵攻を開始。途中、桶狭間山で休息中に織田信長の奇襲にあい、42年の生涯を閉じます。
歪められた今川義元公のイメージ
こうしてみると、今川義元公は後世で伝えられているような凡庸な大名ではなく、軍事面において、戦国武将の代表格とも言える上杉・武田と互角に渡り合えることが出来た優れた才覚の持ち主であり、内政面においても自国領内の統治に卓越した手腕を発揮した戦国大名だったことがわかります。
それが桶狭間の戦いで織田信長に大敗したため、それも2万の兵を率いながら、織田軍のわずか2000の兵に大敗したこと、そのイメージが独り歩きし、さらに言えば今川氏が氏真の代であっけなく1代で戦国大名の座を陥落したことも、義元公にとってはマイナスに働き、義元公はダメな武将の筆頭格として、軽んじられてきました。そのため地元出身の武将にもかかわらず、今まで銅像が1つも作られていないという悲しい結果となっています。
また京文化に精通し、公家とも交流があったことが仇となり、TVなどでみられる義元公は白粉を塗りたくり、お歯黒をした奇抜な様相で描かれており、「太りすぎて馬に乗れない」とか「桶狭間では宴会をやっていた」といった根拠のない誤った歴史認識を世間一般に植え付けることになりました。
実のところ、義元公は尾張に攻め入ったとき、馬ではなく輿に乗っていますが、それは義元公が馬に乗れなかったわけではなく、将軍家から輿に乗ってよいという特別な許可をもらっていたからです。義元公が白粉やお歯黒していたことも、それは武家では守護大名以上にのみ許される格式の高さがあったからこそできたことであって、面白おかしく語られる類のことではないと思います。そう考えれば尾張の織田信長と戦いは質実ともに、織田側に格の違いを見せつけるものであったのではと私は思います。
ただそうした歴史の真実とは裏腹に、義元公の地元であるここ静岡県でも県を代表する戦国大名と言えば、残念ながら多くの県民は徳川家康公と答えると思います。ちょっと前までは・・・。
「誤った歴史認識を打破したい!!」、そんな熱い思いで「今川さん」は誕生した。
2014年暮れ、ついに今川義元公の「誤ったイメージ」を打破すべく有志が立ち上がります。フリーの編集者である鈴木将仁さんを中心になって、浜松市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」に対抗すべく、義元公の功績を再評価してその汚名を返上したいと考え、義元公のゆるキャラをアイデアを考案しました。そしてクラウドファンディングで資金を集め、2015年についに「今川さん」が静岡市非公認ご当地キャラとして誕生しました。
甲冑姿の「今川さん」お披露目 今川義元公モデルのご当地キャラクター
「今川さん」の涙の訳
「今川さん」は誕生当初は左目に涙を浮かべていましたが、これは桶狭間の戦いで織田信長に敗れたことではありません。「今川さん」にとっては信長との戦いに敗れたことは歴史的事実であり、信長に対する敵愾心というものはありません。
では何に対して涙を流しているのでしょうか?それは「誤った歴史認識」への怒り、つまり桶狭間での大敗のみがクローズアップされ、本来ならば称賛されるべき彼の功績がほとんど抹殺されている歴史的な評価に対しての悔し涙だそうです。
今川の城下町である駿府は徳川家康公が作った街だというイメージが先行していますが、実は室町から戦国にかけて今川氏の城下町として栄え、駿府は京の街を模倣して駿府、今の静岡市を作ったものとされています。つまり現在の静岡市の土台を築いたのが今川氏であり、義元公であったわけで、そうした背景から、静岡県民からも「誤った歴史認識」で長年に渡って蔑まれるには、義元公にとっては浮かばれなことだと同情を禁じえません。
ただ昨年5月の「今川義元公生誕五百年祭」のフィナーレで「今川義元公大好き!宣言」が行われたため、これまで義元公に対する世間の評価の低さもこれをもって解消されたとして、「涙はもういらないね!」と、ついに「今川さん」の涙がとれました!
また誕生当初の浜松市の「出世大名家康くん」に対する対抗心も、家康公は義元公の静岡に対する熱い思いを引き継ぎ、静岡の街の発展に大いに貢献したと考えを改めています。
おわりに
2020年5月19日、この日は「今川さん」に忘れられない日になりました。ついに今川義元公の銅像が静岡の街に建立するという悲願が達成されました。この日に行われた銅像の除幕式の後で、「今川さん」の左目に涙が復活します。ただこれは、今までの「悔し涙」ではなく、きっとようやく戦国大名として正当に評価されることとなり、感激のあまりふと流した「嬉し涙」に他なりませんね。
そして「静岡の戦国武将と言えば今川義元公」だと静岡県の人が当たり前のように言える日もそう遠くないと思います。
おまけ
今川義元公と「今川さん」に関するグッズを紹介します。
参照:産経新聞 静岡版:
2020年5月20日付 義元復権へ悲願の銅像「今川さん」も‟うれし涙”
静岡新聞SBS NEWS:
2020年5月21日 感染者は伊東市の女性 新型コロナ、静岡県内74人
2020年5月15日 今川義元公像19日お披露目 雄姿と品格、後世に
静岡駅北口広場に設置 長泉の堤直美さん制作
Wikipedia:今川義元、静岡駅、駿府、甲相駿三国同盟、
「今川さん」オフィシャルサイト 反撃!今川さん:
今川さんの涙がとれました!
「今川復権宣言!」が行われました!
Walker✙:生誕500年の今川義元は地元静岡でも「ダメ武将」扱い?
ゆるキャラ「今川さん」が訴える義元の‟誤解”
豆知識vol12 実はすごいぞ今川義元!
静岡商工会議所 広報室ブログ:今川義元公生誕五百年祭シンボルマーク
BOOSTER:銅像設置決定!今川義元公の銅像をみんなと一緒につくりたい!
今川新聞:
第7号 今川復権まつり開催
Twitter:NHK静岡放送局 #今川シンポジウム2020
素敵な未来へ
『誤った歴史認識をチェンジしたい。』今川さんの涙の訳。
そして全くゆるくない今川さんの熱い想い。
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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