今朝、無性に牛丼🍜が食べたくなって、車で藤枝駅近く(と言っても1㌔くらい離れていますが)の吉野家に向かいました。牛丼チェーンには吉野家の他にもすき家や松屋などがあります。私の知る限りでは静岡県中部はすき家が一番多く、次に吉野家、松屋の順となります。
私の嗜好にあうのは吉野家で、それは人生で始めて食べた牛丼が吉野家だったからだと思います。私が初めて牛丼口にしたのは大学🏫に入学した年、1982年5月くらいかと思います。当時私は親からの仕送り💰が少なかったこともあり、生活をするために少しはバイトをしなければなりませんでした。
ただバイトに面談に行くも元々社交的な性格ではなく、人間性にも❓がついていたので、案の定、バイトは悉く不採用となり、やっとOK🙆となったのは、品川駅にあった清掃会社🧹でした。
勤務地は品川駅前🚞にあった品川プリンスホテル、確か週2,3日で勤務時間は夜の12時から朝の8時までと夜の8時から朝の8時までのパターンで、時給は800円だったと思います。仕事はホテルの床の洗浄で、洗剤を床に撒き、ポリシャーという機械で床を洗浄し、最後はワックスがけをして乾かすというものでした。
私は不器用だったので、ポリシャーの運転は最後までさせてもらえず、専ら洗剤をまくか、ワックスがけの何れかでした。ここには約2年間ほど働きましたが、最初に半年くらいは周りの人間関係に馴染めずに孤立している状態でした。しばらくしているうちに同じ大学の先輩とか‟映画監督”🎥の大学生などが新たに入ってきたことや仕事に慣れてきたこともあって、何とか周りとコミュニケーションがとれるようになりました。
仕事はかなりきつかったけど、深夜の2時くらいに休憩が入り、食事🍽が振舞われていました。そこで出ていたのが吉野家の牛丼で、もっとも牛丼弁当と言った方がいいかもしれませんが、インスタントの味噌汁と紅ショウガが付いていました。私はこれが楽しみで、この時間があるからこそ、キツい(?)仕事(今思い出すとそうではなかったかな?)を頑張れたと思います。
当時テレビ📺のCMでその名前こそ知っていましたが、牛丼を食べるのは初めてで、当時は魚🐟か鶏肉🐓しか食べたことがないので、衝撃を受けたほどではありませんが、何とはなくですが、結構‟イケる”と思ったのは確かでした。それからは肉🍖が食べたくなったら、お金がなかったこともあり、吉野家の牛丼を食べるようになりました。
社会人になってから結婚するまでは、社員寮🏠に入っていた期間を除き、大概は外食🍴でした。その間もちろん牛丼は食べましたし、吉野家以外のすき家とか松屋にも行きましたが、やはり最初食べた味が忘れられないのか、牛丼を食べようとなると行くのは決まって吉野家、各社の味の違いなどほとんどわかりませんが、自分の舌には吉野家の味が一番マッチしているのでしょうねえ!?もちろんすき家も松屋もとても美味しいです。
そういえば ‟映画監督”🎥の大学生の方、私より年が1,2か上で、アダルトビデオなんかも撮っていて、ある時男優が居なくて、アルバイト仲間で美少年のA君に「出演できないか」と口説いていました。でもA君から頑強に拒否され、次に私に出ないかと誘われたりしました。もちろん私も即座に断りましたが、私以外にもバイトの大学生に出演しないかと口説いていました。
結局バイトの人たちは誰も出演を拒否しましたが、結局そのビデオがどうなったのかはわかりません。ただそれから数カ月をしたら、‟映画監督”🎥の大学生の方は辞めてしまいました。あれから40年以上の月日が経ちました。‟映画監督”🎥の大学生の方は、本当に映画監督になられて、2000年代くらいまでは検索サービスで検索すると、その名前がでてきましたが、最近では検索してもその名前を見ることがなくなりました。
‟映画監督”🎥の大学生の方、今頃いったいどうされているのでしょうか?今朝牛丼を食べながら、ふと昔のことを思い出し、記事にしてみました。
写真:無料写真素材 写真AC 牛丼と味噌汁セット Kazutrip
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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