今週のお題「もう一度見たいドラマ」
12月も終盤に差し掛かり、2020年もあと少しで終わろうとしています。2020年の出来事については、また記事にしたいと思っていますが、今年はほかの出来事が霞んでしまうほど新型コロナウイルス一色の1年でした。 この記事を書いている12月28日、藤枝市では朝から雨が降っています。朝から小さな雨音を立てて静かに降るこの雨は‟なごり雪“ならぬ‟なごり雨”なのか、はたまた‟なみだ雨”なのでしょうか?混乱に明け暮れた2020年を憂うようになんだか物悲しげに感じられます。
◆◆ この記事の目次 ◆◆
はじめに
今回の記事は前回の記事、「もう一度見たい懐かしいドラマを緩く語る 」シリーズの続きで、字数の関係で掲載できなかった「銀河テレビ小説」について語ってみたいと思います。今回は前回の記事があまりにも字数が多かったので、前回と比較して簡単というか大雑把に述べてみたいと思います。(実際はあまり記憶があやふやなのですが・・・・。)
銀河テレビ小説とは?
銀河テレビ小説とは、NHKで毎朝放送されている朝の連続テレビ小説(以下朝ドラ)と並んで、ゴールデンタイムにもそれに匹敵する番組を作ろうという趣旨で始められました。1969年4月に「銀河ドラマ」という名前のタイトルでスタートし、1972年4月に「銀河テレビ小説」というタイトルに変更されました。以降1988年3月に番組が終了するまで、「銀河ドラマ」で73作品、「銀河テレビ小説」で214作品が制作されました。
放送時間は番組スタート時は毎週月曜~金曜の21:00 ~21:30の30分でしたが、「銀河テレビ小説と改名後の2年間は15分に短縮されました。時間帯も22:00 ~22:15になりました。1974年の番組改編で時間帯が21:40 ~22:00に変更され、その後も時間帯は変更されましたが、放送時間は20分と固定されています。放送回数は「銀河ドラマ」時代初期では1シリーズ5~10回程度でしたが、後期以後は概ね1シリーズ20回程度に変更され、「銀河テレビ小説」改名後はそれが踏襲されています。
「銀河テレビ小説」の特徴として、番組オープニングに本編が始まる前に、番組初期は10秒間、番組後期5秒間の夜空をバックに流れ星が飛ぶというアイキャッチ映像が流されていました。私はこのシーンを見るたびに一日の終わりを実感していました。
銀河テレビ小説の作品の概要
「銀河テレビ小説」では前回の「少年ドラマシリーズ」同様、いやそれ以上に様々なジャンルのドラマが作られています。また原作とされた作品の作者では藤本義一、有吉佐和子、遠藤周作、田辺聖子、五木寛之、獅子文六、山口瞳、曽野綾子、阿川弘之、城山三郎、北杜夫、水上勉など当時の人気作家のものが使用されており、推理作家の松本清張の「ゼロの焦点」や横溝正史の「八つ墓村」といったベストセラーも作品になっています。この点はジャンルは違いますが後期には藤子不二雄の「まんが道」、ビートたけしの「たけしくん、ハイ!」といったベストセラーの作品化に繋がっていったのではないこと思います。
「銀河テレビ小説」では、織田作之助、石坂洋次郎、武者小路実篤、大佛次郎、坂口安吾、太宰治、谷崎潤一郎、大岡昇平、川端康成、井上靖、三島由紀夫といった日本を代表する文豪の原作もドラマ化されており、さらに気鋭の海外のミステリー作家の原作を意欲的に取り入れてみたり、ロシアの文豪トルストイの「復活」、フランスの文豪エミール・ゾラの「居酒屋」も作品化されています。
「銀河テレビ小説」を手掛けた脚本家の面々も 松山善三、橋田壽賀子、石堂淑朗、山田太一、平岩弓枝、市川森一、井上ひさし、ジェームス三木、中島丈博、佐々木守、向田邦子、小山内美江子、つかこうへい 、倉本聰といったそれこそ一流いや超一流どころが揃っており、改めて見てみると、「銀河テレビ小説」シリーズは大層贅沢な作品群だったのだなあとしみじみ感じました。
もう一度見たい「銀河テレビ小説」作品
次に私がもう一度見たい「銀河テレビ小説」の作品について、前回の記事同じようにタイトル通りに緩く語っていきたいと思います。前回の記事にも書きましたが、小学生から大学生くらいまでですので、かれこれ40~50年前のことになります。また最近は物忘れも激しいので、当時の記憶としてはとても曖昧です。ですので私の曖昧模糊たる記憶とネットの情報を参照にして記事にしてみました。
八つ墓村
八つ墓村は言わずと知れた横溝正史の長編推理小説で、「金田一耕助シリーズ」の4作目として1949年に発表されています。これまでも何回も映画やドラマ化されており、「銀河テレビ小説」では前身の「銀河ドラマ」の枠で、1971年8月の第1週に放送されました。ちなみに「銀河テレビ小説」では金田一耕助は登場していません。
このドラマは夏の夜にスイカを食べながら見た記憶が残っており、当時は白黒だったように思います。朧気に怖かったことを覚えていて、恐る恐る夜中にトイレに行ったのではなかったのかなあ?ちなみに名台詞の「八つ墓村の祟りじゃ!!」というセリフがあったかどうかは定かではありません。
となりの芝生
となりの芝生は1976年1月から2月にかけて放送された作品で、脚本を橋田壽賀子さんが担当しています。このドラマには前田吟さん、赤城春恵さんといった後のいわゆる橋田ファミリーと呼ばれる面々が出演されており、橋田作品のテーマとなった嫁姑問題を描いた最初のドラマではなかったのかと私は勝手に思っています。
となりの芝生は優秀番組賞を取るなど好調で、核家族と嫁姑問題を正面から取り上げることで全国に反響を呼び、1977年に「となりと私」、1979年には「幸せのとなり」と続編が銀河テレビ小説の枠内で放送されています。
主演は山本陽子さんで、姑役にはこのドラマの2年後に自らの半生を描いた朝ドラ「おていちゃん」のモデルになった沢村貞子さんでした。山本さんの息子役として子役時代の坂上忍さんが出演されています。またドラマのオープニングのタイトル画はアンパンマンの作者で知られる漫画家のやなせたかしさんが担当していました。
このドラマのあらすじはほとんど覚えていませんが、漠然と見ていたことは覚えていて、沢村さんの姑役の意地悪で憎々しい演技はうろ覚えながら覚えています。ただ金曜日の夜だけは裏番組に山口百恵・三浦友和共演の大ヒットドラマ「赤い疑惑」があったので、「赤い疑惑」の放送終了後の何分間しか見なかったと思います。当時は「赤い疑惑」を見てないと学校では話題についていけませんでしたね!!懐かしい思い出です。ちなみに「赤い疑惑」はそれほど見たい番組ではありません。
中年ちゃらんぽらん
「銀河テレビ小説」では朝ドラ同様に東京だけではなく大阪や名古屋でも制作されており、中年ちゃらんぽらんと人の気も知らないで は大阪の放送局で制作されました。
この2つのドラマですが、内容よりもテーマソングやドラマの中で流れる歌の方を鮮明に記憶しています。
中年ちゃらんぽらんは1978年9月に放送されました。原作は田辺聖子さんの同名の小説からで、子育てを終えた戦中戦後の夫婦の日常を描いたドラマで、藤木悠さん、鳳八千代さんが夫婦役を演じています・・・、と書きましたが、実は内容はほとんど覚えていません。ただこのドラマのオープニング・ソングの冒頭のフレーズ「ちゅうねん、ちゃらんぽらん・・・・、あきまへん・・・。」がどういう訳か妙に耳に残っていて、何かの拍子に頭の中を駆け巡ります。
人の気も知らないで
人の気も知れないで は1979年の5月から6月にかけて放送された作品で、参照となる文研が全くないので、詳細はわかりませんが、こちらのほうは恐らくNHKのオリジナルドラマだと思います。 ドラマの出演者はかしまし娘の正司歌江さん、三浦リカさん。ドラマの内容は忘れてしまいましたが、正司さんと三浦さんが母娘役を演じており、娘役の三浦さんが母役の正司さんのお節介に閉口するといった内容だと思います。ただ私としては娘役の三浦リカさんがとても眩しかったことが印象的で、このドラマをもう一度見たい理由としては、実は若かりし日の三浦さんをもう一度見たいというスケベ心もあったのですねえ、これが・・・。
このドラマも中年ちゃらんぽらんと同様にドラマの中に出てくる歌に強烈な思い出があります。それは正司さんドラマの中で皮肉を込めて歌うタイトルとなった「人の気も知れないで」という歌。この曲はもともと1931年のフランス映画「ソーラ」の挿入歌で、ダミアという人が歌うシャンソンです。日本ではシャンソン歌手の 岸洋子さんが歌われています。
太郎の青春
太郎の青春 は1980年1月から2月にかけて放送された作品です。原作は曽野綾子さんの小説「太郎物語」で、曽野さんの実在の息子さんをモデルに名古屋の大学に進学と東京の恋人を巡る青春ドラマでした。実際に曽野さんの息子さんは三浦太郎さんといい、名古屋にある南山大学を卒業し、現在は文化人類学者をされています。
このドラマは実は続編で、最初の物語は少年ドラマシリーズで1975年1月に放送された太郎で、これも曽野さんの「太郎物語・高校編」が原作のドラマでした。また1981年4月から5月にかけて最終章として「太郎の卒業」も放送されました。
ドラマで主人公の太郎を演じたのは広岡瞬さん、太郎の両親役に長門裕之さん・岸田今日子さん、太郎の恋人役に石井めぐみさんが演じられています。また無名時代の石田純一さんも何の役かは忘れてしましましたが出演されています。
またオープンニングの主題歌はサーカスが歌い、演奏はカシオペア、ドラマの音楽は三枝成章さんが担当するなど贅沢な布陣が揃っていました。オープンニングは今でも口ずさむことができます。曲調は都会的な洗練されたポップスといった感じで、こういう所にもこのドラマをもう一度見たい理由があります。
ドラマが放送された1980年1月は私は高校2年生で、ちょうど受験に当たる時期でした。ですので、自分と主人公の太郎を重ね合わせるような形でドラマを見ていました。と同時に太郎の家庭環境と私の家庭環境も・・・。そうするとどうしても太郎物語で描かれた家庭環境に憧れを感じてしまうんですねえ!!
太郎の両親は放任主義ではありますが、太郎の人格を認め、困った時はしっかりと相談に乗っている、いわば理想の家族でした。それに引き換え我が家と言えば、両親特に母親が‟毒親”で、子供の意見など認めず、とにかくがんじがらめに行動を縛っていました。ドラマの中で太郎が東京の有名大学を蹴って名古屋の大学に行くシーンがありますが、「あんなことはうちじゃ絶対にあり得ない!!」と私は思っていましたし、私自身もやはり太郎の選択には疑問を感じていました。
ただ今思うと当時の両親の気持ちも少しですが、わかるような気がします。というのも、我が家の息子も今年受験生、受験生でありながらその自覚がなく、ほとんど勉強しません。さすがの私も口を酸っぱくして「勉強しろ!!」というのですが、なしのつぶて・・・。今年度から新しく受験制度が変わるというのに大丈夫なのかなあ!?
冬の祝婚歌
冬の祝婚歌 は前述の太郎の青春のあとの1980年2月に放送されました。原作は小泉喜美子さんの「弁護側の証人」という本格的ミステリー小説で、高橋洋子さん、本田博太郎さん、小山明子さんなどが出演されました。
ドラマは玉の輿に乗った踊り子が殺人事件の犯人とされ、自らの冤罪を晴らしていくという内容で、当時としては珍しかった本格的な推理ドラマとして、次はどのように展開するのかとドキドキしながら毎日見ていました。ドラマの中では小山さんが主人公の高橋さんを執拗にいびるシーン、そして当時の若手の上昇株だった本田博太郎さんのダメな夫ぶりが印象的でした。そして最後の大どんでん返し!!このドラマは‟人間の業”を痛切に感じさせられる秀悦な作品と言えます。
優しさごっこ
優しさごっこは1980年11月から12月にかけて放送されました。このドラマの原作は児童文学作家の今江祥智さんが1977年に発表した「優しさごっこ」で、夫婦役として山本圭さん・藤田弓子さん、その他にも岸部一徳さん、岡江久美子さんなどが出演されています。
ドラマの内容は妻に出ていかれた夫が小学生の娘と二人で悪戦苦闘しながら成長していくというほのぼのとしたストーリーで、原作者の実体験を元に描かれています。このドラマでは残された父と娘が悲壮感をただ寄せることなく、日常の生活を実にユーモラスに描いています。特に言葉のベースが京都弁であり、それがドラマにいいスパイスになっているように思います。特に娘役の牛原千恵さんと父親役の山本圭さんの丁々発止の会話は見ていてとても面白かったし、牛原さんは小賢しい口を聞いて憎たらしかったのですが、可愛かったなあ・・・。
今でこそ離婚はさほど珍しくない時代となっていますが、80年代当時はまだ離婚は珍しく何かしら後ろめたいものを感じさせる雰囲気があったと思います。このドラマは当時の世相に逆らい、離婚を肯定するわけではありませんが、前向きに捉えていく新たな家族の在り様というのでしょうか、それを示した革新的なドラマではなかったのかなあ、と思っています。
やどかりは夢を見る
銀河テレビ小説は東京・大阪のほかにも、NHK名古屋放送局もドラマの制作に関わっており、このやどかりは夢を見る も名古屋で制作されました。やどかりは夢を見る は1984年2月から3月にかけて放送されたオリジナルのドラマです。主演は三浦浩一さんと宮崎美子さん。脇を固める布陣として和泉雅子さんと高橋長英さんといういぶし銀の役者さんが出演されています。三浦さんと宮崎さんは相性がいいのか、その後も名古屋放送局制作で1987年のかなかな虫は天の蟲、1989年の黒潮に乾杯!でも主演として共演されています。
ドラマの舞台は愛知県蒲郡市三谷町、久しぶりに故郷に帰ってきた青年が自分の実家が人手に渡り下宿になったこと知り、それでも強引に下宿と実家に住むことに決めます。下宿に住む人たちとの人間模様と下宿の大家になった若い女性との恋模様も絡め、コメディタッチで描かれた人情味あふれるドラマでした。
このドラマではやはり青年役の三浦浩一さんと宮崎美子さんの主演同士の心情の変化がキーで、最初はぶつかり合っている二人ですが、徐々に憎からず思うようになっていきます。覚えているシーンとして、女性に逢って朝帰りした(たぶんそうだったと思いますが・・・?)三浦さんを宮崎さんが問い詰めるシーンはまるで浮気を疑いおどおどする女性の心理を突いていて、宮崎さんの演技は若い女性の心理を突いた迫真なものでした。
宮崎美子さんは私と同じ九州出身で、後に編入学し熊本高校に進学されますが、高校1年生までは私の生まれ故郷である大分県にいて、県内屈指の進学校の大分上野丘高校に通っていました。そういった関係から宮崎さんには親近感というのか憧憬に似たものが感じられ、また当時話題となったその健康的な肉体美も魅了され、当時は熱狂的とは言えませんでしたが、好きな女優さんの一人でした。ですので、やどかりは夢を見る も最初は宮崎さん目当てで見始めた節があります。
またこのドラマではオープニングソングにハリー・ネルソンの「うわさの男」という曲が流れていたと思います。(港町をバックにこの曲を聴いたので多分そうだったと思います)後で知ったのですが、この曲はジョン・ボイドとダスティン・ホフマンが主演した「真夜中のカーボーイ」の主題歌でした。「うわさの男」はテレビやラジオ等で結構かかることが多く、曲がかかる度にドラマを思い出します。
おわりに
最後になりましたが、またまた前回と同様に字数が多くなり、今回も7000字を超えてしまいました。記事の内容はお粗末で大雑把なのですが、どうしてもだらだらと書き綴ってしまいました。またいつも思いますが、私には感受性というものに乏しく、感想を言ったり、何かモノを批評する才能は全くと言ってないようで、今回も洒落たことを書こうと思ってもなかなか言葉が出てこず、小学生並みの感想しか述べることはできず忸怩たる思いがあります。
ちょっと愚痴めいてしまいましたが、最近の地上波のテレビ局はバラエティ番組に押され、ドラマ枠は縮小傾向にあるようです。テレビ局にもスポンサーの兼ね合い等いろいろ事情があるとは思いますが、やはりこれは寂しい限りですし、バラエティが苦手な私にとっては少々ウンザリしています。ただNHKは新たにドラマ枠を増やす傾向にあり、ドラマも様々なジャンルにチャレンジしているみたいです。NHKの今後に期待しています。
参照:Wikipedia 銀河テレビ小説、八つ墓村、となりの芝生、岸洋子、太郎の青春
写真:無料写真素材 写真AC レトロなちゃぶ台 くろしん
お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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