五つの池の喫茶店

私が日々思っている事を徒然なるままに書き綴ってみました。興味のある方はお立ち寄りください。OCN CAFEに2004年9月から記載された日記をOCN Blog人に引き継ぎ、さらにこのHatenaBlogに移設いたしました。

やったことがあるアルバイト

今週のお題「やったことがあるアルバイト」

 

 今週のお題は「やったことがあるアルバイト」ということで、以前学生の時に品川プリンスホテルで清掃員のアルバイトをしていたと記事に書きました。  

 

kitajskaya.hatenablog.com

 

 ただそれは私が初めてやったアルバイトではありません。私が一番最初にやったアルバイトは中学校3年生の時の新聞配達でした。新聞配達をしようと思ったのは単にお金💰が欲しかったからで、それは両親が小遣いをくれなかったこともあり、くれないのなら自分で稼ごうと思っていた始めました。ただそれもすぐに両親にバレてしまい、何とか6ヶ月くらいは働きましたが、高校になって成績が下がったので、こっぴどく怒られた上に強制的にやめさせられてしまいした。

 大学に入るために上京してからは始めたアルバイトが、前にも書いた品川プリンスホテル清掃員のアルバイトでしたが、これも大学2年生の冬くらいに突然何故かつまらなくなって突然辞めてしまいました。もう時効になりますが、結構迷惑な辞め方をしたので、先方にはかなり迷惑をかけたと思います。今となっては凄く反省をしております。

 大学2年生の頃は清掃員のアルバイトと並行して、表参道にあった高級スーパーの野菜売り場で夏休みの間の1月間アルバイトをしていました。ただここでは持ち前のコミュニケーション能力のなさと無口の性格、加えて手先が非常に不器用だったことが重なって、完全に職場で浮いていました。だからあまり思い出等はありませんが、どういう訳か年齢が1つ下のヤンキー社員の方だけは私のことを気遣ってくれていたのは意外でした。

 大学3年生になって、一応ゼミにも参加することになりました。私が所属したゼミは中国関係に関するもので、指導するゼミの先生はその界隈ではかなりの有名人であり、かなりレベルが高いゼミだったので、能力が低かった私は入った瞬間にかなり後悔をしました。一応勉強にも力を入れなければいけなかったことで、サークル活動を少し控えめにしました。この際に私の中で少しでも勉強する時間を取るためにアルバイトもやらないことに決めました。

 ただ3年生になった時に世田谷の下宿から三鷹のアパートに引っ越したこともあり、また一緒に住んでいた下宿時代の先輩が3か月で入社した会社の寮に引っ越したので、金銭的にきつくなり、私の決意は虚しく覆り、結局夏休みの1月間で結構稼げるポスティングのアルバイトをやってみました。

 アルバイト先の会社は今思えばちょっと怪しげな会社でしたが、何も考えずにノルマのチラシをアパートのポストに投函する仕事は私の性格に向いていたのか、夏の暑さで休憩中に1.5㍑の麦茶をほぼ一気に飲むほどの脱水状態なっていたのも関わらず、この仕事はつらいと思ったことがなく、1月の期間過ぎて辞めることになっても、会社の人から引き止められたりもしました。思えば仕事で褒められたのは、長い人生の中でこの会社が初めてで、それからは数回だけだったと思います、悲しい😢ことですが・・・。

 ゼミ仲間のK君から家庭教師の紹介をしてもらったのも大学3年生の時でした。大学生のアルバイトの定番(?)でしかも高収入で時間的に拘束が短い家庭教師のアルバイトは私にとっては垂涎の的でした。

 ただそれまではやったことがなく、アルバイト先を求めて、当時は銀行🏦の掲示板に自分の大学名と学年、自宅の電話番号☎などの連絡先を書いておくのですが、そこに書いても私のところへは全く連絡が来ることがなく、自分自身の人間としての能力に限界を感じていました。そんな中で紹介とは言え、家庭教師のアルバイトができることに感無量で、決まった瞬間に思わずガッツポーズをしたことを覚えています。

 家庭教師先の子供は高校受験を控えており、その子のお母さんはエスカレーター式の私立高校を受験させたいようでした。田舎出身の私としては都立>私立だと思っていたので、安請け合いをしましたが、今もそうでしょうが、当時もエスカレーター式の私立高校は偏差値も高く、とてもこの子には受かりそうもなく、アルバイト開始から2週間くらいで無理だと判明し、志望校を変えようということになりました。

 とは言っても教えることのプロではないので、家庭教師先の子とは兄弟のような接し方をしており、タメ口は使い放題、そもそも私のことを大学生の割には頭が悪いと思っており、よく「先生、これ違ってんじゃん、バカなの!!」とか「本当に大学生とか?」、こっちも「こんな問題ができねえの、このクソガキ」とか平気で会話していましたし、だいたい開始30分はこの子に問題を解かせるのですが、その間は私は漫画とか読んでいましたので、余り勤務態度がいいとは言えませんでしたね。

 最終的に家庭教師先の子は名前は忘れてしまいましたが、都内北部の都立高校に無事合格。合格発表の日はわざわざ私のうちまで「先生受かった!!」と電話☎してきました。だから最低限の目的は果たしたと思っています。ただ合格したらお祝いを買ってあげるとその子に約束していたので、その子にとってが電話してきたのは「合格祝いを忘れるな!!」とのメッセージだったかもしれませんね!?ちなみ合格祝いは買ってあげましたが、これは私のバイト代のほぼ1月分だったかな。「少しは遠慮しろ」と嫌味をいった記憶がありますね・・・・。

 大学4年生なって、本格的に就職活動をしなければいけない時期となり、4月、5月から会社訪問が活発になってきたと思います。一次面接→二次面接→三次面接と行くのですが、私は十数社訪問して二次面接までしか行かず、自分のふがいなさを自覚しつつそれでもまだ楽観的に考えていました。

 そんな中、同じゼミ生で私と同じように就職活動がうまくいっていないM君から気晴らしにとアルバイトを紹介されました。その話は以前の記事にも書いてあります。

 

kitajskaya.hatenablog.com

 

 このアルバイト先での仕事は主にイベントの警備が中心で、私は記事にもあった1985年6月に行われた国際青年年を記念して国立競技場で行われた大規模なコンサート「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」や7月末に静岡県つま恋で行われた吉田拓郎さんのオールナイトコンサートの警備の行きました。前述したM君はさすがに7月末は就職活動で参加はしませんでしたが・・・。

 

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国立競技場

 その年の9月には阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしますが、その警備、神宮球場で行われた阪神VSヤクルトの試合、にも私は参加しました。もっとも私は専ら神宮球場内部の通路とか警備が中心で、優勝を決めたシーンを見ることは叶わなかったのですが、一緒に行った大学院進学が内定し、阪神ファンでもあったI君はばっちりその優勝シーンが見れて、とても感謝されました。

 

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明治神宮球場

 このアルバイトは4年生の2月くらいまではやったと思います。まあそうこうするうちに私も就職先が決まりましたが、その間品川駅の東口にあった公園での野球大会の雑務、これは朝の早い時間に行きましたが、行ってグラウンドの白線を引いておしまいで後は何もせずにかなりの額のお金を貰いました。

 冬の寒い日に千駄ヶ谷にあった東京体育館で行われた中国雑技団の警備、これは猫のサーカスという珍しいものを見ることはができました。それと場所は忘れましたが、東京の東の方の会場で行われたプロレスの試合の警備。これはリングサイドの花道で選手が入場するのを興奮した観客が選手に触ったり、乱入するのを防ぐものでしたが、興奮した観客は恐ろしく怖く、注意したのに逆上しこちらの胸倉をつかんだり、挙句には観客同士がつかみ合いの喧嘩をしたり大変で、うろ覚えなのですが、プロレス関係者が途中まで随行して目を配っていたと思います。

 このアルバイト先では学生さんもたくさんいて、私はアルバイト先でバイトを束ねるバイトリーダ的な熊本県出身の2人組の学生さんとバーでバーテンを兼任している学生さんとどういう訳かウマがあい、仕事が終わった後、4人で飲み入ったりしていました。

 あれは国立競技場でのラグビー🏉の日本選手権「慶應義塾大学 VSトヨタ自動車」の後の事でした。4人の中で最年長だった私がこれで最後となるので、記念に何かをしようということになり、それがどういう訳か渋谷駅ナンパをしようということになりました。

 そもそも私はナンパはともかくそれまで女の子👩とまともに話したことのなかったので、すごく難色を示したのですが、まだ酔っ払ってもいないのに、私以外の3人は超乗り気!!そして熊本県出身の2人組、バーテンと兼任の学生がペアを組んでナンパをし、1時間したら落ち合うことになりました。

 オドオドする私を尻目に、相棒を組んだバーテンと兼任の学生さんは超強気!!「大丈夫、大丈夫」と私をなだめるのですが、それがカラ元気だとすぐにわかってしまいました。二人組の女の子たちが来ても、さっきの発言と裏腹になかなか声をかけようともしません。

 「あれはタイプではない」「多分あの子たちは声をかけても靡かない」とかそのギャップに私は思わず苦笑・・・。かと言って私もナンパをする勇気がないので、結局私の人生初で最後のナンパは、成果なしで終わり、待ち合わせ場所に2人でトボトボと向かいました。

 すっかり意気消沈したバーテンと兼任の学生さん、「熊本県出身の2人組」さんは女子を連れてくるかなあと期待と申し訳なさが入り乱れた気持ちがありましたが、遅れてやってきた彼らもやはりナンパがうまくいくはずもなく、結局その後渋谷の街で夜遅くまでクダを巻いて飲みました。

 もうあれこれ40年近く時が過ぎましたが、このイベント会社の名前もすっかり忘れてしまいました。私が会社に入ってしばらくは連絡もあり、熊本県出身の2人組の人はそのイベント会社に就職し、バーテンと兼任の学生さんはそのままバーテンになったと聞きました。それ以降のことは日々の忙しさで疎遠となり、あれから彼ら3人がどうなったかもわかりません。

 歳をとったせいか、最近は若い頃に出会った人たちがどうなったか、妙に気になります。あまりに年月が経ってので、あの3人は私のことなどすっかり忘れていると思いますが、私には彼らと攣るんでいた事は楽しかったし、人付き合いが苦手な私にとってはそれは貴重な体験でした。そしてそれは今でも心の中に片隅に焼き付いているのです。

 

 

写真:無料写真素材 写真AC 履歴書とパソコン craftbeermania

 

お恥ずかしい文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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